57 どこにもない国
『伝令、伝令! まもなく着陸します! 乗員各員は落下に備えてください!』
竜車同士で連絡するための機材から、そんな音が流れてくる。
私は今すぐ飛び降りても無傷だろうけど、殿下には私がちょっとした防御魔術をかけておく。オーガスタはやってほしそうにこちらを見たが、自分でできるだろうと無視した。
安全のためオーガスタの隣に戻る。殿下の膝とはしばしの別れとなるが、殿下の側に座ったままだと座席に身体を括り付ける用の縄が足りないからだ。
地上まであと何メートルかの案内を聞き流しながら、急いで座席に括り付けられる。縄が緩んでいないのをオーガスタと確認しあい、衝撃に備えて丸まるような体勢を取った。
やがて、ドサッ、とわかりやすい着地音。恐る恐る周囲を見回すと、どこを向いても真っ白な場所だった。
深呼吸をする。さっきまでのことを思い出す。竜車に乗って移動をしていた。殿下とオーガスタとが同乗していた。
抱えるほどの水を出し、えいと操って簡易の鏡として使う。外見が記憶の最後と変わった様子はない。少なくとも外見が変わるほど未来に記憶喪失になった、という可能性は消えた。
周囲は真っ白だ。もう少し詳細に言うなら、白い紙に他のところから切り取った「私」を貼りつけたみたいに白い。それなのに湿気た木々の香りもあるから、雨の翌日の実家みたいでなんだか警戒しづらい。
こういう事態に近い例は、ダンジョンだ。
ダンジョンなら仕方ない、肩から下げているマジックバッグに腕を突っ込んで、私しかいないならとっておきを掴んだ。そう、魔弓ヒトニミセルナを。
「やめて!」
取り出そうとした手が抑えられた。周囲の景色ものっぺりとした白から濃霧の森くらいに変化している。私の手を押さえているのは冷たく青白く細い右手2本。ヒトにしてはとても長い腕付き。
叫びそうになったのを我慢して、手から離れるように跳ぶ。しかし跳んだ方にも無数の右手が迫る。激流でどどんとやるには私が被害を受けるし、直上に転移をしたはずなのに高さが動いた気配がない。
「も、お、ぉ、おっ!!」
こうなったらヒトニミセルナ以外も大放出。悲鳴とも怒声とも区別できない叫びをあげながら、とりあえず思いついた端から使える道具と魔術を振りまいて、私は最初にいた場所から逃げる。
「“穿て雷”“燻る焔”“沈め泥濘”っ!!」
パッと使える魔術で迎撃。どの魔術も右手をひとつずつ撃ち落としただけ、まだまだ逃げられない。
前からも右手が伸びてきたので、とっさにマジックバッグから出した油の瓶を投げて火を放つ。手がひるんだので他にも同じようにするかと思ったが、下げていたマジックバッグが消えた。
「ちょーっと、ちょっと。敵意はないのよ。ただあの道具を出されるのは困るのよ」
乾いた杖で地面を叩くような音。周囲の白は霧が払われるように失われ、森のような風景に変わる。とっさに声のした方を見れば、私のマジックバッグを持った女性が立っていた。
見た目は極東出身と読み取れる、暗い色の瞳に暗い色の長い髪。簡素なドレスともとれる深い紫のワンピースは、袖や裾にあしらわれたレースもより暗い色の刺繍も上等なものに見える。
しかし、彼女の最も目立つところはそれらではなく、頭の上に載せられた紫水晶のティアラだ。文字通りすべてが紫水晶でできているように見え、ほぼ原石なのか縁に岩のようなものが付いている。
「あなた、魔女?」
「そうよ、そうなの。私は魔女なのよ」
ならば、私と彼女の間に何かあれば、互助会のルールで処理されるだろう。先日出席したときの席次である3が優先順になるので、2を持っていたオーガスタか、1になるだろう互助会長以外が相手であれば大抵私は悪くなかったってことになる。
私が少しだけ警戒を解くと、歌うように話す彼女はうれしそうに手を叩く。
「とても、とても珍しくお客さんがきたわ。みんな、お茶会よ!」
彼女がそう森へ言うと、いわゆるガーデンテーブルセットが木々の向こうから歩くようにやってきた。わっせわっせとでも言うかのように、よたよたよちよち懸命に移動している。
ティーセットは当然のように空を飛び、やっとのことで予定位置にたどり着いたらしいガーデンテーブルの上に軟着陸をする。蓋がかたん、と揺れれば湯気が出てくるようになり、どうやらお茶が淹れられたらしい。
「まずはそうね、ようこそネイテル国へ。歓迎するわ」
「……ネイテルぅ?」
