ベルベデーレの戦い
第100歩兵大隊が未だアンツィオでドイツ軍と対峙していた1944年4月23日、約1年の訓練を終えた第442連隊戦闘部隊の第一期兵およそ3500人の一団が欧州に向けて、米国本土シェルビー基地を後にした。
ワシントンD.Cに近い、ニューポート・ニューズ港から約一ヶ月をかけて、海路ナポリ港へ。ナポリに数日間滞在後、第442連隊戦闘部隊は、ローマの北約800㎞のテヴィタベッキアに向かった。テヴィタベッキアは、ティレニア海に面した街で、志倉常長が慶長遣欧使節団(1615年)として上陸した港でもある。第442連隊戦闘部隊はここで、最終訓練を受けたが、その露営地にアンツィオの戦いを終えた第100歩兵大隊が合流した。
1944年6月10日、第100歩兵大隊は組織上、第442連隊戦闘部隊に組み入れられ、第442連隊戦闘部隊もサレルノ以来第100歩兵大隊が所属した第5軍第34師団の傘下に入る。合併はされたが、師団長は第100歩兵大隊に大隊名を残す事を許可した。これは異例の措置であるが、それほど師団長が彼らを評価していた証である。
こうして兵力4500人の主力戦闘部隊に第100、第2、第3歩兵大隊の三個大隊、それに第552野砲大隊、第232工兵中隊他に、医療班や軍楽隊と言った後方支援部隊で編成された。チャールズ・ペンス連隊長以下大隊長や中隊長は白人将校が占めた。
さて、二週間後第442連隊は、チヴィタベッキアを発ちイタリア西海岸を北進した。1944年6月26日、第100大隊以外の者は初陣となる、「ベルベデーレの戦い」が始まる。米軍の目標は、ベルベデーレの街を囲む高地。26日夕方、二世部隊は高地を占領。これにより、連合軍優勢となる。高地を占領したのは、先輩格の第100歩兵大隊であった。このベルベデーレの戦いと、サセッタの戦いでの活躍が評価されて、二世部隊は最初の「大統領部隊感状」を獲得。二世が初めて評価された時でもあった。




