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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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対立と決断と

 矢を受けた劉邦りゅうほうは成皋の城内にある部屋に運ばれた。矢はまだ刺さったままであり、衰弱していた。


「陛下」


 女官長までになっていた薄姫はくきは水を入れた桶を持ってきて、布をつけて絞り劉邦の額に載せる。


「医者を呼んでくる」


 陳平ちんぺいがそう言って、部屋を出る。するとそこに劉肥りゅうひが部屋に入ってきて、慌てた様子で横になっている劉邦の傍に駆け寄る。


「陛下……父上……」


 因みに薄姫は劉肥に会うのは初めてである。


(どうしましょう)


 劉肥を追い出すべきだという思いがあるが、自分では権限がなさすぎる。


(せめて陳平か張良ちょうりょうがいれば……)


 劉邦は劉肥の存在に気づき、彼に向かって手を伸ばす。劉肥はその手を手に取る。


「肥よ。万が一のことが……あれば……お……前が……」


 薄姫はまずいっと思った瞬間、劉肥の肩を掴んだ手があった。


「劉肥様。医者が参りました。この部屋から離れるように」


 掴んだのは陳平であった。彼の後ろには慌てて連れてこられたであろう医者と張良、陸賈りくかがいる。


「私は……」


「部屋からお出でになってください。医者が陛下を見ますので」


 劉肥は陳平を嫌っているために彼を睨む。


「劉肥様。陳平殿の言葉に従ってください。正直、あなた様がここにおられても意味がありません」


 張良は柔らかい調子でそう述べた。流石の劉肥も従わざる負えない。


「わかりました。失礼致します」


 劉肥は父の手を離すと部屋から出て行った。


「それでは先生お願いします」


 陳平はちらりと薄姫を見る。彼女は静かに頷いた。


「では、我らも隣の部屋に移りましょう」


 三人は部屋を出て、隣の部屋に入った。そのまま劉邦の容態を確認する医者の診断結果を待った。


 そして、医者の診察が終わり、三人は再び劉邦のいる部屋に入った。


「正直申し上げまして危険な状態ではございます」


「それをどうにかするのが医者では?」


 陳平にも焦りがあるのか口調に厳しさが混じる。


「医者の意見として申し上げますれば、もっと良い環境で安静になってもらい体力を回復させて矢を抜くことが一番であると考えております」


「ここよりも良い環境となると関中かな?」


 陸賈がそう言うと医者も頷く。


「ですが、問題もございます。それはこのまま関中までお運びできるだけの体力が陛下にあるかどうかが不明であることです」


「この場で矢を抜くことができないのですか?」


「環境がよろしくありません」


「では、このまま刺さったまま体力の回復を見るのは?」


「正直申し上げまして、ここで矢を抜くもしくは抜かずに体力の回復を待つ。どちらを選ぶにしても五分五分といったところでございます」


 三人の顔が曇る。


「いつほどまで持つだろうか?」


「わかりかねます」


 三人は顔を見合わせる。正直、ここでの決断が大きく物事を変えかねない。


蕭何しょうか殿をこちらへお呼びになり、判断を仰ぎましょう」


 一番、権限を与えられている蕭何の判断の方が良いと考えたためである。


「そうだね。そうしよう。本来なら正室となられる方が判断した方がいいんだけどね」


「仕方ありませんね」


 三人は使者を急ぎ、蕭何のいる関中へ向かわせた。使者から事情を聞かされた蕭何は急ぎ、成皋へ向かった。この時、厄介なことに戚夫人せきふじんが蕭何に同行した。しかも劉邦との間に生まれた劉如意りゅうにょいを連れて。


 蕭何が来るのを今か今かを待つ中、陸賈は言った。


「私、廊下の方にいるね」


「何故?」


()()がまた来たら困るでしょ?」


「様をつけろ」


 陳平は陸賈を睨みつける。その様子に陸賈は苦笑すると、


「まあ大丈夫そうだね。じゃあそういうことで」


 と言うと彼はそのまま部屋を出た。


「私は正直、あの方が苦手です」


 陳平は張良にそう言った。


「陳平殿は陸賈殿が苦手ですか」


「ええ、あの心を読み取ろうとするのが苦手ですよ」


 彼はいやいやそうに言った。












 廊下で待っている陸賈はやっと蕭何が来たことを知った。


(これで決断がしやすくなる)