それは伝説って言われている国でいいのかしら。
ネイテル国はどこにも存在しないが、間違いなくある国と言われている。
訪れたことがある、という情報をまとめた──かつて“統計屋”から売りつけられた──本では、訪れたヒトの特徴も訪れてから帰ってくるまでの時間も訪れた際の場所もすべてばらばらで、共通しているのは突然到着したことと帰還時は互助会の神殿に帰ってきたことだけ。
それゆえネイテル国を探すヒトは互助会の神殿にやってくる。しかし神殿からネイテル国へ行けたものはいないという。
目の前の女性はカップを手に、ズズ、と音を立ててお茶を飲む。服装はさておき、どことなく貴族階級ではなさそうに見える。
私もカップを手に取りひと口。薬草茶の処理に失敗したときみたいな、土みたいな味でそっとカップを戻す。
「それで、いつ帰れるのかしら」
「そうね、いつかしら。少なくともこのお茶を飲み終わるまでは無理かしら」
「マジックバッグも返してもらいたいのだけど」
「どうしようかしら、アレだけは出さないでほしいのよね。約束してもらえるなら返すのもやぶさかではないの」
アレ、と呼ばれた武器を思う。どうやったのかヒトニミセルナについてを知っていて、詳細についても心当たりがあるらしい。私はないのにね。
「出さないでほしい理由は?」
「言ってもいいかしら、これくらいなら平気かしらね。アレを目印に入国禁止のヒトが来るのよ、とんでもない魔法使いよ」
「興味あるなあ」
「駄目よ、絶対にダメ。せっかくネイテルにいるのだから、ゆっくりしたいの」
魔法使い。対価を元に超常現象も起こす、魔術より制約のないものである魔法を使うという。魔女魔術師なら目指す目標であり、不老不死をも叶えた存在とか。
私も不老不死に近いことをやりたい、というのがあるのでかなり興味があるが、呼び出すとマジックバッグが帰ってこなくなりそうなので我慢だ。
「……わかったわ。アレ、は出さない」
「嬉しいわ、わかってくれて。帰り道は今探しているの、いつもみたいだとあなたが通れないから」
マジックバッグが手元に戻ってきた。中身をざっと見て、ひとまず減っていないようで安心した。当然だが、ヒトニミセルナは出さない。
「私のことに詳しいのね」
「ええ、ええ! あなたの事だけではないけれど、それはいくらか残念なのだけど。なんなら魔術の適正だってわかるわ、あなたはお父さんとお母さん譲りで生まれつきの適正は火と土。けれど“ポーラいち有名な”になったから水が、緑の魔神や飛竜神のせいで風が強く適性になってしまったってことも」
「どうしてそんなに詳しいのよ」
「魔女魔術師は大好きなの。私もずっとなりたくて、夢を見たくらい! だから魔女魔術師のための互助会をつくっちゃったの」
「互助会をつくっちゃった」
ということは、目の前にいるのは魔女魔術師の互助会長。名前を奪われたヒト。魔神たちが母と呼ぶ者。
と、森の奥から足音が聞こえてくる。見れば猫足バスタブに乗せられて、金属の縁がついた質素な木の扉が運ばれてきた。
「思ったよりも早かったわ、帰り道が見つかったみたい。これを通れば元の場所に近い神殿に行けるわ」
「本当?」
「近いだけだから、同じとはいえないのだけど。あなたのうっかり落ちた穴はふさいで、次は神殿からじゃないとここに来れないようにしたわ」
「それは、ありがとう?」
「ええ、そう。たまには遊びにきてちょうだいね」
優雅に手を振って見送られ、私は扉を開けて飛び込む。
2、3度の瞬きのうちに、私は冷えた神殿に立っていた。ステンドグラス越しに入ってくる薄い光に、今は夜なのだろうとあたりを付ける。
「……本当にネイテル国ってあるんだ」
「存在しますよ」
独り言のつもりに返事が来る。ちょっとびっくりして振り返ると、カンテラを掲げる神殿の職員らしい服装のゴーレムがいた。
私は恥ずかしさを隠しながらゴーレムに尋ねる。
「そ、それはどうも。ところでここはどこかしら」
「ここは南ガルヴィニアにある駐在神殿です。ついでに、日付で言うならポーラ王国連邦標準表記八神暦4519年4月6日午前2時12分です」
「……は?」
確かに移動経路にはあったけども、というか8時間くらい経過しているのだけど。
この後なるべく早くやらないといけないことを頭の中に列挙して、私はひとまず冒険者ギルドの場所を訪ねることにした。殿下に連絡を取るためにも、仮の拠点が欲しいからだった。




