20)ここにいるべき男
「ぜひ、あなたのご協力をいただきたいのですが」
今、一番聞きたくなかった男の声だった。“霧を晴らす風”は、恐る恐るゆっくりと振り返った。
「ここで、立ち話も何ですから」
男の言葉は穏やかだが、表情は全く笑っていない。ライティーザの王太子の家臣、長身の男、ロバートが立っていた。
「俺は旅の商人だ」
「えぇ、ですから、商人としてのあなたに、お願いしたいことがあります」
断ることは、出来なさそうだった。
ロバートの要求は単純だった。
「時間を稼いでいただきたいのです」
「なぜだ」
「町の外に、兵を用意しています。今、街道の封鎖を突破したら、気づかれます。ライティーザ王国としては、奴隷商人達を一網打尽にしたい。そのために、奴隷市場で競りが始まり、人が集まった頃に、街道を突破し、奴隷市場を取り囲む予定です。奴隷は売り買い、いずれも禁止です。全員纏めて捕らえたいのです」
「無茶だな。距離がありすぎる」
仲間の一人が首を振った。
「ですから、時間を稼いでいただきたいのです。商人ではない私には出来ません」
「無茶だ。街道から市場までの距離がありすぎる」
「すでに、ある程度の人員は町に入り込んでいます。競りの時間を長引かせたい。出来るだけ時間を稼いでいただきたいのです。今の手勢でも、競りの責任者を仕留めることはできます。競りが混乱し、時間が稼げるでしょう。それでも足りないのです」
ロバートの言葉に、仲間たちは顔を見合わせた。
「時間か」
“霧を晴らす風”が、先ほどまで腹を立てていたことだ。
「このあたりの町では、奴隷市場が不定期に開かれる。その度に俺たちは足止めだ。貴族は皆、奴隷市場のことが漏れないように街道を封鎖する。おかげで俺たちはいい迷惑だ」
ロバートの目は、獲物を見つけた獣のようだった。
「街道の封鎖を、ここ一帯の貴族は盗賊の増加、川の氾濫、がけ崩れ、近隣の火災などと、王宮に報告しています。偽証罪です。国王陛下を欺いているわけですから、不敬罪も適応可能でしょう。彼ら貴族を厳罰に処することができます」
ロバートは、ライティーザ王都の馬市で、小さな女と居たときとは、別人のように冷酷な微笑みを浮かべていた。
「貴族を裁くには時間がかかります。証拠や、その後の始末を考慮せねばなりません。少々お時間をいただけますか。私が見返りとして、奴隷商人達を一網打尽にし、彼らと手を組む貴族達を始末するというのは、いかがでしょう。今後、街道の封鎖は相当減るはずです」
ロバートは、貴族達を始末すると言うとき、全く躊躇しなかった。禁止されている奴隷売買に関わり、偽証罪と不敬罪まで罪状が加われば、貴族達の運命は自ずと知れる。極刑だ。ロバートは淡々と一切の戸惑いも感慨もなく語った。恐ろしい。敵に回したくない男だ。“霧を晴らす風”は、背筋を冷たいものが流れるのを感じた。
「信頼できる奴は、他に居ないのか。手はある」
古参の仲間が言った。
「残念ながら、商人の知り合いは、近辺にはおりません」
「誰でもいい。競りに入り込めたらいい。お前のように、どこか上品な奴は無理だ」
「居るには居ますが、私同様、商売の心得があるとは思えません」
「それは、俺が教えてやろう。お前が、奴隷商人と、奴らと手を組む貴族を捕らえ、罰してくれると誓うならば、俺の仲間の敵をとってくれるのならば、俺はお前に手を貸そう」
仲間は、“霧を晴らす風”を見た。
「俺は、俺の兄の敵をとりたい」
仲間の言葉に、“霧を晴らす風”は、目を閉じた。父の敵を取れるかもしれない。だが、この男が、本当に貴族を捕らえ裁くことができるとは、思えなかった。
「貴族であろうと、容赦するつもりなどありません。奴隷商人を一網打尽にし、奴隷商人達と手を組む貴族を裁くのでなければ、こんなに面倒な手はとりません。とっくに救い出しています。何日もあの子を、奴らの手の内に置くなど、したくはなかった」
吐き捨てるような口調になっても、ロバートは上品な言葉遣いのままだった。
「囮か」
“霧を晴らす風”の言葉に、ロバートが頷いた。
「大変不本意ですが、奴隷市場の場所を突き止めるには、他の方法がありませんでした。絶対に、彼らを逃したりなどしません」
皆殺しにしてやるという、声が聞こえたような気がした。
同じことを仲間も心配したのだろう。
「程々にしな、若いの。生け捕りにしねぇと、意味がねぇ。次もまた、奴隷市場はあるはずだ。生け捕りにして、吐かせねぇと、奴隷市場はどこかで続いていく。奴らも商売だ。ミハダルが奴隷を必要とする以上、奴隷商人が奴隷を売る相手は居なくならねぇ」
“霧を晴らす風”も頼りにする、少し年嵩の仲間の言葉に、ロバートがゆっくりと頷いた。
「えぇ。ご忠告通りです。口が利ける程度にはしておきましょう」
口を利くことができれば、あとはどうでも良い。ロバートの言葉は、“霧を晴らす風”の耳にはそう聞こえた。




