10)レスター・リヴァルー伯爵の思惑
その日も、ローズは教会を慰問していた。王都の一角にある中規模な教会だ。思いもかけない人の姿に、ローズは足を止めた。
「リヴァルー伯爵様。本日もご機嫌麗しく」
珍しく満面の笑みを浮かべるリヴァルー伯爵に、ローズは驚きながらも挨拶をした。
「会いたかったよ。ローズ。君は私の孫かもしれないということがわかってね」
大きく腕を広げたリヴァルー伯爵に戸惑い、ローズは一番近くにいた護衛騎士の後ろに隠れた。
「これはこれは、リヴァルー伯爵様、このような王都の外れの教会にまで、わざわざご足労をいただくとは。あなたの信心は素晴らしいものでございますな」
大司祭が即座にあらわれ、ローズの前に立った。
「大司祭様。耳が痛いですな」
リヴァルー伯爵は笑顔だが、鋭い目つきのままだ。
「先日、とある救護院にいる女達が、老女から私の娘の行く末を聞いたと言って屋敷にまいりましてね」
「ご息女は、たしかお若くして流行り病で亡くなられたはずですが。一度、回復された際に、神の御加護に感謝するためにシスターとなられるとのお話でした。私達も共に祈る方が増えることを楽しみにしておりました。結局は、儚くなられたとご連絡をいただいた。印象深い件でしたから、今でもはっきりと覚えております。お父上であるあなたのご心情を思うと、なんとやるせないと」
大司祭が、リヴァルー伯爵に歩み寄った。幅広い袖からわずかにのぞく指先で、護衛騎士達に下がるようにと指示を出す。
「そのことですが。身内の恥を晒すことになりますので、場所を変えてはいただけませんか」
「左様ですか。では、聖女ローズ様、ごきげんよう。王太子宮の皆様に、私からのご挨拶をお伝え下さい」
大司祭は、言外に帰れと言った。ローズは一礼すると、護衛騎士達に囲まれながら、帰路についた。
その日の夜、王太子宮を訪れた大司祭は、険しい顔をしていた。
「思いがけないお話です」
ローズは、隣に立つロバートの手を握りしめた。普段なら、ローズは眠りについている時間だ。関係ある話だからと、呼び出されていた。
「レスター・リヴァルー伯爵には、マーガレット・リヴァルーというご息女がおられた。流行り病で亡くなったと届け出ていらっしゃるはずです」
「そのとおりだ」
ロバートが広げた貴族の名簿の一点を、アレキサンダーは確認した。
「それが、実は違うと、伯爵自ら告白されました」
その場にいた全員が顔を見合わせることになった。王家に虚偽の報告をすることは重罪だ。
「ご息女、マーガレット様は流行り病で、顔に痣が残り、それを苦にされ、死んだことにして欲しいと、リヴァルー伯爵に懇願されたそうです。その後、突然屋敷から姿を消してしまわれた。リヴァルー伯爵も捜索されたのですが、どうしても見つからず、最早どこかで亡くなったと考え、死亡したと、届けを出されたそうです」
貴族の子女が問題を起こした時、長期療養の後、死亡したと届け出されることはある。屋敷から姿を消して、死亡届けが出されるなど、初耳だった。
「信じがたい話だ。一人娘が行方不明だというのに、さっさと死亡届を出す親がどこにいる」
アレキサンダーが顔を顰めた。
「私が知った以上、殿下のお耳にも入ります。それもご承知の上でお話をされたとしか思えません」
大司祭は、ローズをじっと見た。
「最早娘は亡くなったとリヴァルー伯爵は考えておられた。そこへ、家臣の一人が、思いがけない話を持ってきたというのです。救護院にいる女の話です。女が、救護院で亡くなった老女の打ち明け話を聞いたと言っているそうです。老女は、教会付属の産院で産婆をしていた。マーガレットという貴族らしい女性が子供を産んだ。女性が亡くなってしまい、仕方なくその生まれたばかりの子を、グレース孤児院の前に置き去りにしたというのです。丁度、薔薇が咲き始めるころだったと」
大司祭は、一旦口を閉じた。
「レスター・リヴァルー伯爵は、ローズ様が、自らの孫に違いないとお考えです」
沈黙が部屋を支配した。
「ありえない」
沈黙を破ったのはアレキサンダーだった。
「グレース孤児院の前で見つかった時の記録では、ローズは首が座っていた。数ヶ月は経っているはずだ。生まれたばかりの赤子であるはずがない」
「どうして、そんなことを、リヴァルー伯爵が」
ローズは握ったロバートの手を離せずにいた。明らかに嘘だ。ローズ自身が聞かされていた話とはあまりに違う。
わからないというように、大司祭は首を振った。
「私にも、想像がつきません。ですが、世間には、ローズ様がグレース孤児院で育ったということだけが公表されています。詳細を知る者は限られます。現時点で、私は、その場にいた者達にも、グレース孤児院のシスターたちにも、この件について、一切誰にも何も口外しないようにと言っております」
