大統領令9066号
日系人は、地道に室内を直し所外に日本庭園まで造るなど、収容所の環境を自らの手で改善していた。また、歳日が経つと品行方正な収容者の所外勤労、転居、通学等が認められる様になった。
1942年(昭和17年)2月19日、当時の米国大統領ルーズベルトは、「大統領令9066号」に署名。これにより米国陸軍長官と指揮官が「国防上危険と見なした人々」を、指定区域から立ち退かせる事が可能となった。
そうした米国政府の強引な手段や不正に対して、収容所から告訴する日系二世もいた。結局、米国最高裁が判決を下したのは、1944年(昭和19年)12月18日の事である。
「立ち退きは戦時大統領権限として、合憲だが自由を奪うのは、誤りなので収容所から解放すべき。」
と言う判決内容であった。1945年1月2日「強制立ち退き令」が、廃止され10個の収容所は一つ、また一つと閉鎖され、1946年3月28に強制収容と言う歴史に終止符が打たれたのであった。
これ等の処置は明らかなヘイトクライムであった事は、言うまでもない。米国政府が危険と見なした人々のほとんどが、日系米国人や日系一世であった事を考えると、これは、日系人に対するヘイトクライムの一つの形であったと言える。父母の祖国が敵性国家になったから強制収容所に送り込むなら、何故ドイツ系米国人や、イタリア系米国人が強制収容されないのか?実に不公平である。
移民国家である米国人が人種差別と言う内政を抱えた国である事は、黒歴史なのだが、いずれにせよ、強制収容は違憲行為である事は、最高裁が示してくれた。そう言った歴史がありながら、ヘイトクライムの問題は、今も米国社会の大問題である事に変わりはない。




