六国の印璽
楚軍がしばしば漢の甬道を攻撃して食糧を奪ったため、漢軍の食糧が不足し始めた。
劉邦は酈食其と楚の勢力を削る方法を謀った。酈食其はこう進言した。
「昔、湯王が桀王を討伐してから、その後代を杞に封じられました。武王が紂王を討伐してからはその後代を宋に封じられました。今、秦は徳を失い義を棄てて諸侯を侵伐し、その社稷を滅ぼしてから、立錐の地(わずかな土地)も与えることはありませんでした。陛下がもし再び六国の後を復すことができれば、その君臣も百姓も必ずや皆、陛下の徳を奉戴し、嚮風慕義(義を慕ってその風紀に従うこと)して臣妾になることを願うことでしょう。徳と義が行われば、陛下は南を向いて霸を称えられます。そうなれば楚は必ずや斂袵(襟を正すこと)して朝見に来ることでしょう」
「素晴らしい。すぐに印(六国の印璽)を彫刻しよう。先生はそれを佩して各国に回ってくだされ」
劉邦は喜びながら言った。酈食其が出発する前に張良が外から戻って漢王に謁見した。
食事中だったとはいえ、彼を無下にしない劉邦は彼を呼んだ。
「子房殿、ささこちらへ。客(賓客)が私のために楚の権勢を削る計を為してくれた」
劉邦は先ほどの言葉を詳しく話してから、
「如何か」
と問うた。すると張良は眉をひそめてこう言った。
「誰が陛下のためにこのような計を画策されたのでしょう。これでは陛下の大事が去ってしまいます」
劉邦が首を傾げると張良は前にあった箸を持って答えた。
「前にある箸を借りて王のために形勢を描くことをお許しください。昔、湯王と武王が桀王・紂王の後者を封じたましたのは、彼等の死生の命(運命。命数)を制御できると判断したためです。今、陛下は項羽の死命(運命。命数)を制御できましょうか。これが不可とする一つ目の理由です」
古の二君はどちらも戦略的有利性を持っていたための余裕ある行動であり、劉邦と項羽はなんとか勢力が均衡しているに過ぎない。
「武王は殷に入ってから商容の閭を表彰し、箕子の囚を解き、比干の墓を封じました。今の陛下にそれができましょうか。これが不可とする二つ目の理由です」
相手の優れた者を称え、尊重する。綺麗な行為に見えるがそれは自分たちに余裕があるがためのものであり、今の劉邦にそのような余裕はないだろう。
「武王は巨橋(穀倉の名)の粟(食糧)を発して鹿台の銭を散じ、貧窮の者に下賜されました。今の陛下にそれができましょうか。これが不可とする三つ目の理由です。武王は殷を滅ぼしてから、革(兵車)を廃して軒(普通の馬車)に改め、干戈(兵器)を逆さに置いて天下に再び兵を用いないことを示されました。今の陛下にそれができましょうか。これが不可とする四つ目の理由です。武王は馬を華山の陽(南)で休めて戦争が終わったことを天下に示しました。今の陛下にそれができましょうか。これが不可とする五つ目の理由です。牛を桃林の陰(北)に放って再び輸積(物資の輸送)に使わないことを示しました。今の陛下にそれができましょうか。これが不可とする六つ目の理由です」
どれも物資に余裕があり、もはや自分に敵はいないという自負によるものであり、今の劉邦は蕭何がいなければ餓死しても可笑しくない状況でもある。それほどに余裕がないにも関わらず、二君と同じような成功例を真似することはできなだろう。
「天下の游士は自らの親戚から離れ、墳墓を棄て、故旧(旧友)から去り、陛下に従って周遊しております。それは咫尺の地(わずかな地)を得ることを日夜願っているためです。今もしも再び六国の後代を封じれば、天下の游士はそれぞれ帰国し、己の主に仕え、自らの親戚(家族)に従い、故旧がいて墳墓がある故郷に戻ってしまうことでしょう。陛下は誰と一緒に天下を取ろうとなさっているのでしょうか。これが不可とする七つ目の理由です」
劉邦に皆、従っているのは劉邦についていけばもしかすれば低い身分でありながら高貴な身分になれるかもしれないという期待によるものである。
その本来は幻想でしかなかったものを劉邦自身が体現していることもある。
人の集団というものは所詮、欲望の手段でしかない。そう考える張良がどれほど人の醜さを見てきているかがわかる。
「そもそも、今は楚だけが強盛であって、他に強い国はありません。もし六国に立てた者が弱小なために楚へ従うようになれば、陛下はどうして臣服させることができましょうか。これが不可とする八つ目の理由です。本当に客の謀を用いるのならば、陛下の大事は去ってしまいます」
劉邦は張良の話を聞いて、食事を止めて口の中の物を吐き出すと、
「豎儒(知識人を罵倒する言葉)が私の大事を台無しにするところであった」
と罵って、すぐに六国の印璽を破毀するように命じた。
「よく教えてくださった」
「当然のことでございます」
張良が退出すると薄姫はお盆を持って、入ってきた。彼女は仕事ぶりを評価されて女官の中で上位の地位にまで至っていた。
「どうなさいましたの?」
「腐れ儒者が私を間違えさせようとしたのだ」
こうは言うものの劉邦は進言内容で処罰を下す人ではない。
(不思議な人よね)
発言に自由をもたらせているのが劉邦の陣営の特徴であり、時に儒者が、時に法家が、参謀が、発言して劉邦が判断するという体制である。
「まあ、王道と覇道の用い方というものは、時と場合によりますからね」
「ふむ、しかし項羽の力を削ぐにはどうしたらよいものか?」
そもそもの問題はそれである。
「張良殿は、現在の陛下のお力では、王道のやり方は難しいということを陛下にお話されましたわ。逆に言えば、項羽は王道のやり方を行える立場にあるということでもありますわ」
「なるほど」
劉邦に王道のやり方を行えないということは項羽は逆に行える立場にあるという逆の指摘になる。
「では、項羽に王道を進ませないためにはどうすれば良いのか。陛下はそれをお考えになるべきかもしれませんわ」
「ふむふむ」
劉邦は彼女の言葉を聞き、ある男を呼んだ。
「お呼びでございますか。陛下」
「ああ、陳平よ」
陳平は拝礼を行う中、劉邦は言った。
「お前さん。金はどれぐらい欲しい?」
張良「方向性の提示」
陳平「実行する手段の提示」
薄姫「客観視の提示」
陸賈「人物間の調整」
韓信「戦術による貢献」
蕭何「物流、運搬、内政、法律の制定」
それぞれの役割。
蕭何「あれ、私だけ多くね」




