掴み取ったもの
何の為に戦ったかはさして重要ではないだろう。米国国民として日本と戦い、欧州戦線では、ナチス・ドイツと相対した彼等は、結果として大戦の長期化を回避した。生粋の米国人が誰一人として、果たせなかった困難な任務を二世兵は、遂行した。確固たる世界最強国であった米国も、日系二世兵の活躍がなければ、戦況はどうなっていたかは分からない。
彼等が掴み取ったものは、決して大それたものではない。人間として、生きる為の最小限度の自由と権利を欲していたに過ぎない。その為に、身を持って戦い、散って行った彼等に悔いはないだろう。
「戦争は良くない。」等と二世兵達は考えない。現状を打破する為に、彼等が考えた事は、いの一番に「戦争に参加して手柄を立てる。」その一点にあった。歴史を振り返ってみれば、確かに人間は、何かを得る為には、筆を置き剣や銃を取っている。
そういった行動を否定しては、人間社会の全てを否定しているのと同じ事である。無論、戦争をしないに越したことはない。しかし、自らの欲求を満たす為には、既存の法律体制では充分なものではない事は稀ではないだろう。戦いの中で成長すると言う側面が、人間にはあり、二世兵達もその原理原則に従った迄である。
誰よりも日本人らしく泥臭く戦った二世兵達の戦いは、ひとまず終了したが、またいつか日系米国人の地位が低下する様な事態に陥れば、彼等は戦うだろう。それは人種の色に関わらない事である。




