9)緑の風と風に舞う鷹
<ロバート、真の戦士の甥よ。あなたに渡したいものがある>
一の王子“風に舞う鷹”の合図で、ティタイトの男達が、箱を持って現れた。
<真の戦士が身につけていた武具だ。真の戦士の甥である男、ロバートが受け取るに相応しい。本当は、渡すべきか迷っていた。お前は、墓を荒らすような者ではなかった。私と一族がずっと守ってきたものだ。真の戦士の一族にふさわしい男、ロバート、あなたにこれを返そう>
“風に舞う鷹”の言葉に、ロバートは息を飲んだ。“風に舞う鷹”が伯父ロバートの遺品を預かっているなど思ってもいなかった。戦争の後、戦場は死者の遺品を漁り、金銭に替える者が、跋扈する。一族の誰もが、諦めていた。
<ありがとうございます。失礼でなければ、今、ここで見ても良いですか>
<無論だ>
ロバートの言葉に、“風に舞う鷹”は深く頷いた。
箱の中には、確かに防具があった。戦いの激しさを物語るように傷ついた防具に、伯父のものであることを示す古代語が刻まれていた。ロバートは胸の内に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
<確かに、伯父のものです。ありがとう、ございました>
言葉が、続けられなくなった。
「ロバート」
そっと抱きついてきたローズを抱きしめ、こみ上げてきた涙を抑えた。
<ありがとうございました>
丘の墓に詣でたときよりも、会ったことのない伯父が二度と戻らない悲しみが、より深くロバートの胸のうちに広がった。
<サーさん、サーさんお父様、また会う、さようなら>
ローズは、相変わらず名前が発音できないままに、ロバートが教えたばかりのティタイトの言葉で、別れを告げた。
<また会おう>
“風に舞う鷹”と“緑の風”は笑顔だった。
ティタイトの一の王子“風に舞う鷹”は、アレキサンダーと、いずれ両国の国交正常化を約束した。先の戦争以前にも、両国は何度も戦を繰り返してきた。今まで、なし崩しに休戦となったことはあっても、友好関係が築かれたことはない。
「ティタイトとの関係が、変わるとよいな」
「えぇ」
東のティタイトと友好関係を築くことができれば、ライティーザの外交上、大きな課題は一つ片付くことになる。
「ロバート、お前の功績だ」
アレキサンダーの言葉に、ロバートは首を振った。
「今回の件は、亡くなった伯父ロバートと、ティタイトの一の王子“風に舞う鷹”の義理堅さのおかげでしょう。これから友好関係を築くことができなければ、誰の功績にもなりません」
「全く、お前らしいといえばお前らしいが」
アレキサンダーの言葉に、ロバートは馬車の足元に置いた箱を見つめたまま、答えなかった。
ライティーザは、大河を挟んで向かい合うティタイトとの戦争が絶えない。前回は、ティタイトが、大河を越えて攻めてきた。
伯父ロバートと、当時ライティーザ王国総騎士団長だった先代のアーライル侯爵は、ティタイトの兵士を、大河の向こうへと追いやった後、大河を越えてティタイトへ攻め入ることに反対した。
指揮権を持っていた第一王子チェスターは、反対意見に耳を貸さず、大河を越えて攻め入った。チェスター王子は、致命傷を負いながらもライティーザの王都まで帰り着いた。王都に帰還後、息を引き取ったチェスター王子は、聖アリア大聖堂の地下に眠っている。
ティタイトへ攻め入ることに反対した先代のアーライル侯爵と伯父がライティーザに戻ることがなかったことを思うと、複雑な心境だった。父を失い、自らも左脚の膝から下を失った当代のアーライル侯爵は、何を思っているのだろうか。
「そうだ。ティタイトの一の王子の息子“緑の風”に、お前は狩りが得意で、鷹に例えられていると教えた。父親の名前は、鷹に因んだ名だといって、面白がっていた。“緑の風”は、父親が草原の神に、命の恩人に会えるようにと言う願をかけた名前だそうだ。兄は別の名だが、同じように願をかけた名だと言っていた」
「アレキサンダー様、彼と直接話をしたのですか」
「話はしていない。一応は通訳を介しておいた。だが、“緑の風”はライティーザの言葉がわかるようだ。ローズの話を理解していた。孤児院では、両方の言葉が飛び交っていた。あれをまとめる者達には、感心した」
「あれには私も驚きました」
イサカの孤児院は、聖アリア教会の司祭と、草原の神の祭司が共同で管理をしている。お互いに信仰を強制しないという司祭と祭司の約束で、維持できている関係だ。そんなことが可能だとは、ロバートもイサカの町に来るまでは想像したこともなかった。
「この町の司祭と祭司の人柄や信頼関係で、ようやく保つことが出来ている関係です。いつ何がきっかけで、崩れるかわかりません」
ロバートがイサカに来た頃は、一隻の船が沈没させられた後だった。ティタイト出自の民への憎悪が高まっていたころだ。信頼関係が壊れかかっていた。
