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パープルハートフォース・ストーリー~Go for Broke ~   作者: 佐久間五十六


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排日①

 日米紳士協定が施行された後の排日は止まらなかった。1913年(大正2年)カリフォルニア州議会は、「外国人土地法」別名「排日土地法」を制定。「帰化出来ない外国人やその法人」の農地購入、借地、売却、遺贈を禁止又は制限した。

 そのターゲットは勿論、日本人移民であった。1920年(大正9年)カリフォルニア州で「外国人土地法」が改正。改正前は対象が「帰化出来ない外国人」であった為、日系一世には米国籍を持つ日系二世の子供の土地を名義人にする"抜け道"が、残されていたが、改正後はそれらを防ぐ条項が盛り込まれた。

 その後11州がカリフォルニア州の「外国人土地法」にならう。1920年(大正9年)「淑女協定」が、制定。貧しい日系一世には結婚にあたり、日本に一時帰国する余裕が無かった。それ故に在米県人会や日本の親戚縁者を通した写真と履歴書を花嫁候補者に郵送。花嫁候補者も同様の手続きで、伴侶を決めた。所謂「写真花嫁」である。この見合いの風習は、日本では特殊な事ではなかったが、米国人には、奇異で野蛮な行為と映り批判が絶えなかった。

 そこで日本政府は、写真花嫁への旅券発給を禁止。一説によると、写真花嫁は約2万人いたとされ、多くの日系二世を産んだ。1922年(大正11年)「ケーブル法」が、制定された。帰化権の無い外国人と結婚した米国人女性は市民権を失うと言う法律。

 1924年(大正13年)「外国人移民制限法」別名「排日移民法」が制定。米国政府が、突如として日米紳士協定を破棄。毎年の米国人の移民数を、国毎に決めたが、そこから日本を一切排除した。日本人移民はそれまで可能であった「近親者を呼び寄せる」事さえ不可能となり、ハワイを含む米国全土に新たな日系移民を移住する道を完全に絶たせた。米国人は移民国家を唄いながら、日本人を徹底的に排除したのだ。

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