大司祭の言葉に、アレキサンダーは、重大なことに気づいた。
「あの孤児院にいたころのローズはリゼという名だ。ローズの名は書類にはない」
アレキサンダーの言葉に、ロバートも顔色を変えた。
「忘れていました。今から、何か身元を証明するものをつくるとなると、養い親を用意できればよいのですが。後見がアレキサンダー様ですから、どなたにおねがいしたものか。媚を売ろうとして、争いになっても問題です」
ロバートの言葉にローズの背筋が寒くなった。ローズがローズであるという書類がないのは問題だ。だが、ロバートの言う養い親が、誰をどういう身分を想定しているのか、恐ろしくなった。
「誰が、何の目的で、嘘を言っているかが問題だ」
アレキサンダーの視線をうけ、ロバートが口を開いた。
「リヴァルー伯爵、話を持ってきたという家臣、家臣に老女の秘密を打ち明けたという女、産婆をしていたという老女、老女にマーガレットと名乗った女性、でしょうか」
アレキサンダーもロバートも、ローズの心配になど気づいた様子もなかった。
「伯爵の家臣が誰かわかるか」
「そこまでは、お伺いしておりません」
大司祭が首を振った。
「では、家臣に話をしたという女だな。そもそもどこの救護院だ。レスター・リヴァルーは、慈善活動に然程熱心ではないはずだ。そんな男の家臣が、なぜ救護院に足を向ける」
アレキサンダーの言うとおりだ。だが、ローズの耳にはほとんど何も入ってこなかった。
「ローズ」
何も言わないローズを不審に思ったのだろう。ロバートが、屈んで、ローズと目を合わせてくれていた。
「ロバート」
ローズが両腕を伸ばすと、ロバートは、いつも通り抱きしめてくれる。それでも、ローズは怖かった。ロバートの考え方も何もかも、ローズはよく知っている。
「よその子にしないで」
ローズの言葉に、ロバートの身体に緊張が走った。ローズを抱きしめる腕の力が強くなった。
王太子アレキサンダーが庇護するといはいえ、ローズ自身には何も権威もない。リヴァルー伯爵の思惑が何であれ、彼の孫ということになれば、ローズは貴族だ。伯爵家に対抗できる養い親を得た場合も、ローズは立場だけは、貴族だ。
ロバートは貴族ではない。王家に仕えて長く、代々の王家の子供たちを養育し、王家の揺り籠と敬意を込めて呼ばれる一族であり、ライティーザ王国とほぼ等しい歴史を持ちながら、貴族ではないため家名無しの一族と揶揄される一族本家の生き残りであり当主だ。
ロバートも、ロバートの先祖達も貴族の権威をよく知っているはずだ。だが、何故か先祖代々叙爵を断り続けている。王家に最も近く仕えているということは、危険も多いが、功績を打ち立てる機会も多いはずだ。
ロバートは、イサカの町で疫病を抑制し、税金の着服を暴いたという自身の功績を、周辺地域一帯の平定というレオン・アーライルの功績の一部として報告した。アーライル家の侯爵家への返り咲きという結果を得たが、ロバート自身は何も得ていない。ローズは知らなかったが、ロバートとアレキサンダーが口論になり、アルフレッドが仲裁したらしい。陛下も父親だと思ったと、トビアスが教えてくれた。
ロバートは、アレキサンダーと口論してまで、叙爵の機会を放棄したのだ。
ローズは不安だった。リヴァルー伯爵の思惑から逃れるため、ローズが貴族の養女になってしまったら、ロバートとの婚約がどうなるか、怖かった。養女であっても貴族の娘と、歴史ある一族であっても使用人の男が、婚姻など出来るとは思えない。
ロバートは、ローズを抱きしめたまま、一言も発しなかった。
「よその子にしないで」
何も答えてくれないロバートに、ローズは不安になり、繰り返した。ローズを抱きしめるロバートの腕に力がはいったのは、肯定なのか、否定なのか、ローズにはわからなかった。
ローズは、王太子アレキサンダーに後見される孤児のローズでありたい。ロバートとずっと一緒にいたい。
「よその子になるのは嫌よ。何処かの貴族の家にもらわれるのは嫌よ」
ロバートからの返事はなかった。
孤児院では、何処かの家にもらわれていく子もいた。皆、もらわれていく子達に嫉妬しながらも、幸せを願い見送った。その願いが毎回叶えられたわけではない。
ロバートは、何も答えてくれなかった。普段なら、ローズのお願い事を叶えてくれるロバートが何も、一言も発しない。ローズは不安になった。抱きつく腕に力を込めても、ロバートは何も言ってくれない。
「アレキサンダー様、リヴァルー伯爵の思惑は不明です。ですが、聖アリア教の大司祭である私ならではの手はあります。どうか手を打たせてください」
大司祭の申し出は、思いもかけないものだった。




