ル・トラパン・デソール
多大な犠牲を払いながら、米軍がブリエールをほぼ掌握したのは、戦闘開始から4日目(1944年10月18日の夕方)の事であった。ブリエール解放後、ビフォンテーヌ村とベルモン村でも戦い、これ等の村も解放し10日ぶりの休息に入ろうとしていた時、突然の戦闘復帰命令が下る。
ビフォンテーヌの森でドイツ軍に包囲されたテキサス兵を、救出せよとの大統領令であった。テキサス師団の第141歩兵第1大隊は、山中で孤立したのは、1944年10月24日。同大隊通信班から師団司令部に届いた暗号電は、「水無し、弾薬無し、絶望的」となっており、テキサス兵の生存は一刻を争う状況になっていた。
「失われた大隊(lost Battalion)」のニュースが米国本土にに報道されると、米国民はラジオにかじりついて救出を切望した。何と言っても、テキサス師団は米国民が矜持とする部隊なのである。とりわけ地元テキサス州選出の上院議員は、ルーズベルト大統領に救命を直訴し、ルーズベルト大統領もこれを承諾すると言う異例の事態となった。
反対に救出を命令された二世部隊は、満足な休息すら与えられず、捨て石の如く前線に送られたのであった。失われた大隊の古戦場は「ル・トラパン・デソール」と呼ばれる、ビフォンテーヌの森の鞍部である。昼尚暗いル・トラパン・デソールは、現在も無数の塹壕が苔むす。地面に口を広げ朽ち果てた爆弾が生々しく転がる。樹木にも未だ弾丸が残る為、このあたりの樹木工場では特別な金属探知機を備えていると言う。地雷は、戦後ドイツ人捕虜が除去したが、いずれにしても数多の若者の血を吸い込んだ森である。
米国民にとっては、二世部隊の命よりもテキサス師団の命の方が重かったと言える。




