1)論戦開始
聖女ローズの拉致事件。それが今回の御前会議の議題だった。
ローズも以前、御前会議に出席していた頃と同じ席に、着席をしていた。その後ろには近習のロバートが立つ。ローズの隣の席は、本人の強い希望でバーセア伯爵が座っていた。
「聖女ローズ様に拝謁がかない、光栄です。王家の揺り籠は、我が一族にとって、ゆかりの深い、大変恩義のある一族です。その当主のご婚約者でもある聖女ローズ様にお会いでき、バーセア一族の当主として、これほど嬉しいことはございません」
「まぁ、バーセア伯爵様、ご丁寧にありがとうございます。西の雄と名高いバーセア伯爵様にそのようにおっしゃっていただけますと大変心強いですわ。私の救出にも、大変にご尽力を頂いたと、お伺いしております。遠方の御領地から、本当にありがとうございました」
王都での、アーライル家の騎士達の不在を、バーセア家の騎士達が補ってくれていた。ローズは、打ち合わせどおりの仰々しい挨拶を、バーセア伯爵と交わした。
国王アルフレッドの登場で、御前会議の開始となった。
「ロバート、聖女ローズの追跡には、お前が深く関わっていた。当日、王太子妃グレースの警備に関してもお前が決定したと聞いている。詳しい話を聞かせてもらおうか」
「御意」
打ち合わせ通りのアルフレッドの言葉に、ロバートが資料を元に報告を始めた。
ロバートは、最初はよどみなく言葉を紡いでいたが、徐々に荒い呼吸がまじりだす。ローズが座る椅子の背をつかみ、体を支えようとしたロバートを、両脇の近習が支えた。
まだ説明が始まったばかりだった。打ち合わせよりも、遥かに早い頃合いだった。
「ロバート様。どうされました」
「お加減でも」
バーセア伯爵がすかさず立ち上がり、それにレオンが続いた。
「なんと、熱がおありなのでは」
ロバートの手に触れたバーセア伯爵が驚いた声をあげた。
熱があることまでは、バーセア伯爵には伝えていなかった。どうやら本気で驚いたらしい。
「こんな高い熱では、お休みになったほうがよろしい」
背の高いロバートを、頑強なバーセア伯爵が横抱きにしようとした時、ロバートが呻き、地面に倒れ込んでしまった。
「ロバート様、お怪我でも」
レオンはそういうと、ロバートの傍らに跪いた。
「立てますか」
手をかそうとした近衛に触れられたロバートは、首を振り蹲った。
打ち合わせで想定していたよりも、ロバートの体調が悪い。
ローズの目に自然に涙が浮かんできた。なぜ、ローズを助けたロバートが、こんな目に会わないといけないのか、身分の差があるとはいえ、何故直接に抗議できないのか、不条理だと思うと、涙はとまらず、頬を流れ落ち始めた。
「もうしわけ、ありませんでした」
ローズは口を開いた。
「もっと、他の、方法を考えられたら、よかったのに、あの時、身代わりになることしか、思いつきませんでした。もっと、他の方法を見つけたら、あんなことにはならなかったのに。近衛兵も、護衛もいましたし、町には警備兵もいたのに。城壁の門兵も、途中の町でもおかしいと気づくことが出来たはずです。だから、この件は、ロバートのせいでは、ありません。だから、ロバートに、酷いことをしないでください」
何とか打ち合わせに近い言葉を言うことが出来た。打ち合わせでは、泣く予定ではなかった。泣いてしまうと、涙が止まらない。
「ローズ、あなたの、せいでは、ありません」
バーセア伯爵とレオンに支えられ、息の荒いロバートが、ゆっくりとローズの方に手を伸ばした。ローズの涙をふこうとしたが、ロバートの手は届かない。
「ローズ、酷いこととは何だね」
アルフレッドの落ち着いた声に、ローズは、侯爵家の子息達の暴行を、誰がとはいわずに口にした。
「酷い怪我を、殴ったり、蹴ったり、鞭打ち、首を絞めるなんて」
「陛下、どうか、お気遣い、いただくような、問題では、ございません。どうか、お気遣いなく。議論を先に、進めなければ、王都の治安の問題です」
泣きながら答えたローズの言葉をロバートが遮った。
「あなたはそんな怪我はしないわ。相手が貴族で抵抗できなかったのでしょう。身分を盾になんて、卑怯よ」
ローズは御前会議の会場全体に聞こえるように叫んだ。
扇を飾る小さな鏡で、アスティングス侯爵の様子を確認するのも忘れない。聞こえているらしく、怒りの形相だ。
「報告では、ローズもロバートも、全員無事王都に戻ったはずだが。どういうことだね」
アルフレッドが優雅に首を傾ける。
「虚偽の報告だったのか」
「いいえ」
アレキサンダーの声が飛ぶ。
「では、その後になにかあったのだね」
「それは、今は、」
議論の順序が逆になる。個人を叱責する風潮が高まってからでは、制度の改革などには議論が及ばなくなる。アレキサンダーは躊躇した。だが、レオンは、アレキサンダーと異なり、事態を止める気はなかった。
