降格
ある日のこと。かつての項羽の将・鍾離昩が楚王・韓信の元にやってきた。
「おお、久しいですなあ」
韓信は彼を快く迎え入れた」
「良いのか?」
鍾離昩はそう言った。彼は劉邦から鍾離昩の逮捕を命じる詔を発していた。
「あなたは数少ない話しを聞いてくれる人でしたからね」
韓信にとっては判断基準がそれしかないとも言える。彼は鍾離昩を匿った。また、この頃、韓信は封国に入ったばかりで、県邑を巡行しており、出入りには兵を連ねて護衛させており、韓信は鍾離昩を護衛の兵士の振りをさせた。
劉肥の元にけらけら笑いながら駟鈞がやってきた。
「面白いことになりましたぞ」
「面白いこととは?」
「楚王の元に鍾離昩がいる」
劉肥は目を細めた。
「人を見る目のないことだ」
「全くですな。しかし、これで面白くなった」
駟鈞はにやりと笑う。
「韓信が匿っていることを長安にいる者に知らせます。それで大規模な戦いとなれば……楽しくなってまいりますなあ」
劉肥は首を振った。
「鍾離昩を匿っているのではなく、反乱を起こそうとしていると言わせろ」
「なぜ?」
駟鈞は首を傾げる。
「父の……陛下の性格を考えれば、そのほうが良い。そして、もし韓信が許しを乞う動きを見せた時、韓信の元にいる手下にこう言わせよ」
劉肥は駟鈞に囁いた。
「それも面白いですな。あなた様も人が悪いですなあ」
「くだらぬことをもうさずにやれ」
「承知しました」
駟鈞はけらけら笑いながら劉肥から離れた。
「あとは陳平次第だな」
劉肥はそう呟いた。
年が明けて、紀元前201年
十月、ある者が上書して楚王・韓信の謀反を訴えた。
劉邦はそれを受けて、諸将に意見を求めた。すると皆、
「急いで兵を発して豎子を阬(生埋め)にしましょう」
と言った。しかしながら劉邦は無言のまま陳平の方を向いた。
「汝はどう思う?」
陳平は逆にこう問うた。
「人が韓信の謀反を上書したことを彼は知っていますか?」
「いや、知らないだろう」
さっき聞いたばかりだからである。
(それよりも誰が進言したかだが)
まあそれよりもこの問題だと思いながら陳平が言った。
「陛下の精兵は韓信の兵と較べて如何でしょうか?」
「及ばないだろう」
劉邦は兵の強弱に関しての感覚は中々であり、冷静であることがわかる。陳平は続けて言った。
「陛下の諸将で用兵において韓信を超えることのできる者はいるでしょうか?」
「超えるものはいない」
陳平は頷く言った。
「今、兵は楚の精鋭に及ばず、将の能力も及ばないにも関わらず、兵を挙げて攻撃すれば、謀反をうながすことになります。私は陛下の危険を心配致します」
「それではどうすれば良いのか?」
「古において、天子が巡狩(巡視。巡行)して諸侯と会したものです。陛下はただ外出して雲夢を遊行すると偽り、諸侯と陳で会すべきです。陳は楚の西界にあり、韓信は天子が友好のために出游したと聞けば、必ず何事もないと信じて郊外で迎謁するでしょう。謁見した際に陛下が捕まれば、一人の力士だけで解決できまることです」
「なるほど」
劉邦は納得して使者を諸侯に送り、陳で会見することを伝えた。
「私は雲夢に南游する」
と宣言して都を発った。
これを聞いた韓信は疑心を抱いて恐れた。そこにある人がこう言った。
「鍾離昩を斬って陛下に謁見すれば上は必ず喜ぶことでしょう。憂いることはございません」
韓信はこれに従うことにした。あっさりと自分を頼ってきた者を切り捨てることで自分がどう思われるかを考えないところがこの人の多くの欠点の一つである。
韓信に進言した男はにやりと笑う。
十二月、劉邦は諸侯と陳で会した。
韓信はそこに鐘離昩の首を持って劉邦に謁見を申し込んだ。
「鐘離昩を匿っていたか」
楚にいるというのは知っているが、韓信が匿っていることは知らなかった。
「それを差し出してくるとはな。まあ良い」
劉邦は武士に命じて謁見にやってきた韓信を縛らせ、後車に乗せた。韓信は突然の事態に嘆いた。
「人は『狡兔死して、猟犬煮られ、高鳥が尽きて良弓がしまわれ、敵国が破れれば、謀臣亡ぶ』と言ったが、果たしてその通りになった。天下は既に定まった。私が烹されるのは当然であろう」
不快になりながら劉邦は、
「汝が反したと告げる者がいたのだ」
と言って韓信を枷で縛って帰還した。
劉邦は洛陽に還ってから韓信を釈放し、淮陰侯に封じるとした。
「どなたが韓信の謀反を起こそうとしていると主張されたのですか?」
陳平が劉邦に問いかけると劉邦は名前は聞かなかったと答えた。
「そうですか。では、韓信の処罰に関しては?」
「ああ、劉敬がそのまま処罰を下すよりも功臣であることを配慮する方が良いと申してな」
(劉敬が……)
陳平としては同じ意見であるため、反対するつもりはないが……」
「わかりました。ただ韓信がこの処罰に不満を持つ可能性があることはご理解ください」
「わかってる」
劉邦が頷くのを見ながら、陳平は、
(劉敬には別の主がいるのではないか)
そう思えて仕方なかった。
釈放された韓信は劉邦が自分の能力を畏れ嫌っていると知り、頻繁に病と称して朝従(「朝」は「朝見」。「従」は皇帝の巡遊等に従うこと)しなくなった。
いつも家で鞅鞅(不満な様子)としており、絳侯・周勃や将軍・灌嬰と同列でいることを恥じとした。
ある日、将軍・樊噲の家に立ち寄ることがあった。樊噲は誰よりも韓信を嫌ってはいたが、
(せっかく王様になったのに降格するのは堪えるだろう)
そう思い、家に招いた。樊噲は韓信が来ると跪拝して韓信を送迎し、自ら「臣」と称してこう言った。
「王に敢えて臣を訪ねていただいた」
韓信は門を出てから笑って、
「生き永らえて噲のような者と同格になってしまった」
と言った。樊噲の言葉に嫌味を感じたようである。韓信と樊噲では、樊噲のが大人である。
「ふむ、降格で留まるとは」
駟鈞はそう呟く。
「徐々に権力を奪うということだろう」
劉肥はそう言った。
「まあ、韓信との間には溝ができたのは確実でございましょう」
「そうだな」
彼はそう呟き、目を細めた。