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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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封王

「これ美味しいよ」


 虞姫ぐきと名乗った女はその辺で捕まえた蛇を駟鈞しきんに向けながら言う。


「食わん」


「そう、美味しいのに」


 彼女はつまらなそうな表情を浮かべながら蛇の胴体に噛み付いた。蛇が絶叫するのもお構いなしに食らいつき、血を啜りながら蛇を咥えながら言う。


「おいちぃいのになあ」


(とんでもないのを押し付けられたものだ)


 あの声の男の言葉に従うべきではなかったのではないか。そう思いながら彼女は蛇を食いちぎるとそれをそのまま道端に捨てる。


「で、今度は何を壊すの?」


「壊すとは?」


「なんで、私を使うんでしょう?」


 彼女は首を傾げる。


「だから私を呼んだんじゃないの。まあいいけどね」

 

 駟鈞は目を細める。


「壊すか……まあお前の使い道は一応考えている。それよりもお前の服だ」


 虞姫はまだ服を着ていない。服が必要である。


「はいはい」


 彼女はひらひらと手を振るってそう答えた。










 廃墟となった咸陽を劉邦りゅうほうは一人歩く。護衛をと言われたが、劉邦は一人で歩きたかった。


「ああ、何もかもが夢の後ってやつかねぇ」


 劉邦は瓦礫の山に腰掛け、酒を飲む。


「こんなにも壊すべきかねぇ。それほど秦が憎かったのか項羽こうう


 項羽の考えることがわからない。関中の王の件であれほど怒ったにも関わらず、ここを壊す。何を考えているのだろうか。


始皇帝しこうていの作ったもんは全て許さんのかね」


 憎む気持ちはわかる。確かに始皇帝が作った枠組みに苦しめられたことはある。しかし、それを全否定して壊すだけ壊して一体、どうするのだろうか。


「おや、このようなところでなにをしていらっしゃるのですかな?」


 瓦礫に座る劉邦にそう声をかけてきたのは、せんであった。


「確かあんたは子嬰しえい殿のところにいた……」


「旋でございます。沛公」


 旋は沛公の横に座った。


「なあ、始皇帝って人はどういう人だった?」


「そうですねぇ。あの方は決断力に富み、こうと決めたらやり通す頑固さを有し、誰よりも国に関わる事柄に関わり、誰よりも多くの民を見ていた人でした」


「そうかい。俺にとっては傲慢で冷酷にして残酷。人の温度が低い人だと思ったがね」


 旋は笑う。


「それにしては、あの方が作った者が壊れることを誰よりも嘆いておられる」


「人が作った者とはこんなにも脆いものかねと思って嘆いているだけさ」


 劉邦は酒を再び飲む。


「だからこそあの方は神になろうとした。永遠の中で生きようとした」


「それで失敗した」


 旋の言葉に劉邦はそう言った。


「永遠などというものはねぇ。だから俺たちにできることと言えば、束の間の平和を作ることなのかもしれねぇなあ」


「かもしれません。そして、それを作るのはあなたなのでしょうね」


 旋はそう言って立ち上がった。


「あなたは始皇帝陛下によく似ておられる」


「俺が?」


「ええ」


 彼は微笑みながら立ち去っていった。


「始皇帝にねぇ」


 劉邦はそんなことはねぇだろうと思いながらまた、酒を飲んだ。













 項羽を始め諸侯の軍は東に退却した。


 その途中、項羽は人を送って楚の懐王かいおうの命を聴いた。懐王は、


「約束の通りにせよ」


 と答えてきた。つまり先に関中に入った劉邦を関中の王にするべきということである。


 項羽は懐王が自分の西進に同意せず、北の趙を援けに行かせたことを怨んでおり、関中入りが遅れたのは懐王のせいだと思っている。


 彼は怒ってこう言った。


「懐王は我が家の項梁こうりょうが立てたのだ。彼自信に功伐(功績)があったわけではない。なぜ一人で約を定めようというのか。天下が初めて難を発した時(挙兵した時)、仮に諸侯の後代を立てて秦を討伐した。しかし身に堅(甲冑)をつけて鋭(武器)を持ち、率先して事を起こして野に身を曝すこと三年、やっと秦を滅ぼして天下を定めたのは、全て将相諸君と私の力によるものではないか。懐王には功がない。地を分けて治めさせるのが相応しいだろう」


 諸将は皆、彼を恐れて、


「その通りです」


 と答えた。それを見ながら陳平ちんぺいは思う。


(懐王という方は信義のある方であったか)


 少なくとも彼は自分の言葉に対し、嘘を持ち込まなかったことが偉いと言えた。彼は劉邦が関中に入った事実をしっかりと評価し、約束通りに進めようとしているだけである。それにも関わらず、項羽はそのことを否定した。


 それほど関中の王になりたいのかと言えば、そうではない。ここが項羽の不思議なところである。


(少なくとも項羽には信義が無い)


 しかし現状、一番力を持っているのは項羽である。陳平はそう思った。


 項羽はその後も不機嫌であった。そんなある日の夜。彼の元に女が献上された。項羽は妻を設けておらず、日に日に夜の相手を変えていた。また、項羽はあまり女に興味がなくただただ事務的な形で女と交わっていた。しかしながら今日、献上された女を見て項羽は初めて興奮を覚えた。


