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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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命を使う時

すいません体調を崩していたものですから遅れました。

 彭城が占領されたと聞いた項羽こうう龍且りゅうしょに斉攻撃の続行を命じると自ら精兵三万を率いて南下し、魯県(旧魯国)から胡陵を出て蕭県に至った。


「さあどうしますか相手は五十六万の兵がいると聞きますが?」


 季布きふの投げかけに項羽は眉をひそめる。


「どうするとは?」


「どのように攻略するかです」


「攻略するとは?」


 項羽は一体何を言っているのかという目を季布に向ける。


「五十六万の兵があそこにいるのです。彭城に入ることさえも困難なのですよ」


「己の居城に戻るのに、裏口からこそこそ入る王がいるか?」


 項羽は鼻で笑う。


「正面から堂々といけば良い」


 項羽は朝日と共に彭城へ向かって駆けた。その後を季布を始め、楚の兵たちがついていく。


 この状況まで漢軍を始めとした諸侯の軍誰もが、楚軍の存在を知ることがなかったのははっきり言えば、怠慢であるが、これほど項羽が堂々と真正面から突っ込んでくるとは誰も思わなかったというのは無理はない。


 早朝になったとき、戦時中でなければ城というものは中の民衆のため門を開けるものである。


「ふぁ、いい朝だ」


 漢の兵がそう言って、門を開けた後、こちらに向かってくる大群がいることが見えた。


「あれは……楚軍?」


 驚いた彼は叫ぶ。


「敵襲、敵襲、門を閉めろ」


 その声に答え、門が急ぎ閉められていく。しかしながら楚軍は優秀な騎兵ぞろい。その速さは疾風が雷鳴を呼ぶがごとくである。


 しかしながら門が閉められようとした。


「おい、私の矛を持て」


 先頭をかける項羽は後ろの兵に矛を投げる。


 そして、閉められようとする門に到達すると左右の戸が閉じる前にそれぞれ両手を伸ばし止める。そしてそのまま力を込め、


「ふん」


 戸が項羽の力によってきしみ、付け根の部分が取れて、門の内側へと倒れた。


「いくぞ」


 項羽が叫ぶと楚軍の兵たちも叫ぶ。


「蹂躙せよ」


 項羽は矛を受け取り、漢軍を始め諸侯の兵たちをなぎ払っていく。


「目に付いた者全てを殺し尽くせ」


 項羽の元にいる楚軍は常人の強さとは思えない強さを発揮する。それは武神とも言うべき項羽への信仰心故である。


 項羽の存在に楚軍が勢いを増すのであれば、他の兵は逆である。


「こ、項羽だあ」


 一目散に誰もが項羽を見た瞬間逃げ、項羽はそんな彼らを背中からばっさりと切り捨てていく。


 無人の荒野をいくかのように項羽はかけていく。しかし、その表情を面白くなさそうであった。しかし、突然、馬を止めた。そしてにやりと笑う。


 彼の前に数十人の漢軍の兵が立ちふさがったのである。













「ありゃが項羽か」


「ひぇ怖そうなやつじゃけぇ」


「漢王の兄貴は逃げれたけぇのう」


夏侯嬰かこうえいが向かったそうじゃ」


「それなら心配あるめぇ」


張良ちょうりょうさんはどうかねぇ」


陳平ちんぺいとか言うやつと一緒に逃げれたそうだあ」


「なら、良か良か」


 漢軍の兵たちは口々に話す。彼らは沛県からここまで劉邦りゅうほうについてきた古参兵である。


「よっしゃおめぇら。ここらが命の使いどころじゃけ」


 一人がそう言うと皆、剣を抜く。


「ちょっとでも時間稼ぐぞ」


「おう」


 一斉に漢兵たちが項羽に飛びかかった。


「ふん」


 項羽はひとふりで一人を真っ二つにし、二人目、三人目の剣を矛で防ぎ、なぎ払う。


「おいおい、おめぇら何楽しそうなことしてんだ」


 そう言って現れたふた振りの剣の男は紀信きしんである。


「俺たちを仲間はずれにして楽しもうなんて、いい気なもんだなあ」


 更に靳彊きんきょう周苛しゅうか周昌しゅうしょうらもやって来た。


「命を使うは今ぞ」


 彼らも剣を抜き、項羽に向かっていった。そんな彼らに項羽は笑う。


 紀信のふた振りの剣による連撃を項羽は軽やかに受け止めていく。その隙に靳彊が後ろに回り、剣を振り下ろそうとするが、項羽は矛を後ろに引き、後ろを振り返ることなく、彼の腹を突き吹き飛ばす。


 左右から周苛、周昌が襲いかかるがそれをも項羽は受け止め、矛で彼らを吹き飛ばす。


「まだまだ」


 漢軍の兵たちを始め、彼らは驚異的な力を見せる項羽に向かっていく。


「皆さん」


 そこに劉肥りゅうひもやって来た。


「あれが項羽」


 凄まじい男である何十人という男たちに囲まれながら一太刀も浴びることなく、交わし矛を振るっている。


(あんなに強い人がいるのか)


 化物のような強さだ。黄色い服の男やあの女のような不気味さはないだけに恐ろしかった。


(そんな化物に皆、父さんのために命を犠牲にしようとしている)


 また、一人漢兵が身体を横に真っ二つにされ、地面に落ちる。そして、また次の兵が斬られた時、周苛が左から項羽を突き刺そうとする。


 項羽はそれをすぐさま、察知すると身体の向きを変えて、矛を突き出そうとする。しかし、その時、胴体から下を失った兵が項羽の足を掴む。思わず、足の法に視線を向ける項羽。周苛の剣が項羽の身体に向かう。


