分岐点
日系部隊はここで二手に別れ、第100大隊はナポリに次ぐ重要港リボルノ(旧名レグホーン)に侵攻。そして1944年7月19日に入城を果たす。その他の部隊はフィレンツェ南方の戦線で、戦闘を続けた。
1944年9月27日、フランスで苦戦中の第7軍からの援軍要請で、第442連隊戦闘部隊は第5軍を離れ、フランス戦線に向かった。イタリアから海路南仏マルセイユ港に。二世部隊はここで第7軍第36師団に配属された。
この第36師団の別名は"テキサス師団"である。1836年にアラモ砦でメキシコ軍と戦い勝利した「アラモ隊」を原隊とする、米国陸軍最古参の由緒正しい師団である。第442連隊とテキサス師団は、2年前の1942年に米国本土マッコイ基地で出会い、モンテカッシーノの戦いでは共闘していた。
日系部隊は、このように"便利屋"として多くの激戦地に派兵された。とは言え、彼等は文句を言わなかった。寧ろ、功名と名誉を上げるチャンスだと思って戦っていた。だが、彼等の戦いは非効率で泥臭いものであった。それでもこの粘り腰は、他の米国兵士には無く、多数の死者を出してもひるむ事はなかった。米軍は今でも世界トップクラスの実力を持っているのだが、第二次世界大戦時の米軍兵士は、明らかに二世部隊よりも劣っていた。
終わりの見えない戦いの中で、彼等はただひたすら自分達の地位向上の為、一心不乱に戦い続けた。結果的に彼等の想いは報われる事になるが、その為に支払った代償は決して小さくないものであった。ヘイトクライムが当たり前だった時代にあっても、二世部隊は怯むこと無くヘイトクライムに屈しなかった。




