捕虜の扱い
米国本土の中でも米軍捕虜の扱い方は、模範的であった。国際法をきちんと遵守して、必要な物は全て与えた。それとは対照的に、日本軍は捕虜の扱い方をよく知らなかった。食事を与えなかったり、暴行を加えて死なせる様な事もあった。とても国際法を遵守しているとは言えなかった訳である。
欧米先進国では、戦えなくなれば捕虜に成る事を推奨し、兵士はそれを実行していた。しかしながら、日本ではそれとは逆に捕虜になるくらいなら死を選べと教育した。捕虜の扱いは既に1929年のジュネーブ条約で保障されていた為、日本軍上層部も、その事は充分知っているはずである。
にも関わらず、捕虜になるなと教育したのは、情報の流出を防ぐ為であったと考えられる。現に何の知識もなく、仕方無く捕虜となった日本兵の多くが、のべつまくなしにべらべらと重要情報を話していたと言う。捕虜は必要な事以外話さなくても良い、と言うルールを知らなかったからである。捕虜になれば殺されると考えていた日本兵も少なくはない。
しかし、それら日本軍兵士の考えは間違いで、国際条約で捕虜の身分は保障されていて、勝手に殺してはいけなかった。連合軍が第二次世界大戦で獲得した5万人余りの捕虜の多くが、戦後まで生き延びている。ソ連が行ったシベリア抑留など例外はあるが、捕虜になって生き延びた日本兵は多い。
少なくとも捕虜になれば、戦争から隔離され危険な任務につかなくて良いと言うシステムだった。おまけに三度の飯に入浴もさせてもらえる。無論、その為の経費は後に日本政府に請求されるのだが…。




