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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争
53/126

騙し合い

 張良ちょうりょうは目を覚ました。


「ここは?」


「宿だ」


 雍歯ようしがそう言った。


「韓王は?」


項羽こううの命令によって処刑されたと聞いたぜ」


「そうですか……」


 張良は身体を起こし、天に向かって慟哭した。その後、雍歯をきっと睨みつけるように見た。


「おいおい、勘弁しろよ。あの状況じゃああんたを助けるので精一杯だったんだ」


「わかってます。あなたに頼みがあるのです」


 張良は涙を拭いながら言った。


「陽翟に韓王の甥のしん様がおられます。その方の元に行って、漢王の元に亡命するよう行ってください」


 韓王・せいの甥は後世において便宜上、韓王・信と呼ばれる。


「わかった。だが、あんたはどうする?」


「私も後を追います。大丈夫です。韓王に殉死したりしません。私は項羽を滅ぼさなければなりませんから」


 張良の目には業火が灯る。その迫力に雍歯は圧倒される。


「わかった。行ってくるぜ」


「感謝します」


 雍歯は陽翟に向かった。


「さてと」


 張良は彭城に向かった。












 月も隠れる真夜中、項伯こうはくの屋敷の門を叩く者がいる。


「なんだ」


 目をこすりながら、屋敷の召使いが門を開けた瞬間、彼の頭に何かが叩きつけられ、彼は昏倒した。


 張良はそれを見て、そのまま門を通って屋敷の中に入っていった。そして、明かりのある部屋を見つけるとその戸を開けた。


「何やつ」


 部屋の中にいた項伯が剣を抜こうとしたが、張良の姿を見て、驚き思わず声が出そうになるのを止めて慌てて戸から顔を出し、辺に人がいないことを把握すると張良を中に入れた。


「張良殿、なぜこのようなところに?」


 項伯は冷や汗をかきながら問いかける。今、范増はんぞうが血眼になって探し回っている。張良は項伯を睨みつけながら特に何も言わない。


「この度のことですが……」


「謝罪はいりません。主導者は誰ですか?」


 張良は言葉を遮るようにそう言った。


「張良殿……」


「私は間違えたく無いのです。滅ぼす相手をね」


 項伯は己の剣に手をかける。


(ここで殺さなければ……)


 項羽の害になる。そう思い、剣に手をかけた。


(しかし、なぜこの方はわざわざ私の元に参ったのか?)


 彼の言うように確認のためか。その割には危険なやり方をとっている。


(そうか……)


「私です」


「わかりました。項羽ですね。では、これで」


 張良は立ち上がり、背を向ける。


「張良殿」


 項伯は剣に手をかけながら言う。


「あなたは狡い。狡い方だ」


 その言葉を受けながら張良は振り向かない。


「私があなたを斬れないことを知っておられながら、このような……」


(私になら斬られても構わないなど……)


 張良の友情の表現なのである。項羽を滅ぼす。それでも項伯には義理を示す。それを張良なりに表現したのである。それも項伯が斬らないという確信を持って、


「項伯殿。あなたは甘い」


 張良はそう呟いて、部屋を出た。項伯は膝から崩れ落ちて泣いた。


(甘い、甘過ぎる)


 彼は内心、呟きながら門へと歩く。


「それでも、そんなあなたに初めて会った時から、好きでしたよ」


 張良はそう言うと涙をぬぐい、きっと項羽のいるであろう宮殿を見る。


「項羽、必ずや滅ぼしてやる」


 そう言って彼は闇夜に消えた。


 それを密かに見ていた者がいた。


「見っちゃった。見っちゃった」


 駟鈞しきんこと虞子期ぐしきである。


 彼は宮殿に急いで向かい、項羽を訪ねた。


 項羽はまだ、虞姫ぐきとは寝ていなかった。


「なんだ?」


「いや、実はここに来る前にある者を見ましてね」


 虞子期は内心、けらけらと笑いながら項伯の屋敷から張良が出てきたことを話した。


「いやあ、驚きました。裏で項伯殿と張良はつながっていたんですよ」


「昔からの友人だそうだからな」


(いやいや)


 そういうことではないだろうと思いながら虞子期は言った。


「范増殿が危険視し、劉邦に好を通じている張良とこの状況で繋がっていることは大問題ではありませんか」


「お前は私に叔父上を斬るようにしたいのか?」


(あれれ、雲行きが怪しんだが)


「いやあ、そういうことではなくですね。そう、真偽を確かめる必要があると申しますか」


「ならば、もう用は無いな。帰れ」


 項羽は手で帰るように示す。


「わかりました。でも、気をつけるべきですからね」


 虞子期はそう言って下がっていった。


「はあ、むかつく」


 虞子期は苛々しながら虞姫の部屋に入り、そう言った。


「一体、あいつはなんだんだ。普通、項伯を殺しにいるだろう。あれはよう」


 そんな彼を虞姫は冷めた目で見つめる。


「あいつってもしかして馬鹿なんじゃないか?」


 そんなことを言い始めた虞子期に虞姫は笑った。


「あははは」


「何がおかしい?」


 虞子期が睨みつけると彼女は笑いながら言った。


「項羽が馬鹿ならば、そんな馬鹿に振り回されています。あなたは何なのでしょう」


 彼女は大笑いする。


「ああ、皆、あの項羽に振り回されていますわ。ああ、おかしい。滑稽なこと」


「けっ」


 虞子期が舌打ちする。


「仕方ねぇな。范増の元にさっさと行くかあ」


(あの爺さん苦手なんだようなあ)


 頭をかきながら虞子期は部屋を出た。


「ふふふ、滑稽なこと」


 彼女は再び笑った。








 虞子期は范増を訪ねた。


「ふむ、そうか」


「范増様にはお伝えしておきたく、急いで参った次第です」


「わかった。確認してみよう」


「ははっ」


 虞子期は范増の元を去ろうとした時、范増が呼び止めた。


「虞姫にこの布を渡してもらえんかのう」


「おお、素晴らしい布でございます。妹も喜ぶことでしょう。では、これにて」


 虞子期は布を持って去っていった。


「どう思う?」


 范増は陳平に訪ねた。


「真偽のほどがわかりません。それに彼は信用できましょうか?」


「確かに、あの者は虞姫という女を使い、取り入った者だからな」


 范増にはかつて楚が李園りえんが妹を使って楚の実権を握ったこともあり、彼を警戒している。


「項伯殿を貶めようという策略ではないでしょうか?」


「それはあるかもしれない。だが、張良がまだこの近くにいるのであれば、彼を捕らえることを優先したい」


「ええ、その通りですね」


 陳平は頷く。


「そこでお前に任せたいのだが、良いだろうか?」


「承知しました」


 拝礼を行う陳平は、


(これでバレないように手を抜いて、張良殿を逃せるだろう)


 と思った。正直、項伯に会ったということを知った時は肝を冷やしたが、これで安心できるだろう。









 布を持って歩く虞子期は飄々と歩いていたが、ある場所に至ると脇にそれて、布を見た。そして布に隠されていた書簡を見つけた。


「陳平に張良との内通の疑い有り、陳平を監視し、張良と接触することあれば、この二名を殺害されたし」


 と書かれていた。


「へいへい、予定通りっと。食えねぇ爺さんだ」


 虞子期は笑った。





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