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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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困惑

 項羽こうう彭越ほうえつによって後方を乱されたため自ら討伐を行った。


 その間、成皋を守る者として大司馬・曹咎そうきゅうに任せた。


 漢軍は頻繁に戦いを挑んだが、項羽から戦わないように言われている曹咎は楚軍は城を出て戦おうとしなかった。そのため漢軍は何度も篭る楚軍を罵った。


 数日後、ついに怒った曹咎が汜水を渡った。楚の士卒が川を半分渡った時、漢軍が襲いかかってこれを大破してみせた。


 漢軍は楚の金玉、貨賂を全て奪い尽くし、大司馬・曹咎は塞王・司馬欣しばきん、長史・董翳とうえいと共に汜水の辺で自刎した。


 続けて劉邦りゅうほうは兵を率いて黄河を渡り、再び成皋を占領して広武に駐軍した。これにより食糧を敖倉から供給されるようになった。


 項羽は彭越の十余城を占領した時に成皋失陥を知った。項羽はすぐに兵を率いて引き返す。


 漢軍は滎陽東で鍾離昩しょうりばつを包囲攻撃していたが、項羽が来たと聞くと全軍を険阻な場所に遷した。


 項羽も広武に駐軍して漢軍と対峙した。


 その数か月後、楚軍の食糧が少なくなり、敖倉を占拠した劉邦ら漢軍のが優勢になり始めた。


「このままでは打開できません。人質を使用しましょう」


 虞子期ぐしきがそう進言をしたため、項羽は同意した。

 

 大きなまないたが作られ、太公(劉邦の父)を上に乗せ、劉邦にこう伝えさせた。


「今すぐ降らなければ、私が太公を烹に処すことになろう(煮殺すことになろう)」


 劉邦は笑いながら答えた。


「私と汝は共に北面して懐王かいおうの命を受け、兄弟の契りを結んだではないか。私の翁(父)は汝の翁でもある。汝の翁を烹したいというのならば、私にも一桮(一杯)の羹を分けてもらえれば幸いさ」


「やってしまいましょう」


 虞子期がそう促すと項伯こうはくが止めた。


「天下の事はまだどうなるか分からないのです。そもそも天下を為そうという者は家を顧みないものであって、殺しても無益であり、禍を増やすだけです」


「叔父上はやさしいですなあ」


 そう言って項羽は諫言に従った。


(こいつら馬鹿ばかりだろ)


 虞子期は内心、舌打ちしたかった。


 楚と漢が長い間対峙して決着がつかないため、丁壮(壮年)は軍旅のために苦しみ、老弱は転漕(水陸の輸送。食糧物資の輸送)のため疲弊していた。


 すると項羽が劉邦に言った。


「天下が匈匈(喧噪。混乱)して数年が経つが、我々両人が原因である。お前に戦いを挑んで雌雄を決したい。いたずらに天下の民父子に苦を与えるべきではなかろう」


 つまり一騎打ちしようではないかということである。


 劉邦は笑いながら、


「私は智を闘わせても力を闘わせることはできない」


 と答えた。


 口喧嘩なら付き合うぞという意味である。


「こいつら遊んでるのか?」


 虞子期は天下を争っている者同士の会話とは思えなかった。


 次に項羽は壮士に三回命じて漢軍に戦いを挑ませた。すると劉邦は騎射を得意とする楼煩を送り込み、彼らによってにことごとく射殺させた。


 楼煩は地名で人名ではない。楼煩は胡人という説と、楼煩県の人が騎射を得意としたため、この士も楼煩と呼ばれたとある。


「ほほう面白いのがいる」


 項羽はそう言うと回りが止めるのを無視して自ら甲冑を身につけ、戟を持って戦いを挑んだ。


 楼煩らが矢を射ようとしたが、項羽が目を見開いて叱咤した。すると楼煩は目を合わせることも矢を放つこともできず、営壁に逃げ帰って二度と出られなくなった。


「おいおいあいつ自ら出てくるのか」


 劉邦は笑う。


(楽しそうだ)


 傍にいる陳平ちんぺいはそう思った。


 劉邦は決して項羽を嫌ったことはない。だが、だからと言って項羽と肩を抱き合うような仲でもないと思っている。一言で言えば喧嘩友達だろうか。


 そんな感情を劉邦は項羽に抱いている。


 項羽は広武間(澗。溝。谷)を隔てて劉邦と会話を始めた。


「どうだ一騎打ちしないか」


 喧嘩友達ような感情を持っている劉邦でも本当に殴り合いをしたいわけではない。


「かつて汝と共に懐王の命を受け、先に関中に入った者を王にすると約束した。しかしながら汝は約束に背き、私を蜀・漢の王にした。これが一の罪である。卿子冠軍・宋義を矯殺(王命を偽って殺すこと)して自ら尊い地位に就いた。これが二の罪である。趙を救ってから還って報告するべきだったにも関わらず、汝は勝手に諸侯の兵を強制して関に入った。これが三の罪である。懐王は秦に入ってから暴掠しないように制約したにも関わらず、汝は秦の宮室を焼き、始皇帝の冢を掘り、その財を収めて私有した。これが四の罪である。更に秦の降王・子嬰を強殺した。これが五の罪である。秦の子弟二十万を新安で偽って阬し(生埋めにし)、その将を王に立てた。これが六の罪である。汝は諸将を善地の王とし、故王(旧王)を放逐し、臣下に争って叛逆させた。これが七の罪である。汝は義帝を彭城から追い出すと自らの都とし、韓王の地を奪い、魏・楚の地の王となり、自分の勢力を拡大させた。これが八の罪である。汝は人を送り、秘かに義帝を江南で弑殺した。これが九の罪である。人臣でありながらその主を弑し、既に降った者を殺し、政治は不公平であり、主約(主持した盟約)には信がなく、天下に容認されていない。大逆無道とはこのことである。これが十の罪だ。私は残賊(残虐な賊)を誅すために義兵を挙げて諸侯に従った。刑余の罪人に汝を撃たせれば充分である。なぜわざわざ汝に戦いを挑まなければならないのか」


 これを聞き、項羽は眉をひそめた。


(馬鹿らしい会話をいつまで続けているのか)


 虞子期は首を少し上に上げた。すると隠していた弩から矢が飛び出し、まっすぐ劉邦に飛び、彼の胸を射た。


 劉邦は驚き、とっさに岩壁へ隠れて慌てて駆け寄ろうとする回りの臣下を制す。そして、息を整え、足を撫でたように見せて言った。


「虜が私の指に命中させたぞ」


 必死に笑い声を放ちながら、周囲の手を借りず、陣幕に戻った。


「陛下、休んではなりません。ここは我慢して動いてください」


 横になって休もうとする劉邦を張良ちょうりょうが止めて、無理に彼を起こすと労軍させた。漢の士卒を安心させ、楚に乗じる機会を与えないためである。その後、軍内を巡行したが、傷が重いため成皋に劉邦は移動した。


 一方、虞子期はこの隙に攻撃をするべきと主張したが、項羽は許可しなかった。


「なぜです。劉邦の傷は深いのですぞ」


「あれで死ぬと?」


「可能性は否定できないでしょう」


 項羽はふっと笑うと、言った。


「あれは死なんよ。私以外には殺されんさ」


(馬鹿じゃないのか)


 虞子期はただただ困惑した。一体、こいつは何がしたいのかわからないのである。


(項羽勝ちたいんじゃないのか)


 天下を争っている男の行動とは思えなかった。







 

中学の頃、この場面を読んだ時、「じゃれあってるの?」って思ったことがある。

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