塹壕足
モンテカッシーノの戦いは、雪と雨が骨まで沁みる戦いであった。ドイツ軍の抵抗が激しく、中々進軍出来ず待ち時間が長かった為である。待っている間、日系兵達は塹壕に入って身を守るしかない。そうしなければ死んでしまうからだ。
敵は手足の位置を変えるだけで、バンバン射撃してきた。何せ上から下を観察しているから強い。それで日系兵達は、壕にいる訳であるが、そこに追い討ちをかけるように、雪や雨が貯まって凍ってしまう。ヘルメットでいくら氷水をかき出しても、瞬く間に貯まる。そんな日が何日も続くと、凍傷や塹壕足になる兵が続出した。
塹壕足は、感染症の一種で、足を長時間冷たく湿気のある不潔な場所に放置していると罹患する。そのままにしておくと、壊血になり足を切断しなければならない恐ろしい感染症である。
塹壕足の一番の治療法は足を乾燥させる事であるが、望むべくもない。塹壕足で野戦病院に担ぎ込まれる人間は後を絶たなかった。
さて、モンテカッシーノの戦いで第100大隊が本格的に参戦したのは、1944年1月24日~と、2月8日~の二度である。やはり天候は雪や雨が吹き荒れていた。暗闇の進軍が続いたが、地雷に吹き飛ばされる者、雨のように降って来る砲撃に撃たれる者など、夜が明ければ泥沼に戦死兵と負傷兵が、累累としていた。
無傷の兵士も、間断無く続く敵の砲撃にさらわれて、負傷兵を助け出す事が出来ない。カッシーノの山や川は、ハワイ日系二世の血で染まった。そんな中でも、一部の部隊は大目標の大修道院まで、接近したものの、手勢が足りず進軍を断念せざるを得なかった。
モンテカッシーノの戦いにおける第100歩兵大隊の戦死者は48人、重傷者134人。サレルノ上陸時1300人いた兵士は、モンテカッシーノの戦いを経て、僅か521人に半減した。それだけ激しい戦いだった事を物語っている。




