フォルゴリート山
そんな滑る険悪な山道を、暗闇の中地雷を避けつつ、二世部隊は進軍した。目標は米軍が「ジョージア高地」と呼んだ「モンテ・デ・リパ」と、標高911メートルのフォルゴリート山であった。
戦法は夜明け前の奇襲只一つ。二世部隊は南北に別れて、1945年4月5日午前5時を合図に、挟み撃ちに打って出た。ドイツ軍は予期せぬ奇襲に混乱を来すも、猛烈な砲弾の雨を浴びせたが、二世部隊は、他の部隊が5ヶ月も難渋したモンテ・デ・リパを32分と言うハイスピードで攻略。フォルゴリート山を2時間と言う電撃的な早さで攻略した。
だが、これは「ゴシック・ライン」攻防戦のほんの幕開けにしか、過ぎなかった。二世部隊は、その後も来る日も来る日も、倹峻な山や尾根を登り続けながら、ドイツ軍と戦った。中には遠くジェノバやトリノまで遠征した部隊もあった。
ゴシック・ラインに突破口を開いた第442連隊はその後、ピエトラサンタやラ・ス・ぺチア等、イタリア北西部諸都市を解放。イタリア戦線は1945年5月2日に終了した。ただ、第552野砲大隊だけは、米第7軍と共にドイツに進駐した。3つの戦闘部隊を中心に、およそ650人の二世兵からなる第552野砲大隊は第442連隊の一部隊であり、イタリア上陸と共に戦って来た。
第552野砲大隊の役目は、歩兵大隊の後方から敵に砲弾を放ち、歩兵の前進を援護する事であった。ドイツにおいて第552野砲大隊は必要に応じて、各師団に派遣されたが、終戦までにおよそ25の師団に付き合計3000㎞を踏破した。
この様に、欧州戦線における米軍はとにかく泥臭く戦った。あまり日本人には知られていないが、米軍の泥臭い戦いこそ、世界最強の軍隊の真髄であると言えた。




