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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争
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国士無双

 韓信かんしんの大将軍拝命の儀式を終えてから劉邦りゅうほうは席に着いた。


「丞相(蕭何しょうか)がしばしば将軍の話をした。将軍はどのようにして私に計策を教えるつもりか?」


 韓信は謙遜してから劉邦に問うた。


「今、東に向かって天下の権を争うとすれば、相手は項羽こううではありませんか?」


「そうだ」


「大王が自ら量るに、勇悍仁強という点において、項羽とどちらが優れていましょうか?」


 劉邦は久しく黙ってから、


「私は及ばない」


 と答えた。すると韓信は再拝祝賀してこう言った。


「信(私)も陛下が及ばないことを知っています。私はかつて項羽に仕えていたことがありますので、項羽の為人について語らせてください。項羽が喑悪叱咤(怒気を帯びて叱咤すること)すると瞬く間に、千人が皆廃します(動けなくなります)。ところが項羽は賢将を任用することができません。これは単なる匹夫の勇というべきものです。また、項羽は人に会うと恭敬慈愛で言語が嘔嘔(温和な様子)としており、人に疾病があれば、涙を流して飲食を分け与えます。しかし項羽が用いた者が功を立てて爵を封じる時になると、印を手離すことを惜しみ、角がなくなるまで弄んでも与えようと致しません。これは婦人の仁というものです。項羽は天下に覇を称えて諸侯を臣としましたが、関中を拠点とせず彭城を都にしました。しかも義帝ぎていの約に背き、親愛によって諸侯を王に封じたため、公平ではありません。故主(各国の旧主)を逐ってその将相を王に立て、義帝を遷逐して江南に置き、項羽が通れば残滅(全滅)しない場所はなく、百姓は親附せず、威強によって脅かしているだけなのです。名は霸者ではあるものの、その実は天下の心を失っていますので、その強も容易に弱となります。今、もし陛下がその道(項羽のやり方)に逆い、進むことができ、天下の武勇を信任すれば、誅滅できない相手はいません。天下の城邑を功臣に封じれば、服さない者はいないのです。義兵(義に則った軍事)によって東に帰りたがっている士の心に従えば、離散する者はおらず、必ず勝つことができます。しかも三秦王(章邯しょうかん司馬欣しばきん董翳とうえい)は秦将として数年にわたって秦の子弟を率いてきましたが、殺亡(殺害・逃亡)した数は数え切れず、後には衆を欺いて諸侯に降りました。新安に至れば、項羽が騙して秦の降卒二十余万を阬(生埋め)にし、三人だけが逃げ延びました。秦の父兄はこの三人を怨み、痛みは骨髓に達しています。今、楚は威によって強引にこの三人を王に致しましたが、秦の民は愛していません。陛下は武関に入ってから秋毫(わずかな物)も害すことなく、秦の苛法を除き、秦の民と三章の法を約束されました。秦民の中で陛下が秦の王になることを願わない者はいないのです。諸侯との約束においては陛下が関中の王となるべきであることを関中の民も皆知っています。しかし陛下は封職の約束を破られて漢中に入りました。秦民でこれを恨んでいない者はいません。今、陛下が兵を挙げて東に向かえば、三秦は檄を伝えるだけで平定できましょう」


