帰化法
米国と言う国は、1790年(寛政2年)に作った初の帰化法で外国人の帰化権を「白人」に制限している。その後の1870年(明治3年)に同法は改正され、帰化権を「アフリカ生まれの外国人とアフリカ人の子孫」に拡大したが、白人でも黒人でもないアジア人は、欧州大陸と米国大陸を結ぶ「大西洋」ではなく、「太平洋」と言う"異なる海から来たよそ者"であった為、アジア系移民は帰化権の他にも、職業や定住や結婚(1880年カリフォルニア州で、異人種間婚姻禁止法)等で不当な差別を受けた。
とりわけ差別されたのが、低賃金でも黙々と働く勤勉な日系移民であった。勤勉なればこそ、他人種から職を奪う結果をもたらした。また、お金を現地に落とさず、せっせと日本に送金した事や、米国文化に容易に同化せず、同胞だけで固まって集落を形成した事も、事態を悪化させた。日本人移民は、その地位を農業労働者から自作農、あるいは商店主や事業家へと向上させて行った。
その為、次第に彼等の存在は、白人社会を脅かす"競争者"として、憎悪の対象となって行く。皮肉にも、日本人最大の長所である勤勉さが仇になるとは、何とも悲しい話である。
これまでに米国にこれ程大量の日本人が一気に移住した事はなかった。それ故に生じてしまった人種間のギャップこそが、こうした差別と言う形になって現れてしまった事は嘆くべき事実である。共存共栄等と言う言葉は当時の米国には無かった事なのかも知れない。まるで、米国には米国流のやり方があるのだから、日本人もそれに従えと言わんばかりの態度であった。郷に入れば郷に従えと。