 とてつもない美女であったからである。


「お前の名は?」


「虞姫と申します」


「そうか」


 項羽はそれからというもの、常に彼女を傍に置くようになった。


「実はわたくしには兄がおります」


「ほう、では用いてやろう」


 項羽は虞姫の兄を軍中に置くことにした。兄の名は虞子期ぐしきという。もちろんこの男は駟鈞である。


「ふ、以前よりも項羽に近くなったぜ」


 駟鈞はからからと笑った。


「あれを壊すの。あれの方がよっぽどたくさん壊しそうだけどね」


「そうさ。お前は上手くあれを使って乱れに乱れさせるのさ。もっと面白くしなければならんからなあ」


「そう……まあ良いけどね……」


 虞姫は静かに呟いた。











 項王は彭城に帰還してから天下を分けて諸将を王に封じることにした。


 彼は自らを西楚の霸王とし、魏・楚の地九郡を治め、彭城を都にした。


 西楚について二つの説がある。


 一つは、淮水以北の沛・陳・汝南・南郡を西楚、彭城以東の呉・広陵を東楚、衡山・九江と江南の長沙・豫章を南楚とする説。もう一つは江陵を南楚、呉を東楚、彭城を西楚とする説である。


 次に項羽は范増はんぞうを呼んだ。


劉邦りゅうほうはどうしますか?」


(こういう時は相談を持ちかけてくる)


 そう思いながら范増は言った。


「関中の王の約束に関しては無視するわけにはいかぬ。良いな」


「それでは関中の王にしますか?」


「いや、それでは意味が無い」


 范増は地図を広げて言った。


「巴・蜀の道は険阻であり、秦の遷人(移住させられた人)は皆その地に住んでいる。そこに据えれば良いここも関中の地だ」


「なるほど」


 こうして項羽は、


「巴・蜀も関中の地である」


 と宣言して劉邦を漢王に立てた。巴・蜀・漢中を治め、南鄭が都となった。


 巴・蜀・漢中は秦が置いた三つの郡で、南鄭県は漢中に属している。元々、南鄭と漢中は別の地であり、南鄭は古褒国でした。秦が漢中や蜀を取る前に南鄭は秦に占領され、後に秦が漢中を得てから、南鄭を漢中に属させて一つの郡にした。


 続けて范増は劉邦の監視役として関中を三分して漢の路(劉邦が東に出てくる道)を塞がせることにした。


 そして、そこに章邯しょうかんを雍王として咸陽以西を治めさせて、都を廃丘とし長史・司馬欣しばきんはかつて櫟陽獄掾として項梁に恩を施したことがあり、都尉・董翳とうえいは章邯に楚への投降を勧めた功績があるとした。


 司馬欣を塞王に封じて咸陽以東から黄河に至る地を治めさせ、都は櫟陽とした。


 また、董翳を翟王に封じて上郡を治めさせ、都を高奴とした。


 項羽は自ら魏の地を取るため、魏豹ぎひょうを西魏王に遷した。河東を治めさせ、平陽を都とした。


「なぜじゃあ」


 魏豹は魏王であるという自負があるため、怒り狂ったが薄姫はくきが宥めた。


 瑕丘の申陽しんよう張耳ちょうじの嬖臣(寵臣)で、河南郡を占領して楚軍を河上で迎えた功績があるとして。彼を河南王に立てて、都は洛陽(雒陽)とした。


 韓王・せいは韓の故都(旧都)をそのまま拠点とし、陽翟を都にさせた・


 趙将・司馬卬しばごうは河内の平定においてしばしば功を立てたとして、殷王に封じられた。河内を治めて朝歌を都とした。


 趙王・歇は遷して代王にした。その一方、趙の宰相・張耳は以前から賢人として知られており、項羽に従って入関したため、常山王に立てられた。趙地を治めて襄国を都とした。


 当陽君・英布は常に冠軍(軍の筆頭)の立場にいた人物として、彼を九江王に立てて、都は六とした。


 番君(または「鄱君」)・呉芮ごぜいは百越(百粤)を率いて諸侯を援け、項羽に従って入関したため衡山王に立てて、都は邾とした。


 義帝の柱国・共敖きょうごうは兵を率いて南郡を攻撃し、多くの功を立てたとして、臨江王に立てた。都は江陵とされた。


 燕王・韓広かんこうは遷して遼東王にし、都は無終にした。


 燕将・臧荼ぞうとは楚に従って趙を援け、項羽と共に入関したため、彼を燕王に立てて、都は薊とした。


 斉王・田巿でんしを遷して膠東王にし、都は即墨として、斉将・田都でんとは楚に従って趙を援け、項羽と共に入関しましたとして、斉王に立てられ、都は臨菑とした。


 項羽が河を渡って趙を援けた時、田安でんあんが済北の数城を攻略し、兵を率いて項羽に降ったため、彼を済北王に立てた。都は博陽とした。


 田栄でんえいはしばしば項梁に逆らい、楚に従って秦を撃とうともしなかったため、王侯に封じられなかった。


 成安君・陳余ちんよも将印を棄てて去り、入関に従わなかったため、封じられなかった。しかしながら彼を慕う者が多く彼らは項羽に、


「張耳と陳余は趙で一体となって功を立てました。今、張耳を王に立てたのですから、陳余を封じないわけにはいきません」


 と言ったため、項羽はやむなく陳余を探し、南皮にいると知って南皮周辺の三県を封じた。


 番君の将・梅鋗は多くの功を立てたとして、十万戸侯に封じられた。


 この諸侯への封王により、諸将は項羽に不満を持つ者が多く。天下は更なる混乱がもたらされることになる。

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