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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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蒯徹

 蒯徹かいてつは最初は武臣ぶしんに仕えていた。その彼が死ぬと張耳ちょうじに仕えた。やがて張耳が鉅鹿で包囲を受けている際に項羽こうう率いる楚軍が救援した。


 その際に彼は范増はんぞうと会った。


(数少ない自分の才覚を評価した人であった)


 そんな范増から命じられたのは張耳の監視とその動向を知らせるようにというものであった。


(しかし与えられた命令のつまらなさよ)


 そのため彼は真面目に命令に対して、従う気はなかった。そもそも張耳は王になってからあっさり陳余ちんよに敗北して、漢軍に降ってしまったためそこまでの仕事でもなかったのだが。


 すると范増の配下の者が漢軍におり、


張良ちょうりょうを殺害する計画に加われ」


 という指示が来た。漢軍に張良が合流したところで暗殺するというものであった。しかし、元楚軍の呂馬童りょばどうによってその計画は打開した。


「全く、馬鹿な連中だった」


 元楚軍であるということから呂馬童を味方だと思ったようである。その後、彼は韓信かんしんの元に配属されることになった。


 そこで彼は韓信という稀代の名将の才覚を知った。


「これは……」


 この男を使えば良いではないか。蒯徹は笑った。この男を使って、自分の才覚を天下に証明するのである。また、この男を漢軍に離反させることができれば、范増への義理も果たすことになるだろう。


 さて、離反させるとしてその手段が難しかった。正直言って、韓信という男を見ていると常識では測れない部分があまりにも大きかった。


(韓信自身の説得は難しい)


 これが英布えいふのようであれば簡単であったのにと思わざるをえない。


(ならば環境を整えれば良い)


 これが蒯徹の恐ろしさである。彼は裏切らせる者自身を説得するのではなく、裏切らせる環境を作るということに力を入れたのである。


 それが先の斉への騙し討ちであり、斉王の独断の殺害、假王の任命を求めるなどといったことに繋げた。


劉邦りゅうほうを怒らせ、自然とそれに恐怖した韓信が独立する)


 それが蒯徹の策であった。しかしながら劉邦は内心はともかく終始、怒らず、假王どころか正式な王になるように通告してきた。


(劉邦は我慢するのが上手い)


 この時代の君主、人の上に立つことになった者たちの中でもっとも大人というべき存在は劉邦ではないだろうか。そう思えるほどに劉邦という人は案外、我慢が上手い。


(だが、環境は整えつつある)


 その環境とは韓信の魏、趙、燕、斉の平定により、既に漢軍と楚軍の勢力比が逆転し始めていることである。


(いくら范増を追い出すような馬鹿でも韓信の存在を無視できまい)


 彼は范増を評価している。自分に匹敵する才覚の持ち主として、そしてそんな彼すら用いれない項羽を見下してもいる。


 予想通り、項羽は龍且りゅうしょが殺され、斉が平定されたこともあり、盱台人・武渉ぶしょくを斉に派遣した。


 武渉が韓信に言った。


「天下が共に秦のために苦しんだため、勠力(協力)して秦を撃ちました。その後、秦が既に敗れたため、功を計って地を割き、土を分けて王を封じることで士卒を休ませたのです。しかし今、劉邦が再び兵を興して東に向かい、人の分(分配。封地)を侵し、人の地を奪い、三秦を破ってからは兵を率いて関を出て、諸侯の兵を収めて東の楚を撃ちました。その意図は天下をことごとく併呑しなければ休まないつもりなのです。劉邦はこれほどまで厭足(満足)することを知らないのです。それにあの者は信用できません。あの者はしばしば我らの掌握の中におり、王は憐れに思ったから活かしたのです。しかし劉邦は王から脱するといつも約束を破り、再び王を撃とうとしました。このように親信できない男なのです。今、あなた様は劉邦と厚く交わっており、尽力して兵を用いておられますが、最後は必ずや劉邦の禽(捕虜)となるでしょう。あなた様がとりあえず今まで存続できていますのは、王がまだ存在しているからです。今、二王の事はあなた様にかかっています。あなた様が右に投じれば漢王が勝ち、左に投じれば王が勝つのです。王が今日亡べば、次はあなた様が滅ぶことでしょう。そもそもあなた様と王は旧知です。なぜ漢に反して楚と連和し、天下を参分(三分)して王になろうとされないのですか。今、この時(機会)を棄て、自ら漢に附いて楚を撃とうとしておりますが、智者とはそのようなものなのでしょうか」


