語学兵とスバイ
米国が日本語語学兵の育成に力を入れていた事は既に述べた。日本人とは対照的に米国人は、積極的に日本の事や日本語を知ろうとした。では実際その語学学校で何をやったのか?
語学学校の学科には、日本語の翻訳や会話と言った基本の他に、日本の歴史、地理、候文、草書、日本軍用語、方言、尋問技術など、専門分野にも及んだ。授業は日中7時間、夜間2時間の一日約9時間。語学兵は通常4年かかる課程を、6ヶ月の短期間で叩き込まれた。
それでも足りない者は、23時の就寝後トイレにこもって勉強を続けた。情報語学兵の任務は、地図や戦闘計画、将兵の日記や手紙の翻訳、投降勧告、捕虜の尋問等である。
正に対日情報スバイを生み出す為の機関であった。前線で獲得する書類や手紙は、泥や血、時に肉片までがにじんで、まるで"ジグソーパズル"みたいであったと言うし、日本軍の兵隊の多くは、地方出身者で標準語が通用しない事も多々あった。並大抵の日本語能力では、任務は全う出来なかった。
こうして、猛勉強の末に日本語課程を終了すると、次いで語学兵は一般訓練基地に送られ、射撃、野営、野戦、夜行軍等、前線で兵士として通用するに足る戦闘訓練を数週間受ける。語学兵は、師団や連隊には属さず、独立した情報部隊として、戦地に派遣された。
日本語語学兵はスバイ養成所とも言える。米国は、インテリジェンスに関しても、世界で飛び抜けた存在であり、第二次世界大戦の時から、それは徹底していた様である。




