投降勧告
語学兵の大事な任務の一つは、日本兵に投降つまり戦闘行為をやめさせて、降参させる事である。しかし、この任務は逆襲される可能性の高い危険な任務であった。その上武器を使う事も出来ない。何故なら、武器を使えば日本兵を尚更刺激してしまう事になるからである。
日本兵の多くは捕虜になるくらいなら、死んだ方がましであると言う戦陣訓の「生きて虜囚の辱しめを受けず」と言う思想を叩き込まれていた為、中々投降には応じてくれなかった。二世語学兵がいくら投降を呼び掛けても、日本兵がその気になってくれなければ、馬の耳に念仏である。
二世語学兵は、米国海兵隊と行動を一緒にする事が多かったが、「硫黄島の星条旗」の写真で有名な、写真家のジョー・ローゼンタールは、こう二世兵の活躍を讃えている。
「二世兵はギリギリまで、敵の懐に接近した。沢山の二世兵が負傷し、更に命を落とした。我々に彼等の英雄的行為を、しっかりと記憶するべきだ。」
従軍カメラマンでさえ、この様な感想を持っていたのである。現場の最前線で一緒に死線を乗り越えた海兵隊員なら、ローゼンタール以上にありがたみを持っている事であろう。海兵隊員は日本兵を殺すのが仕事だが、二世語学兵はその逆である。「死」へと突き進む日本兵を一人でも多く、捕虜として捕らえる事。そして、捕らえた捕虜から有益な情報を得る事。それが目的になる。
一人一人の日本兵から得られる情報はどんな些細な事でも武器になる。情報語学兵は、そのプロフェッショナルとして教育されて来ているし、何よりもそれは、現場に出ている二世兵がよーく分かっている事であった。




