10 緑の魔王
空間転移で会都の貸しアトリエの庭に戻り、どっかに居るだろうオーナーさんに声をかける。
「ごめんなさい、予定していたよりも早く予定が終わってしまって。今日の晩御飯は自分で何とかするわ」
廊下の奥に去っていくところだったらしく、オーナーさんから返事はない。
とりあえずの食事は買ってきたもので済ませることにして、明日からしばらくの睡眠に備えることにした。
途中にあったという殿下の訪問をすべて無視しながら、ゴーレムが届く日までたっぷりと寝だめをして、夕方。
「アルヴィ、生きてるか」
「ねてる……」
「おい、起きろ」
それはもうたっぷり寝ているところをイケメンに起こされた。これは殿下だな。
殿下は前回とは別の、黒くて豪奢でゆったりとした服を着ている。会都で仕事をするとき、偉い人は大体民族衣装なので、これは魔族の民族衣装なんだろう。自分と異なる民族衣装を着るのは割と面倒なことになりやすいので、調べたこともないけれど。
「アトリエの外でお前が慌てていると報告があったが、寝ているとはどういうことだ」
「ねてる……」
「ではなんだ、あれはドッペルゲンガーか何かか?」
「ねてます……」
「いい加減に起きろ!」
上掛けを剥がされそうになって、私は上掛けにしがみついたままベッドから落ちる。痛い、目が覚めた。
殿下は床に転がったままの私を抱き上げて、私は寝るときに着ている白いワンピース姿のままリビングに連行される。リビングのテーブルセットには2人分の食事が用意されていて、私が座らされた席の正面には胃腸に優しそうなトマトスープと、柔らかいパンがいくつか乗ったカゴが置かれている。
「とっとと食べて目を覚ませ。その料理は好きだと言っていただろう?」
「わーおいし」
寝ぼけたまますするトマトスープ+パジャマ代わりの白ワンピース。結果は分かるだろう、吐血したみたいにワンピースが赤くなって、私の口には特に何も入らない。
最初は黙って見ていた殿下も、スープが半分になったあたりでエプロンを取りに行き、だるだるの袖をまくり上げて私の口にスープ運び始めた。
「味はどうだ」
「ねむい」
「味は! どうだ!」
特に殿下に用はないので、私は頭をぐらぐら揺らしていることを自覚しつつ給餌を受ける。味と言われてもトマトと塩の味しかしない。しかもちょっとしょっぱい。もう少ししゃっきりしてきたら文句を言おう。
「やはり別の場所で保護して定期的に給餌をした方が確実か? しかしそれはアルヴィ向きではないしな……」
「ぐぅ」
スープに顔から突っ込む。変に起こされたせいでまだ眠い。
ぐわーとかなんとか叫ぶ殿下を無視しつつ、溺れない程度に減ったトマトスープの海で夢を見る。
ぷかぷか浮かぶパンの島、パスタの船。時々トマトが氷塊のように横切って、私の船はひっくり返る。島では殿下がサメに襲われていて、サメは何でできているのだろう。
魔力が揺れて、ばちんと音がするくらいはっきりと目が覚めた。予定より少し長く眠っていたのは分かる、殿下が給餌をしてくれたことも。
私は慌てて立ち上がる。その勢いでスープ皿がくわんと音を立てた。服を脱ぎ捨てながらお風呂場に急ぎ、脚に引っかかった下着は思い切り振りぬいた。
その場で用意したお湯に石鹸を落として、魔術でお湯の流れを操作する。お湯が私の周囲を回るたびに、石鹸が融けて泡まみれの流れになり、私はその場に立ったままお湯に洗われていく。
すすぎに新しいお湯を使い、殿下にぶつけそうになったのと似て非なる風の魔術で乾燥させる。お風呂場の外には誰が用意したのか新しいワンピースとローブが置いてあったので、下着が足りないと思いつつ適当に着てサンダルをひっかけた。
「アルヴィ!」「ごめん来客!」
殿下の制止を振り切って、前触れを飛ばしてきた相手を出迎えるためアトリエを出る。
幻想種の飛来する音。アトリエの庭に降り立とうとしているのは、正体を隠す気が微塵もないグリフォンの姿だった。
「先生!」
『おや、お出迎えとは』
階段を降りるような気軽さで、爪先から幻想種は若かりし頃の先生に変わり、前に踏み出せば先日の通り老齢の先生になる。背後には私を3メートル強の棺桶が置かれており、その中にゴーレムが入っているのだろうと思った。
「結局住所を聞きそびれましたので、綴人の回線に連絡を流させていただきました。迷惑になっていなければいいのですが」
「っあー、それはすみませんでした」
「それより、もう冬なのですからもっと暖かい格好をしなさい。私の襟巻を貸してあげましょう」
風が吹くより早く白い毛皮の襟巻を巻いてもらい、もふとした感触に顔をうずめる。紅茶のさわやかな香りがして、そういえばこの人はストレートティーが好きだったなことがぼんやり思い浮かんできた。
「それでは、どちらで設定をしましょうか」
「客間を使ってください。こっちです」
先生を案内するべくアトリエの扉を開ける。そこにはスレンダーマンもとい真っ青な顔の殿下が立っていた。青っていうか白っていうか土気色っていうか、まあ血の気が感じられないことだけは確かだ。こういう感じの壁かな?
