情報基地
情報語学兵の任務は、地図や戦闘計画の策定及び、将兵の日記や手紙の翻訳、解読、通信傍受、電話の盗聴、投降勧告、捕虜の尋問等、である。
前線で獲得する書類や手紙は、泥や血時に肉片まで滲んだ「ジグソーパズル」の様であったし、日本兵には地方出身者が多く、標準語が通じない事が多々あった。並大抵の日本語能力が無ければ、任務遂行は困難であった。
猛勉強の末に日本語課程を修了すると、次いで語学生達は、一般訓練基地に送られ、射撃、野営、野戦、夜行軍等、前線でも役に立つ兵士として育成される。その期間は数週間。
語学兵は、師団や連隊に属さず、独立の情報部隊として、戦地に派遣された。連合軍には、3つの大情報基地が存在していた。
1つ目がオーストラリアのブリスベンにあるATISである。ATISとは、日本語に訳すと、連合軍翻訳通訳部の事である。マッカーサー米国陸軍元帥が置いた情報基地の中で最も大きい。主に南太平洋を担当し。ピーク時には3000人の二世語学兵を抱えた。終戦までに翻訳文書2千万ページを作成している。
2つ目がハワイ・ホノルルのJICPOAである。JICPOAとは、太平洋地域統合情報センターの訳で、チェスター・W・ニミッツ米国海軍大将が設置した情報基地である。主に中部太平洋地域を統括した。
3つ目がインドのニューデリーにあるSEATICである。SEATICとは、東南アジア翻訳尋問センターの訳である。ジョセフ・スティルウェル米国陸軍司令官(大将)が統括し、主に中国・ビルマ(現ミャンマー)・インド方面に睨みを効かせた。
語学学校の卒業生は、同校教範になる者を除きこれ等のセンターか戦地いずれかに配属された。また、戦地では米国軍だけではなく、連合軍各国に派遣される情報語学兵もいた。情報語学兵と言うと、前線ではなく、後方支援活動のイメージが強いが、それは誤りである。日本兵と背格好が同じ様な二世兵は生命の危機に直面していた。




