不仲
1943年(昭和18年)2月1日、ミシシッピー州シェルビー基地にて、第442連隊は誕生した。主力は米国本土の既存兵であったが、米国陸軍はさらに4500人の志願兵を募った。
「第442連隊戦闘部隊」志願兵の報を受け、ハワイでは、二世が徴兵局に殺到した。米国陸軍は当初志願兵の内訳を本土兵3000人、ハワイ兵1500人と想定していたが、ハワイで一万人近い二世兵が志願した為、最終的に当初予定の倍近い2686人の二世の入隊を許可した。
一方、米国本土の強制収容所では陸軍の原案3000人に対して志願者は1181人に過ぎなかった。やはり、収容所に入れておきながら志願を募った事の矛盾が響いたのであった。さらに、忠日派の勢力も強く、郷土の誉れと讃えられていたハワイとは違い、下方の本土の二世にとって、志願は一種の後ろめたさの拭えない行為であった。
こうして、1943年4月中旬から5月中旬にかけて、志願兵達は、ミシシッピー州シェルビー基地で第442連隊戦闘部隊の既存兵と合流した。新兵は、ミシシッピー州の差別政策に驚きながらも、複雑な気持ちになった。第442連隊は、それから一年余り長期の野営や寒冷地や雨中での戦闘訓練を続けた。
二世兵の成績は極めて優秀であったが、一つだけ重大な問題を抱えていた。ハワイ兵と米国本土の兵士の仲が不仲だったのである。理由の一つは、言語にあった。ハワイ兵が話すのは、プランテーションで生まれた「ピジン英語」である。これは、本土の兵士には野蛮で下品に響いたし、第一何を言っているか分からなかった。
反対に本土の兵士の標準英語はハワイ兵には、自分達をさんざんこき使ったハオレ(白人)の忌むべき英語に響いた。それに何より最大の違いは、本土の兵士が強制収容所から来たと言う現実であった。にも関わらず、ハワイ兵には収容所の存在すら、知らされていなかった。軍部は、そこに目をつけ、ハワイ兵を引き連れてとある場所へと向かう事にしたのである。




