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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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隨何

 漢の隨何ずいかが二十人を率いて九江に入った。


 九江の太宰が隨何の相手を務めた。


 太宰という官は、かつては国政を掌握する権限を持っていた。後世の丞相や宰相に相当する地位でもあった。春秋戦国では太宰・嚭が有名であろう。しかし戦国時代以降は地位が下がり、秦代の太宰は帝王の食事を管理する官になっていた。


 隨何は三日経っても九江王・英布えいふに会うことができないでいた。そこで隨何が太宰に言った。


「王が私に会わないのは、楚が強くて漢が弱いと思っているからでしょう。これこそ私が使者になった理由なのです。私に会う機会をください。もし話の内容が正しいものであれば、それは大王が聞きたいと思っていることです。もし話の内容が非であれば、我々二十人を九江の市で斧質(刑具)に伏させてください。我々を殺せば、王が漢に逆らって楚に附いていることを明らかにできましょう」


 しかしながら英布は会わないということはないという確信を彼は持っている。なぜなら英布が最初から楚の味方であるならば、自分たちの首はとうに飛んでいるはずだからである。


 沈黙は己の答えは信頼を証明するものではない。


 太宰は隨何の言葉を英布に伝えた。英布は隨何に会うことにした。


 隨何は言った。


「漢王が私を派遣し、大王の御者に書信を敬進させました」


 御者は侍者の意味である。直接大王に渡すことを憚って御者に渡すとしたもので、当時の外交上の礼義である。


「漢王は王と楚がどのような関係にあるのか、心中で疑問に思っております」


「私は北を向いて楚に臣事している」


(沈黙は信頼の証明でなく、疑惑の証明でしかないことがわからない方だ)


 隨何はそう思いながら言った。


「王と項羽こううは共に諸侯に列しています。それにも関わらず、北を向いて臣事しているのは、楚が強いから国を託せると思っているからであるからと思われます。しかしながら項羽が斉を討伐して自ら版築(築城の工具)を背負い、士卒の前を進んだ時、王は九江の衆を総動員して自ら将となり、楚の前鋒になるべきだったにも関わらず、四千人の兵を発して楚を助けただけでございました。北面して人に臣事するというのはこういうことでしょうか?」


 この他にも英布は疑惑の行動を行っている。


「漢王が彭城に入った時、項王はまだ斉から離れていませんでした。王は九江の兵を総動員して淮水を渡り、日夜、彭城の下で会戦なさるべきだったにも関わらず、万人の衆を擁しながら一人も淮水を渡らせることなく、垂拱(垂衣拱手。衣服の袖を垂らして拱手すること。何もしない事の喩え)して誰が勝つかを傍観なさっておりました。国を人に託すというのはこういうことでしょうか?」


 明らかに英布の行動は疑惑を生むしかないことをやっている。


「王は楚に附いているという空名を挙げて自託(自分が頼りにしているもの)を厚くされ、自分を守ろうとしていますが、私が見るに王はそうするべきではありません」


 そもそもここまで英布が黙って聞いていることこそが最大の疑惑を生むのである。


「それでも王が楚に背かないのは、漢が弱いと思っているためでありましょう。しかし、楚兵は強いとはいえ、天下は楚に不義の名を負わせています。盟約に背いて義帝ぎていを殺したからです。漢王は諸侯を収めて成皋、滎陽に還って守り、蜀・漢の粟(食糧)を輸送させ、溝(濠)を深くして壁塁を固め、士卒を分けて徼(辺境。国境)を守らせたり塞(要塞。拠点)に配置しております。楚人は敵国八九百里に深入りしております」


 楚軍が彭城から滎陽や成皋に至るには、間に魏の地がある。当時、彭越ほうえつがこの地で楚に反していたため、楚の敵国になる。


「それにも関わらず、老弱が食糧を千里の外に運んでおり、漢が堅守して動かなければ、楚は進んでも攻めることができず、退いても解くことができません。だからこそ、楚兵は頼るに足らないのです。もし楚を漢に勝たせたら、諸侯はそれぞれ危懼して互いに助け合い楚に対抗することでしょう。楚の強盛が逆に天下の兵を招くことになるのです。よって楚が漢に及ばないという情勢は容易に見てとることができます」


(ここで英布が反論をしないのが面白いところだ)


 英布は長年、項羽と共に兵を指揮してきたはずである。項羽の兵が天下第一の強さを誇っていることを知っているにも関わらず、自分の意見に反論を行わない。


(さあ、もうひと押し)


「今、王は万全の漢と与せず、自ら危亡の楚に託しております。私が見るに王は惑わされているのです。私は九江の兵で楚を亡ぼすことができるとは思っていません。王が兵を発して楚に背けば、項羽は必ずや留まります。項羽を数カ月留めることができれば、漢が天下を取るのは万全のものとなりましょう。私は王と共に剣を提げて漢に帰ることを請います。漢王は必ずや地を割いて王に封じます。また、九江も当然大王が有すことになるのです」


 英布は彼の言葉を聞き、


「命を奉じさせてください」


 と答えた。但し陰で漢に附く約束をしただけで、公言しなかった。


(図体の割に小心者だ)


 隨何は舌打ちした。そんな時、 楚の使者が九江におり、伝舍(客舍)に留まっていることを知った。楚の使者は英布に急いで兵を発すように催促を行っていた。


(尻を燃やす他あるまい)


 隨何は直接伝舎に入って乗り込み、楚の使者の上の席に座ってこう言った。


「九江王は既に漢に帰した。楚はなぜ兵を動員させようとするのか」


 英布は愕然とし、楚の使者は激怒して立ち上がった。


 隨何はすぐさま、英布に向かっていった。


「事は既に決しました。楚の使者を殺害なさるべきです。帰らせてはなりません。疾く漢に走って力を合わせましょう」


 英布は一度は彼を睨むも同意し、


「使者(隨何)の教えの通りにします」


 と言って楚の使者を殺し、兵を挙げて楚を攻めた。


「英布め」


 項羽は項声こうえい龍且りゅうしょに九江を攻撃させた。数か月後、龍且は見事に九江軍を破った。


 英布は兵を率いて漢に走ろうとしたが、楚兵に殺されるのを恐れたため、間道から隨何と一緒に逃走して漢に帰順することにした。


 十二月、英布は漢に入った。


 劉邦りゅうほうは床に座って足を洗ったまま英布に接見した。


(なんと無礼なやつ)


 こんな無礼なやつに頭を下げなければならないのかと思い、英布は後悔して自殺しようとした。


 ところが、漢王の部屋から退出して自分の館舍に入ると、帳御(幕帳や服。日用品を指します)、飲食、従官とも全て劉邦と同等であった。


 英布は望外の喜びを表した。


「ひやひやしましたぞ」


 隨何がそう言うと劉邦は、


陸賈りくかになあ『傲慢なやつだから一回、心へし折ろうよ。上下はしっかりと認識させないと駄目だよ』って言われてな」


 と言った。英布の部屋の飾りを用意したのは陸賈である。


 英布は九江に人を送ったが、項羽が項伯こうはくに命じて九江の兵を併合させており、英布の妻子も全て殺されていた。英布の使者は故人(友人)、幸臣等、数千人を率いて漢に帰った。


 取り敢えず、劉邦は思ったよりも少ない、九江王の兵を増やして共に成皋に駐留させた。


 



陸賈「下げてから上げる。それが人を従わせるコツだよね~」


劉邦「お前、案外怖いことするよな」

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