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「んぅ…ん……」
自分の呻き声で俺は目を覚ました。
浮上した意識をつなぎ留め、ゆっくりと目を開け、もうすっかり見慣れてしまった染みだらけの小汚い天井を見上げる。
「………くそ」
俺は今しがた見た夢を思い出し、顔を顰めながら吐き捨てる。最悪な目覚めだった。
ここはアルカディア王国領の端っこも端っこ、『生贄の町』ホープにある、数ある宿のうち最もランクの低い宿『夢と希望の宿』の一室だ。
生贄の町って名前の由来は、魔王の軍勢に狙われた際真っ先に狙われるところがここだからだとよ。
この宿の部屋は狭く、かび臭いにおいが漂い、おまけにベッドは固いときてる。調度品も無ければ本の一つも置いてない。
城の自室と比べるべくもない最低限寝られるってだけの部屋。それが今の俺の全てだった。
一週間前、俺は王様の部下として潜り込んでいた過激派の一人に気絶され、目を覚ました時にはすでにこの町のこの宿のベッドの上に無造作に横たえられていた。
起きて相当知らない天上が目に入ると、俺の頭は大混乱になった。何ここ!?どこここ!?って困惑して部屋中をうろうろしていると、机の上に手紙が置いてあることに気が付いた。
その手紙には俺が放り込まれた町の情報と放り込まれた理由が書いてあった。その手紙を読んだ俺はすぐに理解した。過激派共がついにやりやがったってね。
文の最後の方に殺さないだけありがたいと思え的な事が書いてあって、そう考えると最悪の事態だけは避けられたようで、ついほっとした溜息が漏れた。状況は悪化の一途を辿っているにも拘らずだ。
この町に捨て置かれた初日はとにかく金を稼がなければと思い仕事探しに奔走したけど、仕事も安い賃金のものしか見当たらず、故に金の無い俺は安宿暮らしを強いられていた。
いや、あるにはある。あの過激派共が手切れ金のつもりかわからないけど俺の懐に金貨100枚、(日本円にして100万円ほどだってよ~)が忍ばせてあった。
でも俺はその金に手を付けようとはしなかった。
俺の中にあった(こんな状況でようやく気付けたくらい小さな)なけなしのプライドが、あの糞共の施しなど使うくらいなら安宿暮らしの方がましだと訴えていた。
だから俺は手を出さなかった。
天井の染みをぼんやりと眺めていると、まるでずっと前からここに住んでいたような錯覚に陥る。たった一週間ほど前の出来事なのに、酷く昔の事のような出来事に感じる。現実感が無いと言えばいいのか。
日が経つにつれ、新藤君たちとの思い出がまるで楽しかった夢の様にしか思えなくなってくる。だって新藤君も岩井さんも王女様も普通に生きてたらまず知り合えないような人たちなんだもの。
それこそ夢のようじゃなければ、一体何だってんだろう?