 辺に音が響いた。


 項羽が迫る周苛の剣に向かい、左手を振り下ろし、叩きおったのである。


「な」


 驚く周苛の頭を左手で持つと項羽は他の漢軍に向かって、投げつける。そしてそのまま矛で足を掴む腕切ってみせる。


「まだだ」


 紀信が日本の剣を突き出す。項羽はそれに対し、矛を地面に突き刺すとふた振りの剣を掴む。血が流れた。


(初めて項羽が血を流した)


 劉肥はそう思いながら剣を抜き、項羽に向かう。


 そこに項羽は紀信の剣を両手で掴んだまま上げてそのまま劉肥に向かって投げる。


 紀信に巻き込まれて倒れる劉肥はすぐに立ち上がるが、そこに項羽は矛を振るう。劉肥はすぐに剣でそれを受け止めようとするが、


(凄まじい強さだ)


 劉肥は矛を受け止め切れず、吹き飛ばされ、壁にぶつけられる。


「おめぇの相手は違うだろう」


 紀信の剣が再び、項羽に迫ると項羽は一回、後退しそれを避ける。


「紀信、靳彊、周苛、周昌。坊ちゃん連れて逃げな」


 兵の一人がそう叫ぶ。


「しかし」


「坊ちゃんが死ねば、兄貴も悲しむだろうか」


 漢軍の兵が項羽を見据える。


「まあここは任さな。項羽を泣かして帰るからよう」


「わかった。では、天涯でな」


「ああ」


 数人の漢兵が項羽に突っ込む。一方、紀信、靳彊、周苛、周昌は劉肥を連れて逆方向に走り出す。


「待ってください。みんなが」


「時間稼ぎは十分だ。お前が死ぬよりはましってことよ」


 紀信は劉肥を抱えながらそう言う。


「そんな死んでまで、父のために尽くす必要があるんですか?」


 劉肥は思う。彼にとって父は人として最低な人間なのである。


「あの人はな。俺たちに夢を見せてくれるんだよ」


 紀信たちのような低い身分にいたはずの劉邦が今や天下をかけた戦いに挑んでいる。


「俺たちゃその夢が実現するのが見てぇんだ」


「見たいなら死ななくてもいいではありませんか」


 劉肥の言葉に皆は笑う。若いなあと誰もが思う。


「そうじゃねぇんだ。理屈じゃねぇんだ。俺たちがあの人のために命を使うってのはよ」


 自分の命を使ってでも助けてやりたい。そう思える男に出会えたことがどんなことよりも喜びなのである。


「さあ、俺たちも命の使い方ってもんを考えねぇとな」


 四人は含み笑いをしながら言い合う。


「全くだ。いつ使うよ」


「使うなら派手に行きてぇなあ」


 紀信はそう言って笑う。


「そうだなあ」


 げらげら笑う彼らの姿に劉肥は驚き、困惑しながら、


(私の命はいつ使うのか……)


 そんなことを思った。


 周囲に赤い血の匂いが漂う。


 項羽は目を細め、自分に立ち向かい死んでいった漢兵たちを見る。


「劉邦、お前はこのような兵に恵まれながらなんと無様な負け方よ」


 しかし、あの男は死なない。


「ふふ、死なないで欲しいと思う俺はおかしいか。虞姫ぐきよ」


 いつの間にか後ろにいた虞姫に言う。


「そうね、おかしいと思うわ」


「そうか、面白いな」


 項羽は笑った。そんな笑顔がなぜか惹かれるところがあることに虞姫は動揺しつつ目を細めた。




 楚軍に大破されて敗走した漢軍を始めとした諸侯の兵は次々に穀水と泗水に入っていった。死者が十余万人を数えていく。漢の士卒は全て南の山中に逃走した。


 楚軍は追撃を続けて霊璧東の睢水に至った。


 漢軍は退却していくが、楚軍に圧迫されて十余万の士卒が睢水に入った。そのため川の水が流れなくなったほどという有様となった。


「派手に負けたもんじゃ」


 叔孫通しゅくとんとうがそう呟く。


「じいちゃんどうする。項羽に降参するってのも手だけど?」


「お前さん漢王の配下なのにそんなことを言うのじゃなあ」


 陸賈りくかの言葉に彼は笑いながら言う。


「いや、事実そうしてもおかしくない状況だからね。じいちゃん世渡り上手だし」


「よほほほ」


 叔孫通は笑いながら首を振る。


「いやわしは項羽には降参せんよ」


 彼はちらりと弟子たちが看病する老人を見る。


「あの年長さん死にそうだね」


「元々身体の弱い方であったからのう」


 少し言い方に疑問を感じた陸賈は首を傾げる。すると弟子であろう男が叔孫通に近づき、首を振ってから何かを囁いた。


「そうか。わかった丁重にな」


 弟子は頷くと恐らく死んだのであろう老人の元に駆け寄り、遺体となった老人を数人の弟子と共に運び出していった。


「さて、取り敢えず逃げるとするかのう。あとは漢王が逃げ切ることができるかどうかじゃが」


「大丈夫だよ。漢王の元には夏侯嬰さんがいるしね」


 陸賈は笑いながらそう言った。












叔孫通「さあ逃げるぞ」


陸賈「うん、あれ早くないじいちゃん」


叔孫通は百メートルを九秒代で走れます。

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