假王
「父が回復された……」
劉肥はそのことを知り、喜ぶと同時に複雑な感情を抱く。
『身の程を弁えろ』
陸賈に言われた言葉が蘇る。
「私はあの時、どうしたかった……」
父が言おうとした言葉を最後まで聞きたかったのだろうか。または父が本当は……
「これ以上考えるのは止そう」
陸賈が必死に止めたことを劉肥は後々、冷静になって考えてみて、彼が止めた理由を察してはいた。
その姿を見つめる者がいる。黄色い服を相変わらず着た黄石である。
「悩め、悩め。その悩みこそが汝が行う決断に意味が生まれる」
彼はそう呟いた。
一方、斉の地における戦いが激化していた。
騙し討ちに近い形で斉都・臨淄を平定した漢の大将軍・韓信は東に向かって斉王・田広を追撃した。
項羽は田広からの救援要請に答え、龍且を派遣。二十万と号した楚軍が田広の軍と高密で合流した。
客(門客。賓客)の一人が龍且にこう言った。
「漢兵は遠戦窮戦(遠征して死力を尽くすこと)しておりますので、その鋒(勢い)に当たるべきではありません。逆に斉と楚は自分の地に居りますので、兵が敗散しやすくなっています」
家が近いことで士兵は故郷を思って離散しやすくなるということ。
「濠を深くなされ、営壁を固め、斉王に信臣(近臣)を派遣させて亡城(漢に占領された城)を招かせるべきです。亡城が斉王の健在を知れば、楚が援けに来た時、必ずや漢に反すことになりましょう。漢兵は二千里も離れた斉地に客居していますので、斉城が全て反してしまえば、食糧を得られなくなります。これなら戦わずに漢兵を降すことができましょう」
龍且は笑いながら言った。
「私は平生から韓信の為人を知っている。与しやすい相手である。漂母に頼って食物を求めたのは、資身の策(身を立てる策)がないためだ。辱を受けて袴下をくぐったのは、兼人の勇(人並み以上の勇気)がないためだ。彼を畏れる必要など無い。そもそも斉を援けに来たにも関わらず、これと戦わずに漢が降ってしまえば、私には何の功もないではないか。今、戦って勝てば、斉の半分を得ることができるだろう」
この人は項羽に何度も別方面に派遣する将としての能力を有しているものの、戦での解決ばかりを求めすぎるところがあった。
十一月、斉・楚連合軍が漢軍と濰水を挟んで対峙した。
韓信は対峙する以前に部下に命じて夜の間に一万余の囊(土嚢)を作らせ、土沙を詰めさせていた。
土嚢で濰水の上流を塞がったことを知らされると韓信は、半数の兵を率いて川を渡り、龍且を襲撃した。しかし韓信は勝てずにあきらめたふりをして退却していった。
龍且は喜んで、
「韓信が怯(臆病)であることはかねてから知っていたのだ」
と言うと、追撃を始めた。
「猪を狩るというのは楽でいいものだ」
それを見た韓信は川を堰き止めていた土嚢を決壊させた。大水が押し寄せたため龍且軍の太半の兵が川を渡れなくなってしまった。
さて、既に渡り終えていた龍且の軍は川を背にするまさしく背水の陣となった。
「網にかかった魚を始末するとしよう」
韓信は総攻撃を指示、龍且は奮闘むなしく戦死した。
その後、川の東にいた楚軍は四散し、斉王・田広も逃亡した。
「斉王を捕らえるぞ」
韓信は田広を追って北上し、城陽に至って彼を捕えた。その後、韓信は劉邦に何らの報告をせずに田広を処刑した。
そのことににやりと笑ったのは蒯徹である。
韓信は灌嬰に指示を出し、斉の守相・田光を追撃して捕え、博陽に至らせた。
ここに来て、田横は斉王・田広が死んだことを知った。
「まだだ。まだ終わらんよ」
彼は自ら斉王に立つと、灌嬰に反撃しようとした。
「なんだと」
しかし、彼が反撃を開始しようとした。既に嬴下に灌嬰がまるで見透かしていたのごとく待ち伏せをされて、敗れた。
「まだだ。まだ」
もう一度反撃に出ようと軍を動かした田横であったが、そこにまたもや待ち伏せをしていた灌嬰により、再び破れた。
「再起を待たねばならぬか」
田横は魏に走って彭越に帰順した。
その後、灌嬰は更に兵を進めて千乗で斉将・田吸を殺し、曹参も膠東で田既を殺した。
田吸も田既も殺されたことにより、斉の地は漢軍によって平定されることになった。
「さて、次の段階にいくとしよう」
蒯徹の舌剣が振るわれようとしていた。
傷が治った劉邦は西の函谷関に入ってから櫟陽に還り、父老を慰問して酒宴を開いた。
そこで劉邦は旧塞王・司馬欣の首を斬って櫟陽の市に晒した(梟刑)。
司馬欣は前年十月に成皋で敗戦して自刎した。今回、改めて櫟陽の市で首を晒したのは、櫟陽が塞王の都だったためである。
劉邦は櫟陽に四日間留まってから再び軍に戻って広武に駐留した。
そこに韓信から人が送られてきてこう伝えてきた。
「斉は偽詐多変で反覆の国であり、南は楚に近接しています。もし権が軽く(漢の統治力が弱く)、假王(代理の王)を立てなければ、恐らく斉を安定させることはできないでしょう。私を假王に立てて鎮撫させてください」
劉邦は書を開いて一読してからわなわなと肩を震わせ、激怒して罵った。
「私はここで困窮しており、旦暮とも(朝から晩まで)汝が来て私を補佐することを望んでいるにも関わらず、汝は自ら王に立つことを欲するのか」
ただでさえ死にかけていたこともあり、劉邦の怒りは凄まじかった。
すると張良と陳平が劉邦の足を踏んで諫め、耳元でこう言った。
「今、漢は不利な形勢にあります。韓信が自ら王になることを禁じるわけにはいきません。情勢を利用して王に立て、善く遇して彼に斉を守らせるべきです。そうしなければ異変が起きることでしょう」
ここで下手に激怒して韓信と対立することは良いことではない。恐らく韓信の傍にいる何者かの思うツボとなってしまうだろう。
二人の意図を悟った劉邦は再び罵って言った。
「大丈夫足るものが、諸侯を定めれば真王になるべきだ。なぜ假王になるというのか」
二月、劉邦は張良を派遣して田広の印を韓信に渡した。あわせて韓信に楚討伐を命じた。
この時、張良に同行していた男がいる。
自称・高貴にして美しき貴公子である呂馬童である。
「どなたかわかりましたか?」
張良が尋ねると彼は頷いた。
「あそこにおられる舌剣・蒯徹でありましょう」
「なるほど……范増の意思に従う人には見えないが……」
呂馬童は問いかける。
「どうされますか。捕らえますかな?」
「いや……念のため曹参、灌嬰、両将軍に話を通しておきましょう。最悪は何とかなるでしょう」
張良が二人に念の為に二人の話を通した後、帰還すると楚から韓信の元に使者がやってきた。
「さあ、ここが大勝負であろう」
蒯徹はにやりと笑った。