 実にわかりやすい理屈であると言える。しかしながら韓信は謝意を示してこう言った。


「私が楚王に仕えていた時は、官は郎中に過ぎず、位は執戟(宿営)に過ぎず、言は聞かれず、計画も用いられませんでした。そのため楚に背いて漢に帰順したのです。漢王は私に上将軍の印を授け、私に数万の衆を与え、衣を解いて私に着せ、食を退けて我に食べさせ、私の言を聞いて計を用いてくださりました。故に私は今ここに居られるのです。人が私を深く親信しているにも関わらず、私が背けば、不祥となります。たとえ死んでも変わることはできません。楚王に謝意を伝えていただけたら幸いです」


 武渉は落胆したように楚営へ去った。


(ちっあれほどわかりやすい理屈でも従わんか)


 できる限りつまらないことは言いたくはないがここで背かなければいつ背くのだろうか。


 蒯徹は相人(人相を看る占師)の術を持ち出し、韓信に言った。


「私があなた様の顔を看たところ、侯に封じられることがありますが、それは危険かつ不安です。しかしあなたの背を看たところ、言葉にできないほど高貴となると出ております」


 これは漢に背けば高貴になれるということを暗示している言葉である。


「それはどういう意味だ?」


 惜しいかな韓信はあまり話術に関心が無く、蒯徹の生まれる時代を間違えたかのような話術に対して理解ができない。


(相変わらず変なところが鈍い)


 蒯徹は少しイラつきながら言った。


「天下が反秦の挙兵をした時、憂いるのは秦を亡ぼせるかどうかということだけでした。今は楚と漢が分かれて争うようになり、天下の人々の命を奪い、父子が共に骸骨を中野に曝し、それらの数は数え切れないほどとなっております。楚人は彭城を出てから転戦して敗北した敵を追い、利に乗じて各地を席巻し、威が天下を震わせております。しかし兵が京・索の間で困窮し、西山で逼迫して前進できなくなってから既に三年が経っております。漢王は十万の衆を率いて鞏・雒で対抗し、山河の険を利用して敵を防ぎ、一日に数戦しておりますが、尺寸の功を挙げることもできず、逆に敗走して自らを救う力もありません。これは智勇の者が共に困窮しているという状況なのです」


 漢と楚との両者とも決め手に欠けているということである。


「百姓は疲労が極まり、怨望(怨恨)していますが、帰するべき所がありません。私が考えるに、このような情勢では天下の賢聖が現れなければ天下の禍を収めることはできないと考えます。今、両主の命はあなた様にかかっています。あなた様が漢のために動けば漢が勝ち、楚と与すれば楚が勝つのです。もし私の計を聴くことができるのであれば、双方を利して共存させ、天下を三分して鼎足のように並立なさるべきです。このような形勢になれば、誰も先に動こうとしません。あなた様の賢聖と甲兵の衆があり、強斉を拠点とし、趙・燕を従わせ、空虚の地に出て楚・漢の後方を制し、民の欲(要求。願い)に従い、西を向いて百姓のために命を請えば、天下が噂を聞き、あなた様の元に駆けつけて、響応することでしょう。あなたの命を聴かない者はおりません。大国を割き、強国を弱くして諸侯を立てましょう。諸侯が立てば天下が服聴し、徳(恩)を斉に帰します。そこで斉の故地を拠点とし、膠・泗(二つの川)の地を有し、礼をもって諸侯に接すれば、天下の王たちが相次いで斉に朝見しに来るのです。『天が与えたのに取らなければ逆に咎を受け、時が至ったにも関わらず、行わなければ逆に禍を受けるものだ』といいます。あなた様の熟慮を願います」


 まずは独立し、天下三分とし、その後、楚、漢を圧倒し天下を獲れば良いという壮大な構想である。


(このような発想は誰もできんだろう)


 確かにこの発想を同じように行えた者が出てくるのが二百年後まで時間がかかることを考えれば彼の発想は非凡であった。


 しかしながら彼はその二百年後の英雄である諸葛亮しょかつりょうのような輝きを放つことはできず、歴史上まれに見る奇々怪々の英雄・劉備りゅうびに韓信はなれなかった。


 韓信は言った。


「漢王は私をとても厚く遇して下さった。どうして利に向かって義に背くことができようか」


 韓信の割には外面を整えた言葉であると言える。


 彼は戦場においては芸術的な策を提示する思考回路を持っていながら、それ以外においては実に単純な思考回路をしており、自分は名将であり、その名将の言葉を劉邦は聞き、項羽は聞かなかった。それだけしか判断基準を持たず、評価もせず、また彼自身が天下などというものに興味がなかった。


