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鴻鵠の志  作者: 大田牛二
第二部 楚漢戦争

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故郷に錦を

 秦の兵たちが項羽こううによって生き埋めにされた地・新安。


 黄石こうせきは桶と杓子を持って、その地に降り立っていた。


 彼は生き埋めされたであろう場所を悠々と歩いていく。


 その地の中央に一本の花が咲いていた。その花は血のような赤さであった。


「さて」


 黄石はその赤い花であるヒナゲシを見つけるとその花の根元に杓子で桶から黒い液体を掻き出し、注ぎ始めた。


 黒い液体は泡立ちながら根元に吸い込まれていく。


「取ってくるのに苦労したのだ。うまくいってもらいたいものだ」


 黄石はそう呟くとその場を去った。











「あ~あつまらん」


 駟鈞しきん劉邦りゅうほう項羽こううが戦をしなかったことを心の底から残念がった。


「戦えよなあ」


 これでは混乱が起きないではないか。そう思っていると、


「それほどつまらんか?」


「なっ」


 何かが自分の後ろに立った。何の音もなく現れた。自分の配下ではないことは確かである。そして、明らかに常人のものとは思えない気配であった。


「それほど警戒することはない。何もとって食おうなど思ってはいないのだからな」


 男の声である。しかし、駟鈞はその声が人のものとは思えなかった。


「お前がやりたいことを成すための手段を与えようというのだ」


「手段?」


「そうだ」


 手段を与えるというのはどういうことなのか。


「新安へ行け、そこに赤い花がある。そこでお前はその手段を得るだろう」


 そう言って気配が消えたため、駟鈞は振り向いた。そこには何もいなかった。


「一体、なんだったんだ」


 冷や汗をかきながら駟鈞は呟く。


「新安か……」


 まあいいもうここには用は無い。何者かわからない声に従ってみるのも一興だろう。


 駟鈞は新安に向かった。








 その頃、張良ちょうりょうは劉邦のいる覇上へ戻っていた。


 陣に入ると高々に首を吊られ、至るところに傷のある死体があった。劉邦を裏切った曹無傷そうむしょうである。


 そのことに特に思うこともなく張良は劉邦の陣幕に入っていった。


「おお、戻られましたか」


 劉邦は張良を席に座らせる。


「項羽との和解はできたと言えましょう」


「そうですか。ふう、良かった」


 ほっとする劉邦であったが、張良の次の言葉に驚く。


「項羽はこのまま咸陽に向かい、子嬰しえいを処刑しようとしております」


「子嬰殿を……なぜ?」


 劉邦は怪訝な表情を浮かべる。


「秦を滅ぼしたことを明確にしようというのでしょう」


「止めねば」


 立ち上がろうとする劉邦を張良は止める。


「なりません。それではせっかくの和解は意味が無くなる可能性があります」


「だが、一度、許した者を改めて処罰するなど……」


「あなた様がなさるわけではありません」


 張良はそう言うが劉邦としては納得できない。


「それならば、せめて私自ら説明に行く」


「駄目です」


「張良殿、それでは私の矜持が疑われることになる」


「矜持よりも人の上に立つ者として判断下さい」


 いつの時でも張良は正しいことを言ってきた。そのことは劉邦が誰よりも理解している。しかし、張良の言葉に従えば、自分に命を預けている子嬰の命を無下に扱うことになる。


「わ、わかった」


 それでも劉邦は張良の言葉を聞き入れた。


(偉くなるということはこういうことなのか)