「殿下邪魔」
「……」
殿下は無言のまま奥に引っ込んでいった。こういう感じの扉だったようだ。
ひとまずは室内に先生を案内し、途中で棺桶が曲がれなかったので外に戻って温室へ。
「先ほどの方について、詳しく聞いても?」
「殿下のことです?」
「ええ、あなたの見た彼について知りたいのです。どうせ名前や地位については知っていますから」
温室の床をざっと綺麗にして、周囲の植物に避けてもらいながら棺桶を運び込む。
マジックバッグにいいお茶とかなかったかとあさっていると、先生から殿下について質問された。
殿下のこと、詳しくねえ。
「なんか、私が小さい時からすごい世話を焼いてくるんですよ、あのひと。今日も私にご飯を食べさせるためだけに来たみたいで。ちょくちょく好きとは言われているんですが、なんというかこう……私とテオを同列に扱っている節があって」
テオというのは殿下のペットの蛇だ。私の太ももよりも太い胴をしていて、たまに毒を分けてもらうことがある。彼の趣味は殿下を甘噛みすることと殿下に巻き付くことだ。
「多分“ちょっと手がかかる可愛いペット”って思われているみたいで、そういうところがないなーと」
「ありがとうございます。思いのほかのろけ話の色が強かったのでもういいです」
温室の床に置かれた棺桶。横に座りこんだ先生は数か所にある留め金を外して蓋を開く。
大半はゴーレム本体とそのメンテナンス道具で、棺桶を立てたときに頭に来る方には服の収納スペースがあった。
学院で見た時と異なり坊主頭なので、先生の方に視線を向ける。
「どうせなのでフルメンテナンスをしまして。肌はこれ以外選べませんが、髪と瞳の色を選べるようにしてみました」
開いたカタログを渡されて、閉じてから返す。
「初期設定のままでお願いします」
「面白くないですがまあいいでしょう」
開かれていたページには『アヴァンギャルドレッド』『セクシーオレンジ』と訳の分からない色が並んでいた。そんな色選んでたまるか。
その後、何度か来る「面白いデザインに」という誘いをすべて断り、オーナー登録を済ませる。すぐ使うわけではないと伝えると、先生はつまらなさそうに棺桶の蓋を閉じた。
「これで初期設定は終わりです。頑張って自分のアトリエを獲得してくださいね」
「ありがとうございます」
棺桶ごとゴーレムをマジックバッグに収納して、先生を見送ろうと立ち上がる。
しかし先生は軽快なステップで温室を飛び出し、アトリエに向かって走っていく背中しか見えなかった。
「こらー!!」
しまった、先生は『教えるもの』としての性質が表に出ているけど基本的には享楽主義だった!
大急ぎで先生を追いかける。だめだあの老人早い! さすが半分鳥!
「おやアルヴィ遅かったです」
ね、という終りが出てくる前に、私は先生を適当に空間転移で飛ばした。行先? 知らん!
床に倒れこんでいる殿下を抱きしめて、背中を叩いてあやす。あれはああいいう形の災害だと思った方がいいから、と宥めれば殿下は私の巻いていた襟巻をぺそっと落として抱きしめ返してくれた。
「よしよし怖かったねー」
しばらくそのままでいると、踏ん切りがついたのか殿下の腕の力が緩む。
「アルヴィ……」
「なーに」
「あの方はいったい誰なんだ」
「あの人は私の先生」
で、と言葉が続く。ということは言って差し支えないということだろうと勝手に正体を告げる。
「緑の魔神、アウローラ様だよ」
やっぱり災害みたいなものでしょう? と私はため息を吐いた。




