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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎

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後継者の行方

「陛下がお呼びということだが……どういった要件だろうか……」


 劉肥りゅうひは宮殿に向かいながら呟く。


「後継者の件だろうか?」


 父・劉邦りゅうほうは後継者について悩んでいた。


 太子・劉盈りゅうえいを仁弱とみなし、劉如意りゅうにょいこそが自分に近いと思っているためである。そのため劉盈を廃して劉如意を立てたいために劉如意を趙王に封じてからも常に長安に留めている。


 劉邦がそのような考えを持っていることを理解している劉如意の母である戚夫人せきふじんは関東に向かう際に常に従い、日夜啼泣して自分の子を太子に立てるように求めていた。


 一方、皇后である呂雉は年長(老齢)だったためいつも長安を守っており、劉邦に会う機会が減ってますます疎遠にされていた。


 女への寵愛度合いもあり、段々と後継者を劉如意に傾きつつある劉邦は何度も後継者にしようとしていたが、これに対して大臣達は猛反対していた。


 特に激しかったのは御史大夫・周昌しゅうしょうである。彼があまりにも朝廷で強く争ったため、劉邦が理由を問うた。


 周昌は元々口吃で、怒りで興奮していたため、どもりながらこう言った。


「わ、私の口は、は、話ができませんが、私はそ、そうすることが相応しくないと知っております。陛下がた、太子を廃そうとするのならば、わ、私は命を奉じることができません」


 劉邦はおかしくて笑い出しつつ、わかったと言った。


 この会話を呂雉は東廂(主殿の東にある部屋)で聞いていた。


 議論が終わると彼女は周昌を招いて跪き、


「あなたがいなければ、太子が廃されてしまうところでした」


 と言って感謝した。


 周昌のおかげで取り敢えず、太子の廃立が行われなかったが、劉邦は自分の死後に劉如意を守れなくなるのではないかと恐れ始めた。


 すると符璽御史・趙堯ちょうぎょうが、


「貴強(高貴で有力)な人材で呂雉や太子、群臣がかねてから敬憚している者を趙王のために相として置いては如何でしょうか」


 と進言した。


「誰が相応しいか?」


「御史大夫・周昌こそが相応しいでしょう」


 この意見により、劉邦は周昌を趙の宰相に、趙堯を周昌の代わりに御史大夫にした。


 因みに劉盈の傍には四人の賢者がおり、後継者に選ばなかったというのがある。実際に四人の賢者が劉盈の傍にいることは事実だが、この時点でほぼ劉如意が太子になることは無くなったと思われる。


「だが、また悪い虫でも出てきたかもしれんか……」


 困ったことである。そう思いながら、彼は劉邦を訪ねた。


「肥でございます」


「入れ」


 劉邦の部屋に劉肥は入り、拝礼を行う。


「どのような要件でしょうか。陛下」


「ああ、太子についてだ」


(やはりか……)


「陛下、その件は大臣たちによって反対されたはずでございます」


「ああ、如意についてはな」


 父の言葉に怪訝な表情を浮かべることに対し、劉邦は彼を見据えながら言った。


「お前を太子にしたいと思う」


 沈黙が生まれる。


「何を言っておられるのですか?」


 言葉を震わせながら、劉肥は言う。


「盈では後継者にふさわしくないと思うのだ」


 劉邦は劉盈を嫌っているというわけではないが、人の上に立つには物足りないと感じていた。


「陛下、皇太子殿下は確かに大人しい方ではございます。しかしながら皇后との長子でございまし、ここまで何の問題も起こしたこともございません。評判も悪くなく、悪徳を成したこともない。それにも関わらず、廃立するなど、もってのほかでございます」


 動揺しつつも劉肥は反対する。


「長子というのであれば、お前こそがそうではないか」


「陛下っ」


 劉肥は声を荒らげた。


「良き兄であれと、おっしゃられたことをお忘れか」


 拳を強く握る。


「盈が可哀想ではございませんか。何も悪いことをしていないにも関わらず、気が弱いというだけで、皇太子の座から落とされるなど、兄として許すわけにはいきません」


 劉邦は劉肥の目から涙が流れるのを見る。


「わかった。お前には悪いことをした。皇太子の変更はせぬ」


「ご英断でございます」


 劉肥は拝礼しながら言った。


「盈には私がおります。弟たちもおります。陛下に及ばないとはいえ、兄弟が手を取り合えば、漢の礎を成すことはできましょう。ご心配はいりませぬ」


「そうだな……」


 劉邦は目を細める。劉肥の成長を感じて嬉しいという思いと今更、父親面をする自分に苦笑する。


「では、もう一つ話したいことがある」


「何でしょうか?」


「陳豨という男についてだ」


「確か、陳豨は国境の守備についている男でしたね」


「そうだ」


 劉邦は頷く。


「その男に不穏な動きが見えると趙にいる周昌からもたらされたのだ。しかも匈奴との繋がりがあると」


「なるほど……しかしながら慎重に行うべきです」


 罪が無い者を疑心によって罪ある者に変えてしまうこともある。


「わかっている。だが、九分九厘反乱が起きると思っている。そこでお前の軍も動かしてもらうことになる。良いな」


「承知しました」


 劉肥は劉邦の元から離れると駟鈞しきんと合流した。


「不穏な動きを見せている者がおり、もしかすれば我が国の軍を動かせということだ」


「そうでございますか。是非とも活躍なされませ」


 駟鈞を横目に劉肥は頷く。


「それで不穏な動きを見せている者とは?」


「陳豨というそうだ」


「ほう、それはそれは」


 駟鈞はけらけらと笑う。


「どうした?」


「いえいえ、その男は……面白いことになっております」


「面白いこと?」


 劉肥は目を細める。


「ええ、その男、韓信かんしんと繋がりを持っています」


「韓信……かつての英雄も堕落したか……」


「そうですなあ」


 駟鈞はにやりと笑った。




 

『蛇足伝』にて、張良が四人の賢者を勧めた話しを書かない理由を述べています。

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