春彦の見たパールハーバー
春彦は、パールハーバーの時19歳だった。まだ高校を出たばかりで、大学にようやく慣れ始めた頃の事であった。パールハーバーが日本軍に攻撃されたとラジオニュースで聞いた時は、絶叫する程の衝撃が全身を駆け巡った事を今も忘れていない。
その相手が日本軍だったと言うのも春彦にとってはショックであった。日本が米国に攻撃して来る事の意味を、春彦は普通の大学生ながら知っていた。その先に待つものが絶対の破滅だという事も。
パールハーバーがスニーク・アタック(騙し討ち)であった事は有名だが、その一方で日本がパールハーバーを攻撃対象としている筋の情報は勿論米軍にももたらされていた。少なくとも米国陸軍や海軍のトップはその可能性を重々に承知していた。その情報が末端の兵士にまで共有されていたならば、甚大な被害は避けられたかも知れない。
米国世論はそれまで対日戦争は米国の国益にならないと言う意見が大半を占めていたが、パールハーバー後は日本を討つべしの声が高まって行った。春彦の様な普通の大学生も、志願兵になるべく、徴兵局に殺到した。しかし、春彦はこの時まだ兵隊になる意思はなかった。春彦の目には対日戦争などあっという間に終了してしまうだろうと言う予測があったからである。
日本の国力をかんがえれば、もって5年の間。少なくとも米国が負ける事は無いから、戦後を見据えて、行動した方が自分の利益になる。そうした楽観論が春彦には、あった事は確かである。パールハーバーでやられたのだって、米軍の警戒が甘かっただけであり、まともに正面からぶつかれば、まず間違いなく米国が負けるはずはない。そういった想いが心の奥底にあった事は確かである。




