18)バーセア伯爵とローズ
微かなうめき声に、ローズは書類から目を上げた。
寝台では、うつ伏せにロバートが眠っている。鞭に打たれ、裂けた傷口が相当痛むのだろう。ロバートは、寝返りを打とうとして、微かに呻くことを繰り返していた。
ハロルドは手当しながら、御前会議の日程に散々文句を言っていた。
怪我をしてから、ロバートは昼も夜も眠っている事が多い。普段仕事をしすぎだから、丁度いいというのがハロルドの見解だ。
ロバートの髪は白髪に元の茶色が、わずかに交じる程度だ。あの日、ローズがグレースと一緒に、アスティングス家に見舞いに出発した日までは、ロバートの髪に白髪など無かったはずだ。
心労のせいだろうとハロルドは言った。
「ロバートは、一人で色々背負い過ぎだ。ローズ、無茶はするなよ。君がいなくなったら、きっとロバートは壊れてしまう」
自分が攫われたせいだとローズは思ったが、ハロルドは違うと言った。
「そこはなぁ。男心だ。説明は難しい」
ハロルドの言葉に、アレキサンダーも頷いていた。
ロバートを、御前会議よりも前に王宮に移動させ、治療に専念させるというアレキサンダーの決定に反対する者はいなかった。今まで王太子宮で行っていた御前会議の打ち合わせも、王宮で出来るようになったから問題ないと、アレキサンダーは言った。
これまでは耳目が多いと、国王であるアルフレッド自ら王太子宮に赴いていたのだ。アルフレッドは、ローズやソフィアと遊びに来ているだけではなかった。
「一応、私も国王だから仕事をしていたのだよ」
ローズの髪を梳かし、ソフィアのために花輪をつくっていた張本人の言葉に、ローズも笑った。
ローズはそっとロバートの額を冷やしていた布をとった。熱が続いているためか、布は僅かに温かい。布を取り替えた時だった。
王妃の間の隣にある控えの間の扉が開いた。掃除が出来ていないはずの部屋である。ローズは緊張したが、見知った顔に安堵した。一生懸命手招きをしている。ちょうど、孤児院で悪戯をしようと誘われた時にそっくりだ。
ローズは手元の書類を片付けると、手招きに応じた。
王宮の、特に国王アルフレッドの周辺の侍女と侍従達を信頼できる者、ローズが孤児院に居た頃の知り合い達に、数ヶ月前に取り替え終わったから、大丈夫だとアルフレッドには言われている。
グレース孤児院に慰問にいったとき、見知った顔がいなくなってから随分になる。シスター達に良い仕事先がみつかったと、教えてもらっていた。まさか、王宮とは思わなかった。
護衛代わりのアレクサンドラと一緒にローズは隣室に向かった。
「バーセア伯爵様」
今朝の打ち合わせで会ったばかりの貴族の男性に、ローズはカーテシーをした。ブレンダ・バーセアにどことなく似ている。骨太で、日焼けした逞しい体躯の男性だ。威圧感はあるが、似たような体躯のアランとレオンを知るローズは、怖いとは思わなかった。
「先程は、お礼を申し上げることもせず、失礼いたしました。ブレンダ様の首飾りには、本当に助けられました」
「ローズ様のお役に立つことができ、光栄です。本来ならば、ブレンダは剣を取り、このような事態を防ぐべきでした。お役に立てず、申し訳ありません」
バーセア伯爵の言葉に、ローズは目を丸くした。
バーセア伯爵家は、西の国境地帯を治める名門中の名門だ。ライティーザ王国の歴史とともにある家の一つだ。
その当主が、ローズに敬称をつけ、恭しく振る舞い、なぜか、伯爵令嬢のブレンダが剣をとって戦うべきだと言っている。
確かに、ブレンダは有事にソフィアの警護が出来る乳母という基準で選ばれた。ローズの警護はそこには含まれていない。
「いずれロバート様の奥方様となられるお方です。何事もなく、救出できたとの連絡に、一族一同安堵したものです」
バーセア伯爵は笑顔だった。
「それこそ、ローズ様が、掠り傷でも負ってしまわれた日には、血の雨が降ることは、目に見えていましたからな」
豪快に笑いながら、物騒なことをいったバーセア伯爵に、ローズは声も出なかった。
「当然ですわ。ロバート兄様ですもの」
バーセア伯爵の血なまぐさい発言に、アレクサンドラは驚いた様子もない。
「あの、バーセア伯爵様、私は貴族ではありませんから、私に敬称は不要です。伯爵様に、敬称をつけていただくなど、恐れ多いことです」
初対面のときから気になっていたことを、ローズは口にした。