「……やめだ、馬鹿馬鹿しい」
俺は頭を振るって思考をクリアにすると、気分転換のために窓の外を眺めた。でも空は陰鬱とした雲に覆われており、まるで今の心境をそのまま映し出したみたいな空模様で、余計に気が滅入ってきた。
「はぁー…」
空なんて見るんじゃなかったと軽く後悔しながら、俺はけだる気に掛け布団を体から引きはがし、寝間着から着替えてさっさと部屋を出た。あんな部屋に長時間籠ってたら気が変になる。ならまだ外にいた方がマシだった。
廊下を通り、階段を下って愛想のない店主のおばちゃんに挨拶をし、床でラリッてるジャンキーをまたいで宿を出る。
この宿は裏通りにあるためか人影もまばらで、目につく者と言えば浮浪者やジャンキーがふらついているくらいだ。
あまり彼らとは関わり合いになりたいとは思えない。ここにいるのは表にはいれない様な奴ばかりだ。トラブルは御免だった。俺はできるだけ目を合わせないように俯きながら速足で歩き去り、表通りに出る。
表通りに出ても、正直のところ安心できるとは言い難い。何せみんな沈んだ表情をしているのだ。
男も女も爺さんも婆さんも子供も、果てや犬猫にいたるまで、この空模様と同様にどんよりとした雰囲気を纏っていた。
1週間前、はじめてこの町に来させられたときから何も変わらぬその光景を見て、俺はその時と同じようにうんざりと首を振った。
本来この町にいた人々の大半はとっくの昔に首都やその付近の町に逃げ去った。今ここにいる人たちは故郷とともに滅ぶことを望んだ人と、逃げ去る事すらできないほど金のない人と、来る魔王の軍勢に立ち向かおうとする命知らずの馬鹿しかいない。
もし魔王の軍勢が攻めてきたとして果たして何人生き残れるだろうかと考えてみたが、これ以上気分を落ち込ませるのは得策ではないと思い、俺はあれこれ想像するのを止めた。どのみち魔王共が攻めてくるのは当分先の話(王様がそう言ってた、なら安心だな、ガハハ!)なのだ。
なら考えたところで仕方がない。それに、どれだけ考えようが俺一人でどうこう出来る様な話でもないのだ。
「気の滅入る話だぜ…」
俺はあえて口に出して周囲の反応を見てみるけど、反応するものは誰もいない。みんな自分の中に閉じこもってしまっている。灰色の空模様と暗く沈んだ住民を見ていると、まるで灰色を背景とした一枚の絵の中に迷い込んだような錯覚に陥る。
(……空気が重い)
自分の吐く息すら地面に沈殿してしまいそうになるほどの重苦しい雰囲気が町全体に蔓延している。この重ぐるしい気配の正体は深く濃い諦めだった。
この町にいるすべての人が自身の運命を悟り、諦め、処刑台に立って首を切られるのを待つ囚人の様に、ただその時を待っていた
「……」
これ以上ここで独り言を言ってもレスポンスは期待できそうになかった。何よりこれ以上いれば自分まで重い空気になってしまいそうだった。
「そんなのごめんだね」
頭をがりがりと掻きながらそう呟くと、俺はすたこらとその場から歩き出した。
向かう先は決まっているから、俺の足取りは酷く軽い。数分ほど歩いていると正面に年季が入っていながらよく手入れされた建物が見えた。
ここはファンタジー作品でおなじみのギルドってやつだ。魔物退治から薬草取りまでいろんな仕事を斡旋してくれる住所不特定者からしたら夢のような施設だ。
俺もその恩恵にあやかっている哀れな住所不特定者の一人。 俺は迷いなく扉を引き開け、中に入った。
ギルドの中は外と対照的に喧騒で満ち溢れ、非常に賑わっていた。ギルドは酒場も兼ねており、真昼間にもかかわらずジョッキを持って酒を飲んでいる人が大勢いた。
実はその中の大多数がギルドに登録した冒険者じゃなかったりする。彼らの正体はやけになって酒で現実を忘れようとするこの町の住人たちだ。
何処にだって現実から逃れられる場所は存在する。全てから見捨てられた町なら猶の事そういう場所が重宝される。
しかし俺は酒で酔いつぶれる人を見るたびに、それが良い事とはどうしても思えなかった。
たとえ一時酒現実から逃れられたとしても、酔いが醒めれば一時の空白に一気に現実が流れ込んで来るだろう。その時の苦しみは果たしていか程なのであろうか?
