春彦にとっての軍隊
春彦の様な日系二世にとって、軍隊は遠い存在であった。徴兵中止の過去からも分かる様に、決して日系兵士に全ての分野が門戸を開いていた訳では無かったからである。
雑役兵士でも構わない。と言う位であるから、その切実さがよく分かるであろう。そして、一度入隊すれば、既存米兵よりも危険な任務につかされる事は目に見えて分かっていた。弾除けと言うイメージに相応しく、日系兵士は最前線の部隊に投入されて行く。
そんな中で、生き残って行くと不思議な事が起こる。それまでの冷遇が嘘のように、熱い視線が日系兵士に送られて行く。そしてそれだけではなく、もっと敵を倒して名声を得てやる、と言う様な気持ちまで湧いて出て来たのである。これは、軍隊に限らず結果を出し続けて行けば、自ずと注目され期待される様になるのである。
春彦は、日系二世の下級下士官として活躍して行く事になる。無論、日系兵士の犠牲が0であった訳では無かった。戦争が起きれば必ず大小問わず犠牲はつきものだ。その犠牲を糧に突き進む力も湧いた。日系兵士の多くが、自分達の待遇向上の為、戦っていたはずであったが、いつの間にか、星条旗を背負い戦って行くうちに、立派な米兵になり、国家の為に尽くす兵隊になっていた。
「産みの親より育ての親」と言う言葉がある様に、武士は二君に仕えず、真の米国人である事を示すチャンスでもあった。そもそも、二世はプランテーションや、実家の零細農家で身体を鍛えた者が多い。それに通常の米国人ならば将校になる大卒者も一兵卒として戦場に出されたから、部隊全体の知能水準も高かった。日系兵士は同じ待遇向上と言う目的があった為、団結しやすかった。これらのベースが日系兵士活躍の影にはあったのである。