特に御前会議では、ローズを疎んじている貴族も多いのだ。今回の御前会議に、バーセア伯爵は関係者の一人として参加する。普段、御前会議に参加していない名門古参貴族に、敵意を持つ貴族もいるだろう。
「何をおっしゃいますか。聖女ローズ様。我が一族の本家の当主の未来の奥方を、敬称なしに呼ぶなどありえません」
バーセア伯爵は、間違いなくブレンダ・バーセアの父親だった。こういう時は、ロバートに頼りたいがロバートは扉一枚隔てた隣の部屋で眠っている。
敬称に関して、ロバートは毎回相手に押し切られている。この押しが強そうな、アランと張り合う体躯と威圧感のあるバーセア伯爵に、ロバートが勝てるわけがない。
ローズの沈黙を了承と判断したのだろう。バーセア伯爵は笑顔をうかべた。
「ローズ様。是非、これをお収めくださいませ」
バーセア伯爵が、小さな箱を差し出した。
「これは」
バーセア伯爵に促され、箱を受け取ったアレクサンドラが、蓋を開けた。
「まぁ。素晴らしい。でも、受け取れません」
真珠の首飾りだった。ブレンダが持っているものよりも小さい、どちらかというと首周りを飾る程度のものだ。
「ぜひ、お受け取り下さい。ブレンダがお役に立てなかったお詫びです」
バーセア伯爵は笑顔だ。アレクサンドラも笑顔だ。断る雰囲気ではない。
「あの、お気持ちだけで。私の判断で、高価なものを勝手に受け取ることなど出来ません」
ローズは抵抗を試みた。
「お受け取り下さい。必ず御前会議にはつけていらして下さい。必ず貴方の助けになります」
バーセア伯爵の目は真剣だった。
「どうか、ローズ様。私達からもお願いです」
アレクサンドラはそう言うと、真珠の首飾りを手にとった。
「また、ローズ様に、なにかあったら、ロバート兄様は今度こそ心労で、倒れてしまいます。どうか、兄様のためにも、ローズ様の身を守る助けになりますから」
アレクサンドラの言葉に、ローズは負けた。
「ありがとうございます。お礼を言うはずが、こんなに素敵な贈り物までもらってしまって、私、どうしたらいいのでしょう」
わからないときは、その場で一番偉い人に聞く。幼い頃、“記憶の私”に教わったことだ。
「お気持ちだけで十分です。どうか、ロバート様をよろしくお願いいたします。一族の心からの願いです」
バーセア伯爵の目は真剣だった。
「はい。私に、何ができるかはわかりませんが」
ローズはロバートにいつも助けてもらっている。ずっと守ってもらっているだけなのだ。
「どうか、御身を大切になさって下さい。あなたがおられることが、ロバート様に必要なのです」
「はい」
ローズの言葉に、微笑むバーセア伯爵は、娘のブレンダ、孫のミランダによく似ていた。
王妃の部屋にローズが戻ってきても、ロバートはまだ眠っていた。額も手も熱い。
布を水で濡らし、そっと額を拭いてやる。ゆっくりとロバートの目が開いた。
「ロバート」
ローズが声をかけると、ロバートは嬉しそうに微笑む。
「少しお水を飲みましょう」
ローズが促すと、手をついてゆっくりと起き上がる。熱に浮かされているためか、ロバートの動きは緩慢だ。
「これは」
ロバートの目が真珠の首飾りでとまった。
「バーセア伯爵様にいただいたの」
ローズは、先程会ったばかりのバーセア伯爵のことを話した。
「ローズはたくさんの人に、愛されていますね」
背中の傷が痛むため、ロバートは背もたれに、背を預ける事もできない。並んで座るローズの肩を抱いて支えにしている。
あまりローズに重みをかけないように、気を使ってくれているが、怪我人なのだから無理はしなくていいと思う。
「御前会議につけてきてくるようにといわれたわ」
「えぇ。そのほうがいいでしょう」
真珠の首飾りに触れたロバートの指が、ローズの首にも触れた。熱い。熱が高いのだ。そろそろハロルドが傷の手当に来る時間だろう。
「ロバートをよろしくと言われたの」
ローズの言葉に、ロバートは微笑んだ。微笑みに、僅かに影が潜んでいた。ローズは、ロバートの頬に触れた。熱い。相当に体調は悪いのだ。
「無理をしないで」
御前会議まであと三日だ。とはいえ今日はもう終わろうとしている。実質二日しか無い。
ロバートが無理をせざるを得ない状況であることはわかっている。また、無理をするつもりであることも知っている。
「無理をしないで」
ローズは、ロバートの首筋にすがった。
「一人にしないで」
ロバートは、黙ってローズを抱きしめてくれた。




