跳ねっ返りベティ
イタリアと言うと、陽光なイメージがあるが、実は秋から冬は雨季。また、冬の温度は低く南端のシチリア半島でも雪が降る。この雨と雪が上陸時から第100大隊に襲いかかる。イタリア戦線ではずっと、そしてフランス戦線でも終始二世部隊を濡らし続ける事になる。
さて、モンテカッシーノの戦いの初日は吹雪であった。山々には見渡す限りの雪が積もった。翌日以降も吹雪と豪雨に降り込められた。川は氾濫寸前で、川の手前一帯は地雷原であった。
ドイツ軍の地雷は少し特殊だった。金属探知機でも発見出来ない様に、地雷を四角い木箱に入れていた。しかも、地雷自体が踏めば腰丈から背丈程も跳ね上がり四方に鉄片を降らせる構造となっていた。二世兵達はそれを「跳ねっ返りベティ」と呼んでいた。
「跳ねっ返りベティ」を手探りで探し、起爆装置を外すのは困難で危険な作業だったものの、二世兵達は、工夫してそれに対処した。夜間は特に危険だったが、二世兵は装置を外した地雷にトイレットペーパーをちぎって敷いて目印とした。トイレットペーパーは軽いし、誰もが携帯している。
ただでさえ、山のようにいるドイツ軍兵士に対して装備で劣る第100大隊にとって、この戦いは、今後の二世兵の活躍を決定付けた戦いと言えるかもしれない。勿論、犠牲者も出た。それは致し方無い。
ドイツ軍は「跳ねっ返りベティ」の様な一癖も二癖もある兵器を量産する事に長けていた。シャーマン戦車やUボートだけではなかったのである。アドルフ・ヒトラーの快進撃を支えたのは、こうしたオリジナル性の高い兵器を量産できたドイツの産業体力があったからと言えるかもしれない。米国にとって欧州戦線で最大の敵は間違いなくドイツ軍であった。