「ロバート様、失礼ですが、上着を脱いで、いいえ、脱がせますよ」
レオンは、倒れないように支えていたロバートの上着を脱がせ始めた。
「うっ」
「なんと」
現れたシャツに滲む血のあとに、貴族達が声を上げた。
ハロルドは、上着を脱いだ時に、怪我をしているということが分かる程度に手当をしてくれというアレキサンダーからの注文に、遠慮なく文句を言いながらも応じてくれた。
アレキサンダーが命じたとおり、シャツの上からでも、生半可な怪我でないことがよく分かる。薬草の匂いと、血の匂いが一気に広がった。
「この痣は、手の痕ですね」
バーセア伯爵が淡々と指摘するなか、レオンが手際よく、ロバートのシャツを脱がせた。
「首を締めようとしたとしか、思えませんな」
バーセア伯爵の声が響く。ロバートの鍛えた背に残る複数の痣、幾条もの鞭のあとに、多くの貴族が目をそらした。
「陛下、お気遣い、いただき、ありがとうございます。ですが、これは、今回の、事態を、招いた私への、当然の叱責です。ですから、お気遣い、いただきませんよう」
レオンに支えられ、ロバートは立ち上がった。それまで見えていなかった貴族にまで、傷があらわになり、会議場はにわかに騒がしくなった。
「首を絞めた手の痕が痣になっていますから、それで誰の手か、わかると思いますよ」
レオンは首の痣をなぞり、痣に手を添えてみせた。
「ちなみに僕は違います」
レオンは獰猛な笑みを浮かべた。
「レオン様、お気遣いありがとうございます。ですが、どうか、そのような御詮索は」
ロバートは、暴行を加えた貴族、アスティングス家の子息達をかばった。先に、解決せねばならない問題があるのだ。
「今は、報告の途中です」
優先すべきなのは、個人の叱責ではない。次の事件を防がねばならないのだ。
「突き止める必要はあります。よもやお忘れではありますまい。今回の件、近衛としても大変な失態です。ロバート様にこのような怪我を負わせるほどのものであれば、僕も罰していただかなくてはなりません」
レオンは笑顔だが目が笑っていなかった。
「そんな、レオン様のせいではありません、だって、そもそも市街地は、警備兵が担当です。それにレオン様のおかげで、地方の騎士団も動いてくれたときいております」
ローズの言葉にも、レオンは笑顔を浮かべたままだ。
「あのあたり一帯は、アスティングス侯爵様、あなた方の担当地区ですね」
ローズの言葉に、王都の別の市街地を担当する貴族が、アスティングス侯爵家の当主フィリップににこやかに語り掛けた。自分達は関係ないのがうれしそうだ。
打ち合わせとはことなるが、第三者から、アスティングス侯爵家の失態を指摘する発言というのはありがたい。
「なんだと、では、娘のグレースは私たちの手落ちで、襲われたというのか。聖女ローズが攫われたのは、私たちの責任かね」
「いえいえ、まさかそのような意味ではあいませんよ」
貴族たちが牽制し合うなか、レオンに支えられていたロバートの体が傾いだ。
「ロバート」
ローズの悲鳴に、倒れかかったロバートが踏みとどまった。
「陛下、どうかロバート様の傷の手当を。かなり高熱です。どうか」
アルフレッドの許可を待たずに、バーセア伯爵はロバートを、自らの護衛に背負わせた。
「許可する」
思わず立ち上がったローズにアレキサンダーが声をかけた。
「ローズ、ロバートに付き添ってやりなさい」
「はい」
本来はもう少し、報告が進んでから、ロバートの傷のことを明らかにする予定だった。事件のあらましの説明と、王都周辺の警備や、城壁の検問の強化を先に提案する予定だった。
ロバートが受けた暴行のことを明らかにしたら、誰かに責任を取らせるための非難の応酬になることはわかっていた。
アレキサンダーが考えていたよりも、レオンとバーセア伯爵は、ロバートを暴行したアスティングス家の子息達へ強く憤っているらしい。レオンの発言を容認しているアーライル侯爵もおそらくは同じだろう。
予定外の事態だ。だが、アレキサンダーは、改革の提案をやめるつもりはなかった。ロバートへ暴行したウィリアムとウィルヘルムへの追及を諦めるつもりはなかった。
王都で人さらいが横行しているのだ。対象が貴族になっても連れ去ることは可能だ。その危機感がなさすぎる。王都で安寧に過ごしている貴族たちは、王都に潜む危険を軽視しすぎだ。
選民意識の弊害だろう。平民だろうが貴族だろうが人は人だ。攫ってしまえば同じなのだ。
身分を傘に横暴を奮ったアスティングス家の子息達を許すつもりもない。だが、それに気を取られ、今回の会議の本来の目的を忘れてはならない。
アレキサンダーは気を引き締めた。アーライル侯爵、レオン、バーセア伯爵と目を合わせた。
ロバートへの暴行は許せない。だがそれを理由に、王都周辺の治安機構の改革を先送りにするわけにはいかない。アレキサンダーは、冷静であれと己に繰り返した。




