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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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都尉

 劉邦りゅうほうは順調に東進していく中、陳平ちんぺいは殷王・司馬卬しばこうを説得して、再び楚軍に寝返らせていた。


 その帰り道、陳平は故郷である陽武を通り過ぎた。


「兄上と妻は元気にやっているだろうか……」


 彼はそう思っていた。


 陳平の家は貧しかったものの、彼の才能を高く評価していた兄は彼に農作業を行わせるよりも読書や勉学に励ませるように力を尽くしていた。


(そんな兄のおかげで今の自分がある……)


 時に農作業をしないために周囲の人々に馬鹿にされることも多かった。兄嫁に罵倒されることもあった。すると兄は激怒して兄嫁を家から追い出し、陳平のことは一切責めなかった。


「お前は勉学に励みなさい」


 ただそれだけを言って兄は農作業に従事していった。


(兄の思いに答えなければいけない)


 そのためにも人脈を形成する必要性があると陳平は考えた。しかし、家は貧しく人付き合いを行うだけの資金がなかった。


「金が欲しい」


 金さえあれば、後はどうにかなる。それだけの才覚が陳平にはあった。


 そんなある日、張氏の家で葬儀が行われることになり、その手伝いに出向くことになった。すると友人の魏無知ぎむちからこんな話を聞かされた。


「張氏の孫娘は五回も夫に死なれているそうだ」


「ほう」


 そのためその孫娘の新たな婿選びに苦戦しているそうである。


 ならば自分が娶ろう。金のためという不純な動機ではあるが、陳平は魏無知に協力を頼み、葬儀の準備に積極的に行った。それに目をつけた張氏が人をやって、陳平の家を観察させると、貧しい家で暮らしながらも門外に貴族が乗る馬車の轍を多く付けて広く人物と交わりがあるようであった。


 陳平によるこの偽装工作から張氏は孫娘を嫁がせることを決めた。息子はそのことを反対したが、


「陳平の容姿は中々の者だ。やがて大成するだろう」


 結局は顔で選ばれた。


 数日後、孫娘が陳平の元に嫁ぐことになり、陳平の家は資金的に余裕ができた。しかし兄は自分はその金に手を出すことはなく、


「お前が好きなように使いなさい」


 と言って、自分はさっさと農作業を行った。


(こういう人は中々いない)


 陳平は誰よりも兄を尊敬し、兄のために答えようと多くの賓客と交わった。また、金が欲しいという不純な理由ではあったが、嫁いできた嫁を陳平はとても大切に扱った。


 ある日、里中(郷里)の社(土地神の社)で祭祀を行った際、陳平が祭祀の肉をさばくことになった。そうして人々に均等に分配したためそれを見た父老たちは、


「陳孺子の宰(さばき。主宰)はすばらしいものだ」


 と称えた。すると陳平はこう言った。


「ああ、もし私が天下をさばくことができるというのであれば、この肉と同じようにできるだろうに」


 その後、秦末の動乱が始まった。


「兄上と妻が賊に会う前にこの動乱を鎮めなければならない」


 そう考えた陳平は魏に仕えたが志を果たすことができなかったため、魏を離れた。その後、楚に仕えて今がある。


「未だ、天下の動乱を鎮めることができずにいる」


 迅速にこの動乱を終わらせねばならない。しかし、今仕えている項羽は逆に動乱を長引かせている。


 陳平はそう考えながら項羽の元に報告を行った。


「よくやった」


 項羽はそう言って、彼を都尉に任命して、金二十鎰を下賜した。


 今、項羽率いる楚軍は城陽にまで北上していた。


 それを受けて、斉の田栄でんえいは自ら兵を率いて項羽の軍を破ろうとした。しかし、項羽の軍は凄まじく強く、田栄の軍は瞬く間に粉砕された。


 敗れた田栄は平原に走った。しかし、その平原の民によって田栄は殺害されてしまった。


 項羽は田栄の死んだことを知ると再び田假でんかを斉王に立てて、そのまま斉地を攻略しながら北進して北海に至った。途中で城郭や室屋を焼き払い、田栄の降卒を坑していき、斉の老弱な者や婦女の多くは死んでいき、楚軍が通った場所の多くが残滅(全滅、破壊)されたようであった。


「ここまでやるのか」


 斉の民たちは思わず、そう叫び、このままひとり残らず殺されてしまうのではないかと恐怖し始めた。


 この声によって声望を集めたのは田栄の弟の田横でんおうであった。


 人々は彼の元に集まり、楚に対抗するようになったのである。


「これでは逆に動乱が長引くだけではないか」


 陳平はそう呟く。


 田栄にそこまでの徳があったわけではないことは彼が平原の民によって殺されたことからもわかる。それにも関わらず、斉の人々が彼の弟である田横を立てたのは項羽への恐怖によるものである。


「このままでは……」


 すると項羽の元に司馬卬が再び、漢軍に下ったことが伝えられた。


「この責任は重いと言えましょう」


 虞子期ぐしきはそう言って、司馬卬が寝返った責任追及を行うことを進言した。項羽は同意を示した。


(よし、これで陳平を殺せる)


 虞子期はにやりと笑った。


 彼が以前、食料を横流しにして陳平がそれを調べ上げていたこともあり、陳平のことを彼は警戒していたのである。


 しかしながらここからの陳平の動きは早かった。彼は処罰の危険性があると見るや下賜された金や官印に封をすると項羽に返すとさっさと剣を持って逃走した。


「死ぬわけにはいかない」


 まだ自分は何もしていないのである。


「さて、漢王の元にでも行ってみましょう」


 黄河を渡ると脩武で漢王の元にたどり着いた。


「あとはどうやって謁見するかだが」


「おお、懐かしい顔がいるじゃないか」


 そう言って陳平に近づいてきたのは魏無知であった。


「よ、久しぶりだな」


「そうだな。魏無知よ。頼みがある」


 陳平は魏無知を通じて劉邦に謁見できるように取り計らってもらった。


(複数人含めてか)


 陳平の他にも多くの者たちが劉邦に会うために来ていた。


 彼らを招き入れた劉邦が姿を現したが、彼らに食事を与えていたって普通のことだけを話すだけでそれぞれが訴えたいことなどは言える機会はなかった。


 そのまま劉邦は彼らを館舍に帰らせようとしたため、去っていく人々の中、陳平は一人座ったまま、言った。


「私は事を為すために来たのです。言うべきことは今日を逃してはならないのです」


 この言葉に劉邦は反応を示し、彼に自ら近づき酒を注いで言った。


「今話すことは今話せなければならないか。なるほど、ふむ、なるほど」


(この方は会ったことがあることを忘れてしまっているようだな)


 そう思いながら陳平は劉邦と話した。


(劉邦という人の良いところは話しやすいことだ)


 陳平は段々と自分から劉邦に話していることに気づきそう思った。


「汝が楚にいた時の官は何だ?」


 劉邦がそんなことを聞いてきた。


「都尉でした」


「わかった」


 劉邦は立ち上がり去っていった。


 その日、劉邦は陳平を都尉に任命し、参乗(車に同乗すること)と典護軍(諸将の監督)を命じた。


 それを聞いた諸将が不満を抱き、


「王は楚の亡卒(逃亡兵)を得て一日しか経っておらず、能力の高下(高低)も分からないにも関わらず、同載(同乗)を命じて長者(旧将、老将)を監護(監督)させた」


 と言って騒ぎ始めた。


 しかし劉邦は諸将の不満の声を聞いても陳平を信任し続けた。












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