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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第三部 漢の礎

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朱家

 劉邦りゅうほう項羽こううの親族に対してはとても優しかったが、項羽の配下に関しては厳しかった。


「さて、どうしたものか」


 季布きふは最近整えていない髭を撫でながら呟いた。


 劉邦は千金を懸けて季布を探し、匿った者は三族を誅滅すると宣言していた。だからと言って、劉邦に自ら自首しようとも考えていなかった。


 季布の同母弟(父が異なる弟)に丁公ていこうという者がいた。同じく項羽の将となっていた。


 丁公はかつて劉邦を彭城の西で追いつめたことがあり、その際、短兵(短い武器)で劉邦に迫った。危機に陥った劉邦は振り返って丁公に、


「両賢(丁公と劉邦)がなぜ互いに苦しめあわなければならないのか」


 と言った。丁公はここで劉邦を捕らえても旨味がないと思ったのか兵を指揮して引き上げることで劉邦に恩を売った。


 項羽が滅ぶと丁公は許されるだろうと思って劉邦に謁見した。しかし、劉邦は丁公を捕らえて、軍中で引き回しにすると、


「丁公は項羽の臣でありながら不忠であった。項羽の天下を失わせた者である」


 と言って斬首し、


「後に人臣となる者は丁公を倣ってはならない」


 と言った。


 正直、季布はこの同母弟に関しては親愛は無く、劉邦の言動にも一理あると思っている。だが、この一件によりそう簡単に許しを乞うことが難しいことがわかる。


「どうしたものか」


 季布は悩んでいると項羽のために最後まで戦っていた地域があることを思い出した。


(魯は項羽様のために最後まで抵抗した。そういえば、魯には……)


 ある男の顔を思い浮かべた季布は魯に向かうことにした。


 魯に着くと季布は髠鉗(髠は髪を剃ること。鉗は鉄の首枷をつけること)して奴隷になり、自ら魯の大俠・朱家しゅかの家に自身を売った。


 朱家という人は魯の地域に似合わない侠客の親分というべき人物である。彼は新しく来た奴隷たちを眺めているとその中にいる男に驚いた。


(ありゃ季布じゃねぇか)


 劉邦が必死に探している男の一人である。その男が今、ここにいるのである。


(男を示さなければなあ)


 朱家ま自分の侠客としての姿を信頼して季布が来たことを瞬時に理解した。ならばそれに答えなければならない。彼は季布を田舍に住ませて、丁重に扱った。


(だが救うということはただ命を救うことだけじゃねぇ)


 季布自身の人生をも救ってこそ、救うということになるのである。朱家は自ら洛陽に行き、滕公・夏侯嬰かこうえいと会った。


「魯の朱家が来ただと」


 朱家の名は有名であるため、夏侯嬰は彼と会った。


(こいつしか漢の臣下で話を通すのは難しいだろう)


 ここが勝負だと思っている朱家は言った。


「季布に何の罪があるのでしょうか。私はそれぞれ己の主のために力を尽くすのが職(職責。常道)とお聞きしております。項氏の臣を全て誅殺できるものでしょうか。今、陛下は天下を得たばかりにも関わらず、私怨によって一人を求めています。どうしてこのように不広(寛大ではないこと。狭量)を示されるのでしょうか。それに、季布には賢才があります。漢が厳しく追及し続ければ、北の胡(匈奴)に走らないとしても南の越に走ってしまうことでしょう。壮士を嫌い、敵国の資(助け)としたのが、伍子胥ごししょが荊平(楚平王)の墓を鞭打つことになった原因です。あなたはなぜ陛下のために従容(平然。堂々)と進言されないのでしょうか」


 天下に名高い侠客である朱家は自らが季布を匿っていることを一切、隠そうともせず、そう述べた。これに夏侯嬰は心が震えるものを感じた。


(この男は侠のために季布を匿い、私のところに来た。それは同時に自分に侠があると見たためだ)


 ここで答えなければ男がすたる。夏侯嬰は機会を待って劉邦に進言した。朱家が指摘した内容が告げられる。


 元々劉邦は侠客として鳴らしたことがある。また、田横でんおうの時とは違い、季布には自分で動かせる兵力も何もない。そして、ここで朱家を怒らせると魯全体までも怒らせる可能性がある。魯は項羽のために最後まで抵抗した地である。そこがまた逆らうことになるのは面倒である。


 (儒者たちの立ち前もあるしな)


 魯は儒者たちの聖地でもある。儒者までも敵に回すことはないだろう。劉邦は朱家と夏侯嬰の意見に同意を示し、季布を赦して郎中に任命するとした。


 朱家はこの後、二度と季布に会うことはなかったという。


 この朱家という男の名を後世に伝えたのは、司馬遷しばせんである。彼は反社会性のあるこの男を取り上げたのは、このような男が其の辺のチンピラと同列に扱って欲しくはなかったというものである。


 これは国への批難であると同時に司馬遷の歴史家としての目線が上級階級、勝利者ばかりでなく民衆など下級階級の方にまで目を向けていることがわかる。


『漢書』の班固はんこも前例に倣いつつも司馬遷の視点には追いついておらず、後世の歴史家は司馬遷のような『遊侠列伝』を作ることはほとんどなかった。


 中国の歴史書、それも正史の頂点として司馬遷の『史記』が今もなお君臨するのは文章力だけでなく、この目線もあってのことだろう。




 



 




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