占領のお手伝い①
1945年9月2日~1952年4月28日まで沖縄地方を除く日本は、連合国とりわけ米国の占領下に置かれた。同じ敗戦国のドイツでは連合4ヶ国による直接統治が実施されたが、GHQは日本において「終戦連絡中央事務局」等、日本政府の窓口に指示する間接統治を実施した。
占領軍の兵力は始めこそ約50万人の大軍であったが、1948年には10万人にまで減少した。一時朝鮮戦争で、増えたが1951年末の時点では約26万人の米軍が駐留していた。ちなみに現在では約3万5000人の米兵が日本に駐留している。
占領軍はダグラス・マッカーサー連合国最高司令官(兼米太平洋陸軍最高司令官)を頂点とし、頭脳の役割を果たすGHQと、米第8軍等の実行部隊で、構成された。占領行政は非常に複雑であるが、GHQを縦糸、実戦部隊を横糸と考えれば、良いだろう。ちなみに多くの二世が活躍したのは横糸のGHQの方であった。
日本を占領するにあたって、二世の存在は米軍にとっては重宝した。言語と言うものは、民族の違いによって生じる最も単純かつ、分かりやすいハードルである。そこでつまづく事は多い。無論、それだけでは無いのだが、占領政策の成功を決定するのはほぼ言語の壁にある。チョコレートや大量の物資による"アメ"を用いて、彼等は日本を占領した。日本国民の印象も戦中の米軍の評価よりも異なり、米軍を地獄の戦争を終わらせた救世主の様に感じた事であろう。
最も物質的な面は満たされて行ったが、日本の国際的地位や日本政治が直ぐに回復してはいなかった。占領政策は基本的に、日本が再び軍国主義をとらせない様に軍事力を一切骨抜きにするものであり、日本人が思っていた様な"ユートピア"にする為のものではなかった。歴史的に見れば占領政策は成功した事になっているが、それは日本にとっては、所詮汚点でしかなかった。