…きっとそんなことを考えられるのは、俺に(多少なりとも)力があるためなのだろう。彼らにはその余裕すらないのだ。
俺は酔っ払いどもを難儀してよけながら仕事の依頼が張ってあるボードの方へ向かった。そこには酒場と違って全くと言っていいほど人ががおらず、仕事の依頼書が誰にも剥がされることなく物寂し気に貼り付けてあった。
どうせもうすぐ死ぬのなら、仕事なんてしてられるか、そういう思いがひしひしと伝わってくる、そんな光景だった。
まあそのおかげで仕事が選びたい放題なのだから、好都合ではあるのだが…。
この退廃的な空気の中にいると、否応なくこの世界が危機に陥っていることを自覚させられる。お城にいたころでは得られなかった感覚だ。
「嫌になるぜ……」
俺のつぶやきは、酒場の喧騒で誰にも聞かれることなく一瞬でかき消された。
「はぁー…」
俺は軽くため息を吐くと簡単に終わりそうな依頼を2つか3つほど見繕って、カウンターにのろのろと近づいていった。
「仕事の受注を」
「…ハイ、只今」
死んだ目をした職員の兄ィちゃんに依頼書を渡すと、俺は手続きが終わるまで手持無沙汰気にポケットに手を突っ込んで終わるのを待った。
「あぁ?な~んだふにゃふにゃ野郎がまた仕事なんか受けてやがるぜ」
横槍が入ったのはその時だった。
俺はうんざりとしながら声をかけてきた酔っ払いに顔を向ける。そこには世紀末風な棘々した鎧を着た大柄なおっさんがでけージョッキ片手に俺を見下ろしていた。
このおっさんは全てを諦めた側の冒険者であり、こんな状況で仕事を受ける奴が気に食わないらしく、俺が仕事を受ける度こうしてちょっかいをかけてくるのだ。
「おいおっさん、昼間から酒だなんて大人として恥ずかしくないのかよ」
「うるせ!ふにゃふにゃうるせ!どうせお先真っ暗なんだ!酒を飲まなきゃやってられねぇ!」
そう言っておっさんは俺に酒臭い息を吐きかけながら、樽みたいなジョッキに並々と注がれた酒を喉を鳴らして流し込んだ。
おっさんは空になったジョッキを叩きつけるように机に置くと、さらにアルコールが回った様子で大声で叫んだ。
「てめぇも仕事なんかしてんじゃねぇや!真面目ぶりやがって…、ふざけんな!」
「そうだそうだスカしてんじゃねぇぞ!」
「このふにゃふにゃ!」
「また女装しろ!」
おっさんが俺に難癖をつけると、それを援護するように酒場の方から次々とヤジが飛んでくる。…ていうか最後の奴誰だ!ふざけんな!もうやらねぇよ!
「この酔っ払いどもが…!」
「…終わりましたぁ」
俺がわなわなと怒りで震えていると、背後から声がかかった。振り返ると兄ィちゃんが俺に受注済みの書類を差し出していた。
「どーも」
俺は書類をひったくるように受け取ると、そそくさとその場から逃げるように出口へと向かった。
途中背中にヤジが飛んでくるけど、その悉く俺を無視した。いい加減うんざりだった。この町の雰囲気にも、それを作り出す住人にも、ギルドの酔っ払いにも。
(どいつもこいつも…!)
俺は無性にイライラしていた。それは運命をただ受け入れるその姿勢にか、それともその姿に共感を覚えている自分に対してなのか判断はつかなかったけど、とにかく俺は怒っていた。
そして俺が内心怒りながらドアを引き開けるのと、外からものすごい破砕音が轟くのはほとんど同時だった。
「ッ!何事!?」
俺はその破砕音に仰天し、目の前の光景を見てさらに仰天し、絶句して立ち竦んだ。
さっきまで死人の様に静まり返っていた町から悲鳴と怒号が聞こえ、さらに火の手が上がっていたんだ。
おまけ
「おいおまえ、これ着ろ」
「は?」
それは4日目の仕事終わりの話。
依頼の達成を報告して賃金をもらってさあ帰ろうとした矢先に、おっさんが俺の前にそれを突きつけてきた。よく見るとそれはギルドの女性用の制服だった。
「いや着る訳ないだろ、アホかあんた」
俺は当然のようにその要求を突っぱねた。当り前だろ!俺にそんな趣味は無ぇ!