 ふとそんなことを思いながら劉邦は目を閉じた。


 数日後、項羽は兵を率いて西に向かい、咸陽を屠した(皆殺しにした)。


 一夜にして秦の都は血に染まったのである。続いて項羽は子嬰は連れ出し、彼を処刑しようとした。子嬰は一切、抵抗することはなかった。


せんよ。今まで感謝する」


「いえ、なんのお力にもなることができず、申し訳ございません」


「そんなことは無い。あなたのおかげで秦は少しでも綺麗に終わることができたと思うのだ」


 処刑に望み、子嬰はそう言って処刑された。


 子嬰の処刑を行った項羽は次に秦の宮室を焼いた。広大な宮殿が焼かれたために、その火は三カ月も消えることはなかったという。


 項羽は秦の貨宝や婦女を集めて諸将に分け与えると、


「帰る」


 と言った。


 帰るとは東に帰るということである。


 すると韓生という者が項羽に言った。


「関中は険阻な山に守られて河に囲まれている四塞の地でございます。土地も肥饒ですので、都にすれば霸を称えられましょう」


 しかしながら項羽はこう答えた。


「富貴を得たにも関わらず、故郷に帰らなければ、刺繍をした美しい服を着ているにも関わらず、夜歩くのと同じことで、誰にも分からないではないか」


 韓生は退いてから、


「人は『楚人とは沐猴(獼猴。猿の一種)が冠をつけているのと同じようなものだ』と言うが、まさにその通りであった」


 と言った。


 言葉というものは不思議なもので、彼の言葉は項羽に伝わった。


「おのれ、やつを捕らえて殺せ」


 激怒した項羽は韓生を煮殺した。彼は生き埋めと煮殺しと斬り殺すことが人を殺す上で好むやり方である。











 その夜、陳平ちんぺいは席に座り書を読んでいた。


「おい、なんか客人が来たぞ?」


 雍歯ようしがそう言ったため招くように言うと客が入ってきた。


「久しぶりね」


 客は男装した格好で来た薄姫はくきであった。彼女を見て陳平は雍歯は人を近づけないように言ってから彼女に席に座るよう促した。


「このようなところに何の用でしょうか?」


 陳平が尋ねると彼女は答えた。


「ちょっと項羽という人がどんな人か聞きたくてね」


「どんな人と言われますと?」


「ほら、韓生という人が関中に留まるように言ったら殺されたじゃない。東に帰るって言って、なら何のために沛公に対して怒ったのでしょうね。それがわからないのよ」


 確かに東に帰るといい、関中を治めることを拒否するのであれば、約束通り関中に先に入り、王としての体制を築きつつあった劉邦にあれほど叱責し、激怒することはなかったはずである。


「それで項羽という人はどんな方かしらと思ってね」


「私もわかりません。ただ、人付き合いの難しい人と言っておきましょう」


 陳平はそう言った。


「そう、ならば沛公はどんな人なのかしら?」


「沛公は……」


 彼は言葉に詰まりながらも言った。


「あの方ほど世間の言葉と実際が違う方は中々言えないでしょう。会ってみて実際に話してみなければ恐らくあの方の本質は知ることはできないと思います」


「そう」


 薄姫は微笑む。


「沛公のことはよく喋るのね」


 そう言って彼女は立ち上がり、帰っていく。


「私ね。最後まで生き残ってみせるわ。だからあなたも頑張ってね」


 薄姫はそう言って去っていった。














 駟鈞は新安にいた。


「さて、赤い花か」


 そう言って赤い花を探していると見つけた。


「これか。この花がなんだって言うんだ?」


 彼は首を傾げて花を見ているとその時、その花の根元から小さな手が出てきた。


 ぎょっと目を見開き驚いくと地面が浮き上がり、赤ん坊の姿が見えてきた。黄色い目をした赤ん坊である。


「おいおいどういうことだよ」


「あー、うー」


 赤ん坊は駟鈞を見る。


「全くなんだっ……」


 その時、駟鈞の首元を女の手が掴もうとした。驚いた駟鈞は後ろに素早く下がって離れる。


「な……」


 駟鈞は絶句した。先ほどまで赤ん坊であったものが少女となっていた。


「あー」


 少女は頭を傾げる。すると彼女の身体が波打ち、変化していく、ミシミシとした音が聞こえ、身体は大きくなったり、小さくなったり顔も様々に変化していく。そして、ある程度、美女の容貌に整っていくと手を顔に添えて言った。


「私、綺麗?」


 美女は三日月型に笑った。


「綺麗だ。女、おめぇの名はなんだ?」


 不気味であるが、確かに美女としか言わざる終えない化物のような女に駟鈞は問うた。すると女は花を見て答えた。


虞姫ぐき












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