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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎

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婁敬

 一人の男が西へ向かって歩いていた。


 男は斉の人である。名を婁敬ろうけいという。隴西の守備に行くためと称して、西に向かっていた。その彼が洛陽を通った。


 婁敬は洛陽に着くと輓輅(車を牽くためにつけられた横木)を外し、羊裘を着て、斉人・虞将軍を通して劉邦りゅうほうに謁見したいと求めた。


 虞将軍は鮮衣を与えようとしたが、婁敬はこう言った。


「私が帛(絹)を着ておれば、帛を着て謁見しましょう。褐(動物の毛を織って作った服。粗末な服)を着ているのですから、褐を着て謁見します。衣服を改めるつもりは必要を感じません」


「やれやれ、それで()()()()()()()()()


 虞将軍は呆れながら劉邦に彼が謁見を求めていることを報告した。


「会ってやろう」


 劉邦はあっさりと婁敬を召した。婁敬が問うた。


「陛下が洛陽を都にしましたのは、周室と隆盛を較べたいからでしょうか?」


 劉邦は少し考えてから、


「そうだ」


 と答えた。すると婁敬が言った。


「陛下が天下を取った経緯は周室と異なっております。周の先祖は后稷が邰に封じられてから始まり、徳を積んで善を重ね、十余世後に太王、王季、文王、武王の代に至りまして、諸侯が自ら帰順したのです。そこで殷を滅ぼして天子になったのです。成王が即位すると、周公が相になられて、洛邑を建設し、天下の中心にしました。諸侯が四方から貢職(貢物)を納める上で道里(道程。距離)が均一だったからです。徳があれば容易に王となり、徳がなければ容易に滅亡するものです。だからこそ周の盛時には天下が和洽(和睦)し、諸侯も四夷も賓服(服従)しない者がなく、貢職に努めたのです。しかしながら衰退した時には天下が朝見しなくなり、周も制御できなくなりました。徳が薄くなったからだけでなく、形勢が弱くなったことも原因なのです」


 周の時と漢では天下の形が違う。


「今、陛下は豊・沛から興り、蜀・漢を席捲し、三秦を定められ、項羽こううと滎陽・成皋の間で戦い、大戦は七十、小戦は四十にも及びました。天下の民は肝脳塗地(命を犠牲にすること)し、父子が中野に骨を曝し、その数は数え切れないほどでございました。哭泣の声が絶たれることなく、傷夷(負傷)した者もまだ起き上がっていないにも関わらず、成・康の時と隆盛を較べるのは、私が思うに不侔(等しくない。較べられない)なことです。そもそも秦の地は山を負って河を帯び、四方が塞がれ、固く守られています。危急の事があろうともすぐに百万の衆を準備できます。秦の地がもつ基礎に頼り、甚美膏腴(豊かで肥沃)な地を資本とできますので、これこそ天府(「府」は「集まる」の意味。天府は万物が集まる場所)と申すものです。陛下が関に入り、都とされれば、たとえ山東が乱れたとしても、秦の故地を全て有すことができます。人と戦う際には、相手の喉をつかまずに背を打ったところで完全な勝利を得ることはできないのです。陛下が秦の故地を占拠されれば、天下の首をつかんで背を打つことができましょう」


 劉邦は彼の意見を聞いて、群臣に意見を求めた。


 群臣たちは皆、山東の人であるため、争ってこう言った。


「周は数百年も王でありましたが、秦はわずか二世で亡びました。洛陽の東には成皋が、西には殽(殽山)と澠(澠池)があり、河を背にして伊・洛に向いていますので、(黄河は洛陽の城北にあり、伊・洛二水は洛陽の城南にある)、堅固な地形は頼りにするのに充分です」


 劉邦は彼らの言葉よりも婁敬の言葉のが優っていると考えていることから、張良ちょうりょうにも意見を求めた。


 張良はこう答えた。


「洛陽は確かにそのような堅固な地形にありますが、中心となる地域はとても狭く、数百里に過ぎません。田地は薄いうえ(土地は痩せていて)四面に敵を受けていいます。これは武を用いる国(地域)ではございません。関中は左に殽・函(函谷関)、右に隴・蜀があり、沃野(灌漑された土地)が千里に渡っております。南には巴・蜀の饒(豊富な資源)があり、北には胡苑の利(安定、北地、上郡の北は胡と接しており、牧畜ができる。苑は禽獣を養う地)がgぞあいます。三面が塞がれ、守りになっており、一面だけを開いて東の諸侯を制すことができるのです。諸侯が安定している際は、河・渭が天下の物資を漕輓(水運と陸運)して西の京師に供給させ、諸侯に変があれば、流れに沿って東下し、物資を委輸(輸送)することができます。これは金城千里、天府の国というものです。婁敬の説こそ是(正しい)と言えましょう」


 婁敬のような見ず知らずの男の意見に張良が賛同したことにより、劉邦は即日車に乗って西に向かい、長安を都にすると決定した。しかしながら実際に遷都するのは二年後である。


 劉邦はその後、婁敬を郎中に任命した。婁敬に奉春君と号させ、劉氏を下賜させた。この後、彼は劉敬りゅうけいと呼ばれる。


 奉春君の春は始めを意味するものである。劉敬が事の始め(きっかけ)を作ったため奉春君としたのである。







「何とか信頼を得ることができたな」


 虞将軍は劉敬にそう言った。


「ええ」


()()()のためにも信頼を勝ち取っていかねばならんからなあ」


「そうですね」


 この会話は密かに放っていた陳平ちんぺいの間者が聞いていた。


「あの方か……確かあの男は斉人であったな」


「左様でございます」


 陳平の脳裏に浮かぶのは、劉肥りゅうひである。


(だが、ここへの遷都は悪くない。張良殿と図った様子もない……)


 しばらくは静観するしかないだろう。陳平はそう考えた。


 その様子を黄色い服の男が見つめる。


「誰が誰を騙しているのだろうなあ」


 男はそう呟いた。


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