疫病が蔓延していた当時、食料も何もない中、孤児が増え、孤児院を取り巻く環境は最悪だった。町に来た当初、ロバートは、子供たちの置かれた劣悪な環境に眉を顰めた。互いに奪い合い、憎み合う人々があふれていた中、司祭と祭司が必死で子供たちを守っていたことを理解出来たのは、しばらく経ってからのことだ。
孤児院に運び込んだ食料を、町の人々が盗もうとした。ロバートは当初、厳罰で取り締まろうとした。司祭と祭司は反対した。二人は、孤児院で、子供たちに手伝わせて町の者たちに炊き出しをすることを、ロバートに提案してきた。
半信半疑で彼らの言う通りにしたところ、己の行動を恥じたのか、盗もうとするものはいなくなった。
「飢えは人を変えてしまいます」
<子供たちも、お腹いっぱいになれば、悪さもしません>
司祭と祭司は言った。
盗難予防の炊き出しをきっかけに、ロバートはイサカに住む民が信じる宗教指導者達と、ロバートは親しくなった。司祭と祭司から、ティタイトに暮らす者達の、より詳しい情報が手に入るようになった。
当時の町の指導者達の不正を疑うきっかけとなった。
何が幸いとなるのか、わからないものだ。
「あぁ。沈められた船の件か」
アレキサンダーの言葉に、ロバートは現在に引き戻された。
「あの船の件は、賠償問題がまだ片付いていないはずです。この町に腰を据えた法律家のマーティンから、先日報告がありました」
後任の三人がやってきたとき、まさかそのうちの二人のマーティンとカールが、イサカの町に根を下ろすとは思わなかった。
「時間はかかるだろうが、戦わずして解決したい問題だ」
「はい」
戦争をしている余裕など、今のライティーザにはない。ライティーザの武官達は出自が貴族であれ、平民であれ、それをよくわかっている。わかっていないのは、自らは安全な後方にいて、血を流すことのない文官、特に貴族出身の者に多い。
「ティタイトでは、国境のこちら側で治安を改善したレオン・アーライルの評価が高いそうだ。交渉には、レオンも関わらせよう。東との関係は、タリッド侯爵家が関わってきたが、今の当主は高齢だ。次の当主の才覚次第では、タリッド家に関わらせない方法も考えねばならない」
「ティタイトとの交渉は、タリッド家が独占しています。通訳の教育も、かの家が主体です」
「今日の通訳も役に立ったが」
「交渉事となると、政治や経済や外交の用語を理解していなければなりません」
「タリッドの次期当主と、面談も必要になるな」
「ティタイトとの正式な交渉が始まる前に考えましょう。伝統的に、ティタイトとの交渉は常にタリッド家が関わってきました。今回は、偶然に会ったということにしていますから、おそらく問題にはならないでしょう。ただ、公式に交渉に望む場合、常にタリッド家を通してきました。彼らを外すと、彼らの不満を煽りかねません」
「面倒だ」
アレキサンダーが渋面になるのも無理はない。
「おっしゃるとおりです。ですが、交渉相手が定まらないミハダルよりも、国があるティタイトのほうが、関係改善の見込みがある」
「よほどのことがない限り、商人は常に出入りしています。イサカの町以外にも、この周辺は、両国の民が暮らしています。川の民の助けがなくては、大河の往来は困難です。両国にとって、大河を越えてまで支配する意味がない、そうお互いに考えることが出来たらよいのですが」
「全くだ。開戦派貴族を、片端から大河に放り込んで溺れさせてやれば、考えが変わるか」
「全くです」
二人は、寝息を立てているローズを起こさないように小さく笑った。
ロバートは、自分の膝を枕にしているローズの頭をそっとなでた。
「ティタイトとの関係に光明は見えてきた。それだけでも良しとしよう」
「はい」
「あとは南のミハダルだ。ミハダルの火の神は、女性だ。ローズが女性であることが、何か有利に働くかと思って、言葉を学ばせているが。ミハダルは捉えようがない」
「おっしゃるとおりです」
いくつもの有力な部族が、常に移動しながら生活しているミハダルとの交渉は、常に困難を極めていた。
「光明が差す兆しすら無い。人買いや人攫いには、ライティーザの民も関わっている。まずはそこから、叩くことを続けるしかなさそうだな」
「はい」
人買いは王都にもいる。孤児院で育ったローズは、人買いというのは当たり前の存在だと思っていた。違法だとは知らなかったと言っていた。
ライティーザの平民の大半が、読み書きが出来ない。法律の周知徹底が困難な原因の一つだ。グレース孤児院から始まった、子供たちへの教育が浸透すれば、それも変わるだろうが、かなり先の話だ。
「子供は元気だ。孤児院では、出自などに関係なく、一緒になって遊んでいた。子供が出来ることを、大人が出来ないというのは、何のために齢を重ねたのか、虚しくなる」
「はい」
アレキサンダーの言葉に、ロバートも強く頷いた。




