礎を築くは誰か
劉肥は困惑した。
(裾を掴むのは良いが……一体、何の用なのか?)
自分の裾をつかみ、自分の動きを止めた劉恒は何も言わず、じっと自分を見るだけだからである。
(変わった子であると聞いていたが……)
先の論功行賞の場には劉邦の子供たちも参加させられていた。その中で見られない子を見つけたため、陸賈に聞いた。
「ああ、あの方は陛下と薄姫との子の劉恒様だよ」
「薄姫……ああ、女官長だった」
「そう、陛下も手を出すにしても手広いよねぇ」
やれやれと肩をすくませる陸賈に劉肥は劉恒について聞いた。
劉恒は親孝行の子であると評判が立っている。薄姫が病に倒れている時に自ら毒味を務めて、不眠不休で看病にあたった。
正式に劉邦の子として認められると他の子供たちと同じように学問の師が付けられ、他の子供たちと一緒に学び、食事も取るようになった。
そんな中、彼は座る時は皆が座った後に座り、立ち上がる時も皆が立ち上がった時に立ち上がる。食事の時は皆が食し初めてから食した。
「儒教からすると合格点を与えても良い子のようだな」
劉肥がそう言うと陸賈は少し渋い表情を見せた。
「そうだねぇ。ただ、少し行き過ぎてるところもあるんだよねぇ」
例えば、毒味の件である。確かに讃えられるべき行為ではあるが、一皇族で行う行為ではない。
次にこういうことがあった。劉恒は誰よりも質素な服を好み、ほかの兄弟が良い服を着ていても質素な服を着て、過ごしたのである。
流石にこれは行き過ぎていると見て、陸賈が注意した結果、衣服に関しては改めた。
「それに……」
少しばかり陸賈は口をつぐんだ。
実のところ儒教的な孝行かと言われると首を傾げるところがあるのである。
劉恒は確かに孝行の人として、後世において元の郭居敬の『二十四孝』という書物に載せられている。しかしながら劉恒の孝行への相手が父母に対して偏りがあるように見えるのである。
どちらかと言えば、劉恒の孝行として示すのは母である薄姫であり、父・劉邦へは薄いのではないかと見えるのである。
この父よりも母を上位に置くのは道教の方の考え方のが強い。
また、『二十四孝』は後世においても批難があり、福沢諭吉も批難していることでも知られている。
その批難というのは、孝行においての逸話が寓話的なものが多かったり、内容に不可解なものがあったりすることである。
さて、その劉恒がなぜか劉肥の裾を持っている。
「何か用があるのか?」
劉肥は仕方なく自ら問いかけた。しばらく劉恒はじっと劉肥を見続ける。
(深い黒の目だな)
彼の目を見ながら劉肥はそう思った。するとやっと劉恒は口を開いた。
「孝とは何でしょうか?」
この問いに劉肥は眉を上げる。なぜそのような問いを自分に向けるのかわからないのである。
「お前のような者のことを言う」
劉肥がそう答えると劉恒は首を傾げる。どうやら彼が聞きたい答えでは無いようである。
(どう答えたものか)
しばし考えてからこう答えた。
「父母が自分に注いでくれた愛という時間に対して無駄ではなかったことを証明すること。この答えでどうだろうか?」
劉肥はそこまで言ってから僅かに自嘲した。
(私の言う言葉ではないな)
そう思ったからである。
「だから……だからあなたは「礎」になろうとしているのですね」
劉恒はまっすぐ劉肥を見据えながら、そう言った。
劉肥は眉をひそめ、裾を引っ張った。それによって劉恒は手を離す。
「何を言っているのかわからないな」
劉肥はしばし周囲を見回す。特に自分たちを見ている者はいないようである。
「孝を尽くすことも大事だが、行き過ぎると逆に親の迷惑となることもある。そのことを忘れるな。孔子も言った。「過ぎたるは及ばざるが如し」とな」
そう言って、劉肥は立ち去った。そんな彼に劉恒は拝礼をもって示した。そして、薄姫の部屋に出向いた。
「どうでしたか?」
薄姫は末席とはいえ、会議を見ることも勉強だと思っているためにそう問いかけた。劉恒は空を眺め、言った。
「孤独な人を見ました。誰よりも孤独な。それでも己の愛を示そうとしている人でした」
息子の言葉に薄姫は困惑する。一体、何を言っているのか理解できないからである。
「礎というのはどのようにして築くのでしょうか」
劉恒は呟く。
「人はそのために命をかけられるのでしょうか。それほどの価値があるのでしょうか。なぜ人は死ぬとわかっていることをやるのでしょうか」
いつにもなく饒舌な息子に薄姫は、
「信じている道を歩むのが人というものなのです」
と言った。
(母のこういうところが好きなんだ)
薄姫は息子の疑問に思うことに対して、しっかりと考えた上で言葉を選び伝えようとする。
「そうですね」
劉恒はそう答えた後、北の方角を見る。
「北が揺れそうです」
小さく呟いた。
涼しい風が吹いている。
男が馬の背で横になっている。
そこに明かりが男を照らす。日が昇ってきたのである。
男は明かりに目を覚ます。
「う~ん良い天気になりそう」
男は起き上がり、後ろに控える屈強なる男たちを見る。
「やあ、みんな元気かい?」
男たちは頷く。
「なら、結構」
男は前を見て、手を広げる。
「さあ、漢の皆さん。おはようございまーす」
男が手を挙げて、下ろした。その瞬間、屈強なる男たちは叫びを上げ、馬を駆けさせていく。
「みんな頑張って勝とうね」
冒頓単于はそう言って笑った。




