紙の爆弾
呼びかけやラジオ放送が対話によるプロパガンダならば、文字によるプロパガンダが"紙の爆弾"と呼ばれる「伝単」である。「伝単」とは、謀略宣伝文が書かれたビラやパンフレットの事で、その多くの文面や裏面には、日本語と英語で「私は降参します。」と記載されており、日本兵が伝単を持参して敵陣に向かう様に工夫されていた。伝単は、航空機や大砲によって大量に散布された。
1942年(昭和17年)4月18日、ドゥリットル航空隊が初めて日本本土を空襲した際に伝単は、初めて投下された。初めの内は効果に懐疑的な人間もいたが、伝単は日本兵の心にダイレクトに響くものであった為、伝単を投入してからは、捕虜がかなり増えた。
一方で日本軍は伝単の存在を、かなり早い段階で把握しており、伝単を見つけても拾わないように指導した。伝単に殺傷能力はない。しかし、心にダイレクトに問いかける戦場での生死に関わる事である為に、どんな強力な兵器よりも、心に響く。人間は生きたいと思って生きて行く動物である。日本語で書かれた、たった10文字位の紙で命が助かるのなら安いと思うのは不思議ではない。
生きて虜囚の辱しめを受けず。と言う文化が根強い日本にも伝単は、効果的なものであった。そしてそれを日本軍が真似しようと試みたが、上手く行かなかった。それほど米軍のビラ配り作戦は成功した。不要な死は望まない。そして、戦わずに勝てる方法は無いか模索した結果の産物であったと言えるのではないだろうか。




