ユダヤの奴隷
二世部隊がダッハウの街に到着した時、この街は異様な空気に包まれていた。幽霊の様な者達がさすらっているかと思えば、道端には死体や痩せこけた人々が横たわっていた。死んだ馬の肉を引きちぎり食らいつく者もいた。
この時二世部隊にも、現地の米軍自体すら知識が無かったが、彼等はナチス・ドイツの強制収容所に遭遇していた。ナチス・ドイツは戦時中、国内と衛星国各地に、ユダヤ人や政治犯他の強制収容所を作り、それぞれに補助収容所を置いた。
ダッハウでは、1933年の開設から終戦までに200ヶ所もの補助収容所が作られたが、本収容所と併せてこの期間に20万人が収容され、4万1500人の人間がジェノサイド(大量虐殺)された。ぎゅうぎゅうに詰め込まれ毒ガスをこれでもかとかけられたり、電気椅子や銃殺等、被害者の殺され方はとにかく、何でもありであった。
"奴隷"と言う言葉があるが、被害者のユダヤ人や収容者の人権は無く、奴隷以下の扱いを受けていた。人類史上奴隷よりも酷い扱いを受けた者はいたのだろうか?正にユダヤ人はその酷い扱いを受けていた。人間の憎悪程、怖いものはないだろうが、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害は常軌を逸していた。
結果的には、米軍がその歴史的暴挙を止めた形にはなったが、ユダヤ人の亡命を最も盛んに受け入れたのが米国であった。国土なき流浪の民族である、ユダヤ人。世界中を回ってようやく見つけた安住の地が米国だった。と言う事実はあまり知られていない。
現在でも世界経済の中心にはユダヤ資本がある。ユダヤ人の類稀なる金融維持力が結果として、ナチス・ドイツを生んでしまった。これは歴史の皮肉以外の何物でもない。




