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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎

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貫高

 趙の貫高かんこうらによる劉邦りゅうほう暗殺計画が行われようとして失敗したが、その陰謀を貫高の怨家(貫高を怨む者)に知ることになり、怨家はこのことを劉邦に報告した。


 実際に嫌な予感を感じていただけに劉邦は激怒し、趙王・張敖ちょうごうと背叛を謀った者を全て逮捕するように命じた。


 趙午ちょうごら十余人は争って自剄していく中、貫高だけは怒ってこう言った。


「汝等はなぜ自殺したのか。王に謀がないのは事実である。しかし王も一緒に捕えられることになった。汝らが皆、死んでしまっては、誰が王の無罪を明白にするのか」


 貫高は膠で密封された轞車(檻車)に乗り、趙王と共に長安に入った。


 捕らえられた貫高は獄吏に主張した。


「我々だけでやったことである。王は確かに何も知らない」


 獄吏は拷問を始めた。笞で数千回も打ち、更に刀を刺した。体中が傷ついてこれ以上打てる場所がなくなるほどであったが、貫高は最後まで他の発言をしなかった。


 その頃、呂雉りょちが劉邦にしばしば言った。


「張敖は公主との関係がありますので、そのような事はあるはずがありません」


 しかし劉邦は、


「張敖に天下を取らせれば、娘との関係がいくらあっても意味がないではないか」


 と言って従わなかった。


 廷尉(法官)が貫高の状況を報告した。劉邦は終始、自分の主の無実を訴える相手に感動し、


「壮士である。誰か彼を知っている者はいないか。個人的に貫高を問いただしたい」


 と言った。すると中大夫・泄公が言った。


「彼は私の邑子(同邑の者)ですので、以前から知っています。彼は元々趙において、義によって自立し、侵辱を受けることなく、語った事を守る者でした」


 因みに中大夫や太中大夫は郎中令に属し、論議を管理する役職である。

 

 劉邦は泄公に符節を持たせて貫高がいる箯輿(竹の寝床)に派遣した。泄公は貫高を慰労してから以前と同じように楽しく談話し、折を見て問うた。


「趙王は実際に計を謀っていたか?」


 貫高は首を振った。


「人の情において父母や妻子を愛さないということがあるだろうか。今、私の三族は全て死罪を言い渡されている。我が王に対する愛が我が親(家族)に対する愛に勝ると思うだろうか。三族を犠牲にしてまで王のために嘘をつくはずがない。本当に王は謀反していないのだ。我らだけでやったことなのだ」


 貫高は謀反のいきさつと趙王がそれを全く知らなかったことを詳しく語った。泄公が入朝して全て報告した。


 正月、劉邦は趙王・張敖を釈放した。但し王位を廃して宣平侯に落とした。そして、代王・劉如意りゅうにょいを趙王に遷した。


 貫高を賢人だと判断した劉邦は泄公を送って、


「趙王は既に釈放された」


 と伝え、併せて貫高も釈放した。貫高は喜んで問うた。


「我が王は本当に審出(釈放)されたのか?」


 泄公は頷いた。


「陛下があなたを尊重したからあなたを赦したのだ」


 すると貫高は、


「私が死なずに一身を傷だらけになったのは、趙王が謀反しなかったことを釈明するためである。今、王が既に釈放されたのであれば、私の責任も果たされた。死んでも恨みはない。それに、人臣でありながら簒弑の名を負って、何の面目があって再び陛下に仕えることができようか。たとえ陛下が私を殺さなくても、私の心に愧(慚愧)が生まれないはずがない」


 と言い、空を仰ぎ見ながら頸脈を絶って死んだ。


 因みに趙王・張敖が逮捕された時、劉邦はこのような詔を発していた。


「趙の群臣・賓客で敢えて趙王に従う者は全て族滅する」


 しかし趙の郎中・田叔でんしゅく孟舒もうじょら十人が髠鉗(髪を剃って首枷をすること)して王家の奴隷となり、張敖に従った。田叔、孟舒らも獄に繋がれた。


 張敖が釈放されてから、劉邦は田叔、孟舒等を賢才とみなして引見した。実際に話をしてみて、漢の廷臣では右に出る者がいないほどの能力があると判断を下し、劉邦は喜んで全て郡守や諸侯の相に任命していた。


 当時、趙には多くの才能が集まっていたのである。












 紀元前197年


 淮南王・英布えいふ、梁王・彭越ほうえつ、燕王・盧綰ろわん、荊王・劉賈りゅうか、楚王・劉交りゅうこう、斉王・劉肥りゅうひ、長沙王・呉芮ごへいが長楽宮で朝賀を行った。


 続けて、劉邦の父・劉大公りゅうたいこうが亡くなったため、その葬儀にも皆、参加することになった。


 喪主として劉邦は大いに悲しんだ。


 帝位に着いてからの劉邦は父のことを大切に扱っており、時々寂しそうにしていることがあった時、劉邦が左右の者に理由を問うて、父が好んでいた屠販(屠殺業)の若者や、酤酒売餅(酒売り、餅屋)、闘鶏・蹴鞠等が全て身近からなくなってしまったため楽しめないという理由を知ると、劉邦は故郷の豊のような邑を酈邑に作り、新豊と改名させ、故人(旧知)を遷して父を喜ばせた。


「ふむ……」


 劉邦の父の葬儀には多くの人臣も参加していた。その一人である季布きふは葬儀が終わった後、怪訝な表情を浮かべた。


「どうかしましたかな?」


 陳平ちんぺいが訪ねた。最初は項羽こううの元臣下ということで、警戒心を持たなかったわけではなかったが、季布はしっかりと公私を分けて、分別を心得ていたようで、他の項羽の臣下とは全く関わらないようにしていた。


 そのため信用できると考えていた。


「いや……」


 季布は少し首を傾げる。


「どうしたのです?」


「斉王の臣下として従っている者の中に見たことのある顔がおりましてな」


「ほう」


 陳平は目を細める。


「名はわかりますか?」


虞子期ぐしき


(項羽の義弟……)


「見間違えかもしれんがな」


 そう言う季布に陳平は言った。


「見間違えではないかもしれません」


「ほう」


「楚軍が秦へ向かう上で、食料が不足したことを覚えておられますか?」


「ああ、それでお前がそのことについての調査を行っていたな」


 その後、あの大虐殺に発展するとはあの時は思っていなかったものである。


「今、思い出したのですが、その調査で駟鈞しきんという男の名が出てきていました」


 季布は眉を上げる。


「駟鈞……斉王の謎の外戚」


 表に出てこないことで有名な男である。


「そうです。もしも虞子期とその男が同一人物だとすれば、もし同じやり方で取り入ったとすれば……」


「考えすぎではないか?」


 季布としてはそう思えてならない。


「もう一度、あのような悲劇を繰り返しますか?」


「だが、可能性があるというだけだ」


「可能性があるのであれば、潰さなければならない。そうではありませんか?」


 陳平の言葉に季布は言葉を瞑らせる。


「確かめる必要があるが……どうしたものか……」


 彼が考え込む。その様子を遠くで劉敬りゅうけいが見つめていた。


「ちっ」


 小さく舌打ちした。










 

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