 そう思ってふと蕭何の後ろを見ると眉をひそめた。戚夫人がいるのである。しかも劉如意を連れている。


「蕭何殿、これはどういうこと?」


 蕭何に陸賈は耳打ちする。


「勝手についてこられたのだ」


「追い返しなよ」


「そうは言えん」


 陸賈はこめかみを掴み首を振る。


「取り敢えず、あなたは中へ」


 彼は蕭何を通す。それに続くように戚夫人が入ろうとすると、


「はいはい、駄目ですよ」


 彼女を止めた。


「なぜですか」


 戚夫人は彼を睨みつける。


「あなた様は入っても構いません。しかしながら御子息の方を預けられてからお入りください」


「なぜです。この子は陛下との子ですよ」


「それでもお入りになることはあってはなりません」


 陸賈は冷めた目で彼女を見る。


「おどきになってくださいまし。私とこの子は入らせてもらいますわ」


「なりません」


「どきなさい」


「どくわけにはいきません。本来、陛下の部屋にお入りなってもよろしいのは正室の方、皇太子、国家の重責を担う重臣の方のみとなっております。正室であられる方は楚軍にて囚われの身になっておられるためにあなた様を入れるのは特例なのです。御子息まで入れるわけにはいきません」


 彼女はそれでも引かない。


「この子は陛下との子。息子として陛下のお側にいることの何が悪いというの」


「皇太子となられた方であるのならば、お止めしません。しかしながら御子息は皇太子ではなく、皇太子様は劉盈りゅうえい様です」


「ですが」


「陛下のお側にいき、後継者問題を引き起こされては困るのです」


 劉肥を部屋から追い出したのもそれである。現在、劉邦は冷静な判断を行える状況ではない。


「このまま引き下がらないのであれば、国家を乱す者と見なしますぞ」


 普段では考えられない陸賈の怒声が轟く。


 それに驚き、恐れた戚夫人は劉如意を預けることに同意した。


「それでよろしいのです。では、どうぞお入りください」


 彼女が入っていくと彼は一旦、息を吐き、落ち着く。そして、次に来た者を見る。


「次は君か」


 次に来たのは劉肥であった。


「入らせてもらいたい」


「駄目だよ」


 陸賈は首を振る。


「なぜですか?」


「戚夫人に話した通りだよ」


 彼は劉肥を指差す。


「君は皇太子でもなければ国家の重責を担う者でもない」


「しかし」


「しかしもかかしもないよ。駄目なものは駄目。悲しいことだけどね」


 劉肥は拳を震わせる。


「父が亡くなろうとしている時に」


「子であるのならば、親が生きて元気になることを願うものだよ」


 段々と陸賈の言葉に厳しさが交わりつつある。


「父上は私に手を伸ばされ、万が一があればと申された。私は長子として」


 その時、陸賈は劉肥の首元を掴んだ。


「おい、身の程を弁えろと言っているんだよ」


 普段の彼とは思えない冷たく、厳しい声が放たれる。


「長子、長子と言ったね。国家における長子は皇太子殿下であられる劉盈様だ。君は庶子に過ぎない。陛下と殿下に対して忠誠を誓う臣下であって、君は玉座に座る存在ではない」


 劉肥はいつもとは違う陸賈の様子にただただ驚いた。


「君の母上のことは聞いている。可愛そうだね。そう言って慰めてもらいたいかい。でもね。君の母上が陛下にどのような扱いをされたとしても国家にとっては関係の無いことなんだ。わかるかい。君の母上は低い身分であり、君は庶子でしかないんだ。国家の後を継ぐべき立場ではないんだよ」


