第442連隊戦闘部隊改編
イタリア・ナポリに数日した後に、第442連隊は、ローマの北約80㎞にあるチヴェッタベッキアに向かった。ナポリの記憶は、廃墟、干からびた死者、蝿、貧困、そして娼婦の群れととにかく灰色のものが多かったと言える。
チヴェッタベッキアは、ティレニア海に面した街で、1615年に志倉常長ら慶長遣欧使節団が上陸した港である。
第442連隊は、ここで実戦に向けた最終訓練を受けたが、その露営地にアンツィオの戦いを終えた第100大隊が合流した。1944年6月10日第100歩兵大隊は組織上、第442連隊戦闘部隊に組み入れられ、第442連隊自体もサレルノ以来第100歩兵大隊が属した、米国第5軍第34師団の傘下に入る。ただ、第442連隊に合併されたとは言え、師団長は第100大隊に大隊名を残す事を認めた。
異例の措置だったが、それほど師団長が第100大隊を評価していた証である。第442連隊戦闘部隊の兵力は、この時点で約4500人。主力歩兵戦闘部隊に第100歩兵大隊と、第2、第3歩兵大隊の3個大隊それに加えて、第552野砲大隊と第232工兵中隊他に、医療班や軍楽隊と言った後方支援部隊で編成された。チャールズ・ペンス連隊長以下、大隊長や中隊長は白人将校が占めた。
その2週間後、新しく編成し直された第442連隊は、チヴェッタベッキアを発ち、イタリア西海岸を北上した。そして1944年6月26日を迎える。この日は第100歩兵大隊に所属していた人間以外の第442連隊員にとって初戦となる、ベルベデーレの戦いが始まった日である。米軍の目標地点は、ベルベデーレの街を囲む高地であった。




