モンテカッシーノの戦い
二世兵が上陸する事になったイタリアであるが、第100大隊が上陸する二週間前の1943年9月8日に無条件降伏していた。
すると二世兵の次なる敵は誰かと言うと、それはドイツである。この辺りがイタリア中部以北に留まり、米英軍を中心とする連合軍と激烈な防衛戦を続けていた。
イタリア国内はと言うと、ナチス・ドイツを支持するファシストと、彼等に抵抗するパルチザンが対立し、ナポリ・ローマ・フィレンツェを手中に収め、ドイツ軍をイタリアから追放しようとする連合軍との勢力争いで、未だ混乱の極みにあった。連合軍の戦略としては、ナポリ東南約45㎞にあるサレルノから北上して、これ等の都市を制圧しようと言うものである。
苦戦しながらも、二世兵達は少しずつ少しずつ、前進していく。そんな中で遭遇したのが、イタリア中部山岳地帯にあるドイツ軍による強力な防衛線"通称グスタフ・ライン"である。ドイツ軍は、アウトバーンを造ったフリッツ・ノート軍需大臣の陣頭指揮で、東海岸のアドリア海から西海岸のティレニア海を突っ切る全長150㎞のグスタフラインを構築した。
そのグスタフ・ラインの中心には、カッシーノと言う街がある。ローマからは南におよそ120㎞。ナポリとローマをつなぐ、主要道がある為、連合軍とドイツ軍双方譲れぬ要衝となった。
1944年(昭和19年)1月12日、米側司令官マーク・クラークをして、「イタリア戦線における最も苛烈で、悲惨・悲劇的な戦い」と、言わしめた「モンテカッシーノの戦い」が始まる事になった。二世兵にとっては初めての大規模戦闘であり、この戦いでの活躍が彼等の名声を高めて行く事になった事は言うまでもない。勿論、多大なる犠牲者の上に得た名声ではあった。イタリアは既に降伏しているが、ドイツを降伏させない事には、欧州における連合軍の戦いは終わらない。その為にも、このモンテカッシーノの戦いでドイツを徹底的に叩く必要があった。