 蒯生は諦めない。


「かつて常山王(張耳)と成安君(陳余)が布衣(庶民)だった時、共に刎頸の交を結びました。しかし後に張黶、陳沢の事で争い、常山王が成安君を泜水の南で殺すことになりました。成安君は頭と足が離れることになったのです。この二人が一緒の時は天下の至驩(最も仲がいい友人)であったにも関わらず、最後は殺し合うことになりました。それはなぜでしょうか。そもそも禍患とは多欲から生まれ、多欲は人心を測り難くさせるのです。今、あなた様は忠信を持って、漢王と交わろうとしていますが、漢王とあなた様の関係は二君(張耳と陳余)の関係ほど固くはないのです。しかも漢王とあなた様の間に発生している事は張黶・陳沢の事よりも重大なことでもあります。よって、私が思うには、あなた様が漢王に害されないと信じるのは誤りなのです。大夫・しゅは亡越(滅亡した越)を存続させ、句践こうせんに覇を称えさせ、功を立てて名を成したにも関わらず、その身は死んで亡びました。野獣が尽きれば、猟犬が煮殺されるものなのです。交友という面から言えば、常山王と成安君の交わりに及びません。忠信という面から言えば、大夫・種の句践に対した忠信を越えることはありません。あなた様の禍はこの二者から充分見てとることができるのです。どうか深慮を願います。私はこうとも聞いています『勇略が主を震わす者は身を危うくし、功績が天下を覆う者は賞されないものだ』今、あなた様は主を震わすほどの威勢を有し、賞することができないほどの功績をもっております。楚に帰順しても楚人は信用せず、漢に帰順しても漢人は恐れ震えることでしょう。あなた様はこのような威勢と功績をもってどこに帰すおつもりでしょうか?」


 ここで韓信は首をかしげた。


(自分は名将であり、その名将をなぜ殺すのだろうか?)


 そんな無駄なことを漢王がするだろうか。韓信はそんなことを考えた。彼は歴史を学んだことも聞いたことがないわけではない。粛清される話を聞いたことがないわけでもない。それにも関わらずそう思った。


 なぜなら彼は自分のことを稀代の名将だと思っており、そんな名将を殺す馬鹿などいないと思っているのである。


 ここまでのことでお分かりのことだと思うが、韓信という男の精神性には幼さがある。韓信という人は以前、独りよがりの芸術家と述べたが、それは将軍としての姿であり、それ以外においては戦才という凄まじい才能の斧を持った子供と言い変えることができる。


 その戦才という斧を振り回す子供にどれほどの大人の頭がカチ割られたことだろうか。


 天というものに絶対なる意思があり、人の運命を操作し、才能を与えているというのであれば、天というものはなんと残酷な存在であろうか。


 一方、韓信がなぜ首をかしげるのか蒯徹には理解ができない。そのため彼は困惑した。


「先生は暫く休んでください。少し考えてみます」


 韓信はそう言って、蒯徹を下がらせた。


 数日後、韓信が動かないため蒯徹は再び言った。


「善く意見を聴くことができる者というのは、事の候(予兆)を掌握できるものです。善く計を謀ることができる者というのは、事の機(時機。機会)を把握できる者です。善く意見を聴くことができず、計を失いながら久しく安泰だった者は稀にしかおりません。だから知者とは事を決する時に果断となり、疑いが多い者は事を行って害を招くのです。豪釐(些細なこと)な小計にこだわっておりますと、天下の大数を漏らすことになります。智によって知ることができながら敢えて行動しなければ、百事の禍を招きます。功とは、成すのは困難なるものの、失敗するのは容易なものなのです。時(機会)とは、得るのは困難ですが失うのは容易なものです。時というのは二度と来ないのですよ」


 韓信はそれでも同意しなかった。名将の意見を聞くことができる。つまり劉邦は名君であるという理屈が韓信の中にはある。そのため自分を罰することなどあろうものかと思っている。


 彼は名君が名将を罰する例を、名君でなくとも名将の意見を聞ける凡君がいることを歴史を知らないわけではないにも関わらず、理解していなかったようである。


 蒯徹の最大の計算違いは、韓信という人物の社会経験の無さ、人というものの複雑さに関して無知であるということであっただろう。


 また、劉邦の我慢強さも計算違いであった。結果として、彼は韓信と劉邦という奇人に負けたのである。


 その後、蒯徹は韓信の下を去り、狂ったふりをして巫師になって逃げた。










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