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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎

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親孝行の子

「最近、薄姫はくきはどうしたのかしら?」


 呂雉りょちが他の女官にそう訪ねた。薄姫が最近、姿を見せないためである。


「病のためとお聞きしております」


 女官たちはそう答えた。しかしながら元々猜疑心の強い呂雉は審食其しんいきを呼びつけた。彼は彼女に長年仕えていたため、信頼されている。


「何か御用でしょうか?」


「見舞いと称して、薄姫の様子を見てきなさい」


「わかりました」


 呂雉の性格を熟知している彼は直様、薄姫の部屋に向かった。


「どうぞ」


 あっさりと面会が許され、部屋に入ると薄姫は横になっており、その近くにあまり綺麗ではない服を着た子供がいた。


「おや、この子供はどなたですかな?」


 横になっている薄姫の病は本当のようだと思いながら、審食其は訪ねた。薄姫は僅かに彼の方を向くと言った。


「私の子でございます」


「連れ子がいたとはお聞きしておりませんなあ」


 審食其がそう言うと薄姫は恥じ入ったように、言った。


「陛下との子でございます」


 その言葉に審食其は目を細める。


(これは早めにご報告だあ)


 薄姫が陛下と交わったと聞けば、呂雉は激怒するだろう。信頼していたにも関わらず、裏切ったと思うはずだ。


(へへ、信頼が少し偏り始めていたしなあ)


 そう考える彼が内心笑っていると、近くに薄姫が食すために用意されていたであろう料理が置かれていた。それに薄姫の子が近づき、お椀を持つと自ら食した。


(行儀の悪い子だ)


 そう思っていると子供はお椀を薄姫に差し出し、食させようとした。


(毒味しているのか)


 審食其は驚いた。一皇族の子がやる行為ではない。また、彼が綺麗な服を着ておらず、よくよく見れば、顔も汚れている。


(母が病になってからずっと看病しているのか)


 親孝行の鏡のような行為を見せる薄姫の子供を見て、審食其は内心、複雑な感情を抱いた。


「御子息の件については呂后様にご報告させていただきますが、よろしいか?」


「構いません。私は嘘をつき、子供の存在を陛下にも奥方様にもお伝え申し上げておりませんでした。大変、申し訳なかったとお伝え願えれば幸いでございます」


 薄姫は泣きながらそう述べた。


「わかりました。では、失礼致します」











 審食其は薄姫の部屋から呂雉の部屋に戻った。


「病であることは本当でした」


「そう」


「ただ……」


 審食其は僅かに迷ってから述べた。


「薄姫にはお子がおりました。しかも陛下との子です」


 それを聞いた瞬間、呂雉は目を尖らせ、憤怒を見せ始める。


「しかしながら」


 そんな呂雉に審食其が言った。


「薄姫は自らの子を陛下の子であると申されましたが、陛下にもお伝えしていないと申しておりました」


 彼の言葉に呂雉は眉を上げた。奇妙なことである。わざわざ子が産まれたことを夫に伝えない理由がわからない。もしかすれば高貴な身分になれるというのに。


「また、その子供ですが、薄姫が病になってからずっと看病をしておられるようであり、顔は汚れ、着ている服は質素なものであり、自ら毒味を行い、母足る薄姫に食事を食させております」


「それはそれは親孝行な子ですね」


 呂雉はここで表情を和らげた。彼女自身、そう言った親孝行さを見せる子供は嫌いではないのである。


「個人の意見として、確かに嘘をつき、子供がいることを示されなかったことは罪なるものの、彼女の生活は傲慢とは無縁であり、奥方様へ長年尽くして参りました。どうか自らお話を聞いてみては如何でしょうか?」


 審食其がそう言ったため、呂雉は少し考え、


「わかりました。薄姫の体調がよくなったところで話しを聞いてみましょう」


 と言った。彼女には義理堅さがある。薄姫が自分に尽くしてくれたことや自分が礼儀作法で間違いを犯さないのも彼女のおかげである。そのことを踏まえて、先ずは話しを聞いてみたいと思った。


「感謝致します」


 審食其は拝礼すると薄姫に彼女の意思を伝えた。


「わかりました。体調が良くなり次第、参りますとお伝えください」


「承知した」


 薄姫は彼が去ると安堵した。


(この子の存在を知られて、審食其が来ると聞いた時はもう終わりだと思いましたが、なんとかなったわね)


 彼女は息子の劉恒りゅうこうを抱き寄せ、彼の頭を撫でる。劉恒は目を細め、喜んでいるようである。最初は産まれた時に早めに知らせるべきだと思っていたが、隠す方が良いかと思い、この時まで悩み続けて心労で病になってしまった。


(この子を密かに殺すことも考えたのだけど)


 できなかった。初めての子であるという思いもあったかもしれない。


(できれば守りたい。だから、次にお会いする時が勝負ね)


 薄姫はここまで来たら、腹をくくるしかない。息子の孝の姿が恐らく相手の心を動かすことができたのかもしれない。慎むことだ。慎み続ければなんとかなるだろう。


「大丈夫、大丈夫」


 彼女はそうつぶやきながら劉恒を撫でた。


 その後、体調が完全に回復する前に呂雉の元を訪れ、自ら謝罪した。この態度に呂雉はにこやかに許した。もし本当に体調が完全に回復して出向けば、恐らく機嫌を悪くさせただろう。


 そう言う難しさが呂雉にはある。


「今後も私のために尽くしてね」


「はい」


 薄姫は頷く。取り敢えずは息子の孝行と今までの信頼によってなんとか許してもらえた。あとはできる限り、息子が下手な有能さを見せなければ……


「常に慎むことです」


 彼女は劉恒にそう言った。彼は静かに頷いた。





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