 劉邦は膝を打ち同意すると韓信の計に従って出撃する諸将の配置を決めていった。また、軍に供給する糧食を確保するため、蕭何を留めて巴・蜀の租税を徴収するように命じた。


 さて、韓信の言葉にあった義帝が江南に置いたことについて述べる。


 項羽は関を出て東に帰ってから義帝に人を送りこう言った。


「古の帝は地方千里しかなく、必ず上游に住んだものです」


 項羽は使者を送って義帝を長沙の郴県に遷させ、遷都を催促した。そのことを知った義帝の群臣たちは離反し始めていったという。


 義帝は無能の人ではないが、ただただ補佐する人間に恵まれなかったといえよう。


 八月、劉邦はついに兵を率いて故道(地名)を出た。そして、韓信に命じて、雍を襲撃させることにした。


 韓信の元には曹参そうしん樊噲はんかい盧綰ろわん周勃しゅうぼつ酈商れきしょうをつけた。


「これより雍王・章邯率いる軍との戦いにおいての策を述べる」


 韓信は諸将を眺めながら説明を始めた。


「章邯は私たちの突然の出現に困惑しており、兵の準備は不十分であると言える。故に初戦においての勝利はとても重要である。先鋒は曹参、盧綰に任せる」


 曹参と盧綰は拝礼する。


「次に周勃はここを一日遅れて出撃し、ここ好畤に向かい、陳倉で我らの先鋒に敗れて敗走してきた秦軍を叩け」


「なぜ、そこに敗走してくるってわかるんだ?」


 不満そうに樊噲がそう言うと韓信は、


「地図を見れば、わかることだ」


 と言って、相手にしなかった。


「けっ」


 樊噲は不貞腐れたように拗ねる。その横で周勃は拝礼する。


「最後に樊噲、酈商は二日後に出撃し、好畤で敗れて廃丘へ逃れようとする章邯の軍をここの地点で兵を伏せよ。さすれば章邯の首を取ることができる」


「承知しました」


 酈商が拝礼するが、樊噲は拝礼をしなかった。


「さあ、出撃だ」


 韓信の指揮の下、漢軍が動き出した。


 章邯は漢軍の出撃に大いに驚いた。


「棧道を焼いたにも関わらずこれほど早く動くなど……」


 この辺は蕭何の事務能力の速さと現場の韓信の連携が上手かったためである。


「しかし、戦とはこのようなものだ」


 予測のつかないことが起きる。それが戦である。


(戦から離れすぎたか……)


 自分の感覚が鈍っていることを思いながら章邯は軍を陳倉に動かした。


「初戦が大事だ」


 章邯はそう言って漢軍と激突した。しかし、今率いている兵はかつて率いていた秦軍の兵よりも弱かった。そのため章邯はあっさり破れた。


「退却だ」


(思ったよりも漢軍は強い)


 それもそうである。漢軍は東に帰りたいという思いのほか、劉邦と共に各地を転戦した軍であり、将兵は成熟した者ばかりである。


 章邯は好畤で態勢を立て直そうとしたが、既にそこには漢軍がいた。


「大将軍の言うとおりになったか」


 周勃は突撃を指示した。


 まさか先回りされているとは思っていなかった章邯の軍はまたもや敗走した。


「廃丘に退却する」


 章邯はそう命じて、急いで軍を動かした。


 周勃の奇襲が上手くいったことが韓信の元に伝えられた。


「これ見よ。言ったとおりであっただろう」


 韓信は子供のように喜んだ。


「次の報告で章邯の首が取れたと報告されるだろう。早くて一刻後ぐらいであろうなあ」


 韓信は自分の戦に大層な自信を持っている。しかし、その一刻後……報告は来なかった。その時点で韓信は露骨に舌打ちした。


(こういうところがこの男の嫌なところだろう)


 曹参はそう思った。そして、韓信はイラつきながら立ち上がると全軍を動かすように指示を出した。すると報告がもたらされた。


「章邯の軍を大破しました」


 諸将は喜んだが、韓信は舌打ちした。


「だが、章邯には逃げられた。そうだな?」


「は、はい」


 韓信の戦術は硝子細工のようなものである。繊細かつ美しい。しかし、どこかが欠けると崩壊する。


「まあ良い勝利はできた」


 彼はそう呟くと戦の結果を劉邦に報告した。


「よし、章邯は廃丘にこもったそうだ一気に雍地を攻略する」


 劉邦は雍地を瞬く間に平定すると東の咸陽に至り、韓信と合流を果たした。


「大将軍、よくやった」


「いえ、章邯の首を取れませんでした」


「気にすんな」


 劉邦は樊噲に廃丘に篭る章邯を包囲させた。同時に諸将を派遣して隴西、北地、上郡といった秦の地を攻略させていき、塞王・司馬欣と翟王・董翳を投降させて、一気に渭南、河上、上郡を支配下に入れた。




 

韓信の頭の中ではノブヤボのマップが広がっていて、リアルタイムで兵が動いているのを予測して戦をしています。

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