16)朝
朝、ロバートは、腕の中で眠るローズが目覚めるのを待っていた。ゆっくりと、琥珀の瞳と目があった。
「ローズ」
ロバートは、ふわりと笑ったローズを抱きしめた。
「ロバート」
「おはようございます」
どちらともなく朝の挨拶をした。
伸びをしたローズの足が、ロバートの足にあたった。
「あ、ごめんなさい」
「いいえ。ローズ、あなたが謝ることではありません」
「でも、蹴っちゃったわ」
ロバートは、己の唇で、なおも言い募ろうとするローズの言葉を止めた。
「ロバート」
ローズ自身は抗議しているつもりなのだろうが、上目遣いに睨まれても可愛いだけだ。
「謝らねばならないのは私です。あなたを危険な目にあわせてしまった。一番、側に居なければいけない時に、あなたの側にいませんでした。あなたに、一人で、あなたにとって残酷な決断をさせてしまった」
「そんなことないわ。ロバートは、私を助けてくれたわ」
両手を伸ばしてきたローズが、ロバートの首筋に抱きついてきた。
「くすぐったい」
ロバートに頬ずりしたローズが笑った。
「まだ、起きたばかりで、髭をそっていませんから」
笑っているローズの頬に、ロバートはわざと頬を擦り付けた。
「もう。ロバート、くすぐったいの」
逃れようとしたローズが、ロバートを乗り越え、寝台の反対側へと転がった。
「落ちますよ」
ロバートは、腕を伸ばしてローズを引き止めた。
「ありがとう」
ローズはまた、ロバートの首に抱きついてきた。
「ねぇ。ロバート。私、帰ってきたのよ」
両頬を、ローズの手で挟まれた。驚くほど間近で目が合う。
「ねぇ。私、帰ってきたの。おかえりなさいって言って」
ローズは笑顔だった。ロバートは呆気にとられ、何も言えなかった。
「ねぇ。おかえりなさいは」
ローズの琥珀の瞳に、窓の光が映り込んでいた。茶色の柔らかい髪の毛が、陽の光をうけ、輝いていた。
「ロバート、おかえりなさいって言って」
ロバートには、ローズの意図がわからなかった。
「おかえりなさい」
「ただいまかえりました」
ローズが、満面の笑みを浮かべた。
「私は、帰ってきたの。帰ってきたのよ。無事に。だから、ありがとう。もう、謝り合いは無しにしましょう」
「ローズ、ですが、私は」
「あなたのせいではないわ。助けてくれたもの」
なぜか、ロバートの胸が熱くなった。
「ローズ、なぜ、」
「助けてくれたわ。助けに来てくれると、信じていたわ。信じていられたから、怖かったけど、がんばれたわ」
「ローズ」
ロバートは、ローズを抱きしめた。ローズは大きくなった。もっと、小さい頃から知っている。あの頃、抱きしめた小さなローズは、抱き上げるのも簡単だった。同じ背丈の小姓達よりも軽かった。素直で敏く、生きることに不器用なローズを、守ってやりたいと思った。
守っているつもりで、助けられているのは、自分かもしれない。
「ローズ。無事に、帰ってきてくれて、ありがとうございました。本当に、よかった」
涙が、ロバートの頬を伝った。
「あなたを、失うかと思うと、本当に怖かった。どれほど、後悔したか」
後悔だけではない。
あの日、ローズを、王太子宮から出さなければよかった。行かせるのではなかった。見舞いにいくというグレースを止めてもよかった。ローズを、グレースに同行させるのではなかった。何度も後悔した。
だが、それでは、グレースの身に、万が一のことがおこっていただろう。ローズのことしか考えていない、自分の狭量さに幻滅した。
近衛兵達が、町の警護を担う衛兵達が、門番達がなぜ、ローズを助けなかったのかと恨み、他人に責任転嫁しようとする己の浅ましさに、嫌気がした。
「会いたかった。どれほど、会いたかったことか。あなたが、無事で本当によかった」
捕らえられていたローズのもとに行きたかった。ローズを取り返したかった。だが、そんなことをしたら全てが無駄になるとわかっていた。できなかった。遠目に一度見ただけだ。助けたかったのに、長としての立場が、許さなかった。
助けたかった。助けることが出来たはずなのに、助けられなかった。
「あなたを、助けたかった。助けられたのに」
出来なかった。大切な人を、守るために、助けるために鍛錬していたはずなのに、助けるわけにはいかなかった。
「奴隷市場の場所がわかる好機だったもの。私一人を助けても、何も解決しないわ。きっとまた、似たような、もっと大変なことがおきてしまったかもしれないもの」
「ローズ」
ローズは敏く賢い。グレースの身代わりとなったことも、ローズを捕らえていた奴隷商人達に目立って抵抗しなかったことも、無理に逃げようとしなかったことも正しい。
ローズはまだ、成人したばかりなのだ。
王太子になったばかりのアレキサンダーとロバートが、反対勢力から命を狙われていたときと同じ年齢だ。あの頃、毎日のように命を狙われていた。ローズには、あんな思いをさせたくなかったというのに、今回の拉致だ。
ロバートは、ローズをみすみす攫わせてしまった無力な己が情けなかった。己の無力さを嘆くことしか出来ない、己の立場が辛かった。あのときほど、王家の揺り籠とも、家名無しの一族とも呼ばれる一族の人間であることを、辛いと思ったことはなかった。だが、一族ですらなかったら、一介の使用人であったらローズを追うこともできなかった。
「ロバートは、私を助けてくれたわ」
ロバートは、ローズを抱きしめ、頬ずりした。
「くすぐったい」
ロバートは、笑うローズに口づけた。
「愛しています」
「私も」
ローズの短い答えに、ロバートはもう一度ローズの唇を、己のそれで覆った。
「会いたかったの」
息をつぐ間に告げられたローズの言葉に、ロバートはローズを抱く腕の力を強くした。