「なにぃ~!!!おい聞いたかみんな!こいつみんなの期待を裏切って着ないつもりだぞ!」
おっさんがそう叫んだ途端、酒場にいる全員が一斉に怒鳴りだした。
「なんてノリの悪い奴だ!」
「つまんねぇぞ!」
「男見せろ少年!」
「このふにゃふにゃ!」
「えぇ…(困惑)」
押し問答の末、結局着る羽目になり、俺は現在更衣室の中にいた。
「これ着るのかぁ……」
俺は押し付けられた女性用制服を顔の高さまで上げてまじまじと見る。見れば見るほど憂鬱になっていく。なぜ俺がこげなもの着なきゃあかんのか?疑問が尽きることは無く、濁流となって俺の頭を支配する。
「……はぁ」
数分ほどそのようにして見てたけど、結局観念したようにため息一つ吐き出し、俺はいそいそと服を脱いでゆく。
上着を無造作に脱ぎ捨て、ズボンを脱ぐために手をかけたところで、ふと鏡に映った自分の姿が目に付いた。
この世界に来る前と比べ、俺の体は幾分かスマートになっていた。と言っても、新藤君に比べれば全然だけどね。だってあの子服越しでも鍛えているのが分かるくらいがっしりしてきてるんだもの。怖いわぁ~ん。
中肉中背でやや脂肪がついていた腹回りはずいぶんとへっこみ、くびれが見えるほどで、正直あまり男らしい体つきと言えないような気がする。髪も散髪してないから、肩にかかるくらいまで伸びていた。
改めて見るとなんだかなぁ…。そう思いながら俺はくびれの部分に手を当てる。
新藤君というすさまじい比較対象がいるためか、どうも自分の体が貧弱に思えてならない。筋肉はついてきてるはずなのにだ。比較対象と俺との隔たりが大きすぎるからそう思ってしまうと考えたいが…。いやしかし……。
ペタペタと物珍し気に触る姿は酷く滑稽で、鏡に映っているのが自分の姿なのに、どうにも鏡像と俺とが頭の中で一致しない。
「……現実逃避は止めにしよう」
このまま考えても埒が明かない。俺は考えを打ち切り、無心で制服を身に着けていくが、ここで一つの問題にぶち当たった。
「スカートの履き方ってどうやんだよ…」
そう履き方が分からないのである。
悪戦苦闘の末どうにか履くことに成功した俺は、若干げんなりした内心のまま酒場まで歩いてった。
(なんかチンたまがスース―する)
下半身の違和感に俺は眉を顰める。こんな感覚、生まれて初めてじゃ。よくもまぁ世の女性はこんなもんを履いて生活してるもんだ、と感心していると、いつの間にか酒場の前まで来ていた。
(行かなきゃダメ?ダメだよなぁ…)
自問自答の末、俺は意を決して大衆の眼前にその姿をさらした。
酔っ払いどもは一瞬静まり返り、俺の事をまじまじと見た。
(おいおいおい、何だよあんま見んなよ恥ずかしいだろ)
俺は多くの視線に絶えながらじっと待っているけど、いくら待っても何の感想も無い。訝し気に思った俺は諸悪の根源であるおっさんに話しかけようとした。でもそれとちょうど重なるタイミングであちこちから一斉に落胆の声が上がった。
「なんかあんま違和感ねぇなぁ…」
「意外性が無い!」
「つまんなぁ~い!」
「せめてもっと恥ずかしそうにしろよ」
「はぁー…(糞デカ溜息)」
「このふにゃふにゃ!」
予想外の反応に虚を突かれた俺だけど、次第にふつふつと怒りが沸き上がってきた。
「こ、この野郎、言わせておけば好き勝手言いやがって…!」
恥ずかしい思いをしてきてやったというのにその反応は何だ!せめてもっとなんか言う事あるだろ!!!
俺は謎の敗北感に襲われ、その敗北感のままに酒場から飛び出した。泣いてなんかないぞ。
…服を回収してなかったから結局次の日も制服を着る羽目になったのは内緒だ。
こんな話があったとか無かったとか。