 彼の言葉に劉肥は目を尖らせ、睨みつける。それに対し、陸賈は手を離す。


「おや、その目はなんだい。この場で私を殺すかい。君の力なら容赦なく私の首をへし折るぐらいはできるだろうさ」


 陸賈は笑いながら、自らの首を叩く。


「さあ、やるかい。私を殺し、部屋に乗り込み部屋の中にいる方々を殺し、陛下を見殺しにし、自らを後継者に選んだと偽証し、玉座に自ら座るかい。もしそんなことを考えるならば、やめることをおすすめするよ。君は陛下にはなれないし、項羽こううに勝つことどこか。国を存続させることもできないさ」


 陸賈は手を広げる。


「さあ、どうする」


 劉肥は彼を睨みつけ、拳を震わせる。しばし静粛が生まれ、劉肥は背を向けた。そしてそのまま歩き去っていった。


(ありがとう。わかってくれて)


 陸賈は安堵する。彼は決して、劉肥を嫌ったことはない。しかし、ここで強引に入るようならば、国家に仕える者として、彼を処罰しなければならない。正式に決められたことを下手に乱すことがあってはならないのだ。


 それに下手に動けば陳平によって粛清するべき対象として見られることになるだろう。できればそういうことは止めたかった。


「それにしてもらしくないよね」


 今の自分に対し、陸賈はそう自嘲した。


 劉邦が死ぬかも知れない。そのことに対しての動揺が彼にもあった。












 さて、部屋の中では喜劇に似た状況であった。


 蕭何は劉邦を前にして、矢を抜くか抜かないかで迷い、決断ができず、それならばと戚夫人に決断を仰げば、彼女も決断しようとしない。


 この場にいる誰もが下手に決断を行えなかった。しかしながら彼らを責めるのは確かに酷ではある。ここでの判断が大きく物事を変えかねないからである。


 しかしながらこのじれったい事態についに我慢できない者がいた。


「矢を抜きましょう」


 そう言ったのは薄姫であった。


「矢を抜くのですか?」


 蕭何は冷や汗をかいて、相手は一女官長にも関わらず、丁寧にそう聞く。


「関中に連れて行くことは体力的に難しく、この場で抜かずに体力の回復に望みをかけるのは期待としては薄いでしょう。ならばここは難しくとも手術を行っていくべきですわ」


「待って、それでもし陛下に万が一のことがあっては……」


 戚夫人が青ざめながらそう言う。


(じれったいのよ。頭軽女)


 薄姫は彼女の身体を見て、自分の身体を少し見て、内心そう思った。決して僻みではない。


「責任は全て私が取りますわ」


「責任って、あなたのそれによって陛下が崩御されては国が……どうなるというの」


「何を恐れることがありましょうか」


 薄姫は叫ぶ。


「その時は私の首を切り落とし、関中におられる皇太子殿下を擁立し、前線は劉肥様を中心に一致団結して項羽に当たればよろしいのです。陛下ただひ一人死のうとも簡単に揺らぐようならば、漢もそれまでということでしょう」


「何を言っているの。だめですわ。この方に従っては」


 戚夫人は張良、陳平、蕭何に訴える。


「さあ、どうしますか」


 しかしながら薄姫の気迫に三人は圧倒されていた。


「こうなっては矢を抜くことにしよう」


 蕭何がそう切り出しあとの二人も同意する。


「では、皆様方お部屋を出て行ってください。さあお医者様お願いしますわ」


「承知しました」


 四人が部屋を出て、薄姫が治療に参加、それからしばらく時間がたち、医者が出てきた。


「どうであった?」


 蕭何が問いかけると医者は言った。


「しばらく安静にしておられれば、大丈夫でしょう」


 回りは歓喜した。


 それから数日して劉邦は目を覚まし、事情を聞くと薄姫を招いた。


「お前さんのおかげで助かったと聞いた」


「いえ、陛下のことを天が見捨てなかったのでしょう」


「相変わらず謙虚なことだ」


 劉邦は笑ってそう言うと続けてこう言った。


「この恩は忘れない。いずれ返すとしよう」


「ありがたきお言葉ですわ」


 薄姫は深々と頭を下げた。











話としては矢を抜くか抜かないかだったのが長くなったぜ

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